決着……?

「押してる……! 効いてる!! あの八岐大蛇を相手に、一歩も退いてないよ!!」


「ああ、あれなら……!!」


 火属性の基本剣技『焔』と、水属性の基本剣技『漣』。

 師である宗正から最初に伝授された技を重ね、絶妙のコンビネーションで放った燈と蒼の連撃は神の領域に座す八岐大蛇を呻かせる威力を誇っていた。


 顔を仰け反らせ、悲鳴に近い叫びを上げた宿敵の姿に武士たちが歓声を上げる。

 炎に囲まれながら戦いを見守っていた蒼天武士団の面々もまた、自分たちの筆頭の活躍に心を躍らせながら彼らの勝利を祈っていた。


「……手応えあり、だが――」


「まだ、終わってないか」


「ふしゅぅぅぅぅぅぅぅ……」


 痛みに呻き、身をくねらせていた八岐大蛇の動きがぴたりと止まる。

 そうして、再び首をもたげた妖は、自分にこれほどまでの痛撃を与えた人間たちを興味深そうに見つめ始めた。


 その眼には燈と蒼に対する予想以上の評価を楽しむ色すら浮かんでおり、まだまだ余力が残っていることが見て取れる。


 自分と相棒の渾身の攻撃を受けてもまだそんな顔が出来るのかと、流石の耐久力を誇る八岐大蛇に半ば呆れた様子で笑みを浮かべた燈は、気を引き締めると共に蒼へと相談を持ち掛けた。


「さて、ここからどうするよ? 二度も同じ手は通じねえだろ?」


「そうだろうね。ただ、こちらには時間的な余裕はない。一気に決めないと、炎に閉じ込められているみんなが危険だ」


 ちらりと背後で燃え盛る黒い炎と、その囲いの中に閉じ込められている仲間たちの姿を見た燈が蒼の言葉に頷く。

 いつ、あの炎が仲間の体に引火するかも判らないし、煙や熱気でじわじわと体力を消耗した百合姫が倒れる可能性だってある。


 こちらからすれば、悠長に自分たちとの戦いを楽しんでいる八岐大蛇に付き合うわけにはいかない。

 まだ向こうが油断している隙に、一気に勝負を決めたいというのが本音だ。


「……燈、次の一撃で決めよう。僕が先に仕掛けるから、君はそれに続いてくれ」


「へっ! トドメを譲ってくれるのか? 優しい兄弟子だことで……!!」


 技の威力でいうならば自分より燈の方が上だと判断した蒼が自分が隙を作ることを提案し、燈に戦いのすべてを託した。

 その言葉の意味を理解した燈もまた、大役を任せられた緊張感に武者震いし、獰猛な笑みを浮かべる。


 仲間たちや百合姫のためにも、これ以上の時間を無駄に消費は出来ない。

 大技の連発で、八岐大蛇を屠る……そう、決めた二人は己の気力を解放し、愛刀へとそれを注ぎ込んでいった。


「はぁぁぁぁぁぁぁ……っ!!」


 蒼を中心に渦巻く大量の水が、飛沫と唸りを上げる。

 徐々に、徐々に、右手に握られた『時雨』へと集まっていく水を目の当たりにした八岐大蛇が目を細める中、その技を一度見たことがあるやよいがごくりと息を飲んでから一人呟いた。


「あの、技は……!?」


 蒼が持つ、とっておきの技の一つにして、水の気力の操作と突きの極意を組み合わせて編み出された秘奥義。

 かつての戦いで絡新婦じょろうぐもが作り出した堅固な糸の防壁を容易く打ち砕き、妖の肉体を粉砕せしめて見せた渦潮を放つその技の狙いが、『時雨』の切っ先が、天に座す八岐大蛇へと向けられる。


「我流秘奥義・『海神乃怒わだつみのいかり』!!」


「ぐぐるぅぅぅぅっ……!?」


 引いた右腕を前に突き出し、引き絞った矢を射るようにして螺旋の水流を放つ蒼。

 真っ向からそれを受け止め、押し合いを挑んだ八岐大蛇は、予想を遥かに超えた技の威力に焦燥とも取れる表情を浮かべて呻きを漏らす。


「ぎぃいぃぃいいっっ!?」


 額にびっしりと生え揃っている硬い鱗が、妖力を帯びた天性の鎧が、水によって穿たれ、剥がれ落ちていく。

 ばきばき、という鈍い音を響かせ、穿孔する渦潮が柔らかい皮膚を貫こうとした瞬間、絶叫と共に顔を跳ね上げた八岐大蛇が『海神乃怒』を跳ね除けた。


「ああっ、惜しい!! あのまま行けば、頭蓋骨を砕けたのに……!!」


 勝負を決めかねなかった蒼の一撃がすんでの所で流されたことに悔しそうな声を漏らすやよい。

 だが、今の一撃ではなく、ここから放たれる追撃こそが本命である燈と蒼にとっては、この展開は予想通りといって差し支えないものであった。


「その首、もらうぜっっ!!」


 鱗を割られ、皮膚を破られる痛みに耐えかねて頭を跳ね上げたことによって露わになった八岐大蛇最大の弱点……首筋。

 柔らかく、頭部のように硬い鱗も敷き詰められていないそこが、完全に伸び切って自分たちの前に曝け出されている。


 ならば、そこを狙わない理由はない。

 日本の神話に伝わる英雄『須佐之男命スサノオノミコト』がそうしたように、大蛇の首を叩き斬ってこの戦いに幕引きをもたらすべく、気力を充填させた『紅龍』を携えた燈が迫る。


「うおおおおおおおおおっっ!!」


 皮を、肉を、骨を、断つ。

 否、全てを焦がし、焼き斬る。


 突進の勢い、腕の力、刃の切れ味と誇る熱……その全てが、申し分のない最上の状態に仕上がっていた。

 そして、燈が狙いをつけた部位も正しく八岐大蛇の肉体の中でも特に脆く、刃が通り易い場所であった。


 つかえも、抵抗も、何の問題もなく、『紅龍』が八岐大蛇の首を叩き斬る。

 炎を思わせる紅い残光を首筋に刻まれた八岐大蛇は、断末魔の叫びを上げると肉体を雲散霧消してみせた。


「お、おおっ! やった! 虎藤殿が八岐大蛇を倒したぞっ!!」


「うおおおおっ! おおおおおっ!?」


 悲鳴を上げた八岐大蛇が消滅すると共に、彼が生み出した黒雲も黒い炎も完全に消え去った。

 全ての驚異が消え、たった二人だけで神の領域に足を踏み入れている八岐大蛇を撃退してみせた燈と蒼の武功を称える武士たちは、お祭り騒ぎで宿敵の討滅を喜んでいる。


 しかして、たった今、燈たちが撃退した八岐大蛇はあくまで分身であり、本体はまだ鷺宮領の何処かで健在である。

 そのことを理解している蒼は他の武士たちほどには喜びは見せなかったものの、親友と共に窮地を脱せたことは素直に嬉しいと思っているようだ。


「燈、やったね。流石、これまで斬り抜けてきた修羅場は伊達じゃないってことかな?」


 自分の想像を超えた力を見せ、八岐大蛇を叩き斬ってみせた燈へと賞賛の言葉を贈る蒼。

 きっと、相棒も得意気に自分の言葉に応えるだろうと想像していた彼であったが、振り返った燈の顔を見た蒼は、予想外の表情を浮かべている彼の姿に眉をひそめてしまった。


「燈……? どうしたんだい?」


 燈は、笑顔を浮かべてはいなかった。

 むしろ困惑しているような、何かが納得出来ていないような、そんな明らかに喜びとは真逆の表情を浮かべて『紅龍』と蒼の顔を順番に見つめている。


 八岐大蛇という、かつてない強敵を撃破したというのに、その感動を一切感じさせない表情を浮かべる燈の姿に違和感を抱いた蒼が彼の名を呼んでみれば、燈の口から信じられない一言が飛び出してきた。


「……


「え……?」


「あいつを、八岐大蛇を倒したのは、俺じゃない……あいつは、俺の一撃が叩き込まれる前に……


 自分たちの目の前で八岐大蛇の首を断ち、トドメを刺したはずの燈が妖を倒したのは自分ではないと語る。

 その意味不明さに目を見開きながらも、最後の瞬間を最も知るであろう燈だからこそ、その違和感に気付けたのであろうと、蒼は低い声で彼へと改めて尋ねた。


「……間違いないのかい? 八岐大蛇は――」


「あいつは、俺の攻撃を受ける前に倒されてた。でも、俺たち以外にあいつに手出しした奴の気配は一切ねえ。なんだ? 何がどうなってるんだ?」


 蒼の質問に食い気味に答えた燈にも、自分が感じた違和感の正体が判っていないようだ。

 困惑する彼の肩を叩いた蒼は、周囲の人間に聞こえないよう、小さな声でこう耳打ちする。


「……今夜、宿に着いたら詳しく話を聞こう。それまでは誰にも話さずにいてくれ」


「あ、ああ、わかった……」


 蒼の顔つきと声色から、自分の感じた違和感が何か重要な意味を持つことを悟った燈が大きく頷く。


 改めて、八岐大蛇が去った空を見上げた燈は、暗雲が晴れたはずなのに何処かすっきりとしないその空模様を見つめながら、悶々とした感情を抱き続けるのであった。

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