八岐大蛇、再来
「しゅららららららら……っ!!」
空気を弾くような音が響き、上空にあの黒雲が立ち込める。
来たか、と誰もがその襲来を予感する中、予想通りに巨大な蛇が姿を現した。
「や、八岐大蛇っ!!」
見知ったその名を何処かの武士が叫ぶ。
鋭い眼光と舌を鳴らす音を響かせながら、百合姫が匿われている駕籠をじろりと睨んだ妖は、大きく口を開くと呪いの黒炎を吐き出す。
「うおおおおっ!?」
「きゃあああっ!?」
玄白と百合姫の悲鳴がこだまし、黒い炎が地を這う。
駕籠に直撃こそしなかったものの、八岐大蛇が吐いた炎はその周囲をぐるりと取り囲み、百合姫たちは警護に当たっていた武士たち諸共決して消えぬ炎の中に閉じ込められてしまった。
「しまった! これでは外に逃げられんぞ!!」
「ちぃっ……!!」
百合姫たちと共に炎の輪の中に閉じ込められた栞桜は、八岐大蛇の策に嵌って身動きを封じられたことに苦々し気な声を漏らした。
涼音が風邪を起こし、一部でも炎を掻き消せないかと試してはいるものの、決して消えぬ黒炎の呼び名は伊達ではなく、多少の揺らめきを見せるだけで消える気配は微塵もない。
「どうする!? どうすればいい!?」
「外の八岐大蛇を倒すしかないよ! この間も、あいつが撤退したらこの炎は消えた! あいつを撤退させないと、あたしたちも身動きが取れない!」
先日の襲撃の際の一幕を思い出したやよいが叫び、周囲の状況を確認する。
幸いにも黒い炎に巻き込まれた者はおらず、炎が自分たちの周囲を包む壁となってくれていることであの黒い妖たちの攻撃を防いでくれていたが、この炎が消えない限りは自分たちが身動き出来ないことに変わりはない。
この炎を消すには、八岐大蛇の分身を倒すしかない。
しかし、炎の内側にいる武士たちには妖に手出しをすることは出来ず、自分や栞桜の遠距離攻撃だけでは神の領域に足を踏み込んでいる八岐大蛇の相手をするには心許ないだろう。
誰かがこの炎の外に出て、八岐大蛇と直接対峙するしかない。
危険極まりない役目だが、このままでは持久戦に持ち込まれて自分たちが追い詰められるだけだ。
しかし、今からこの炎を強引に突っ切って外部に出ることもまた、それなりのリスクを伴う。
誰か、今の時点でこの炎の囲いの外側にいる者はいないかと、やよいが一縷の望みを抱きながら内部に残った面子の確認をしていると――
「うおおおおおおおぉぉっ!!」
――そんな、威勢のいい叫びと共に紅と金の炎が湧き立ち、地面から一直線に八岐大蛇へと向かう。
妖が生み出した黒い炎と相反する爆炎を放ち、気力を十全に込めた武神刀を構えて八岐大蛇へと挑みかかるのは、やはり燈であった。
「せいやああああああぁっっ!!」
「じゅらぁぁぁっっ!!」
燈の咆哮と、八岐大蛇の威嚇音。
その二つの音が響き、重なり、振り下ろされた武神刀と硬い頭部がぶつかり合った時、大きな爆発が生み出された。
「じゅぎぃぃっ!?」
常人を遥かに超えた気力を持つ燈の、本気の一撃を食らった八岐大蛇がよろめきを見せる。
今の一発で妖に確かなダメージを与えた燈の姿に希望を見出した武士たちであったが、上空から落下する燈は逆に驚愕の感情を抱いていた。
(今ので仕留めきれねえのか!? かなり手応えあったぞ!?)
技を使う余裕はなかった。だから、ただ純粋に気力を込めただけの斬撃を見舞っただけだったということもある。
しかし、威力としては十分な一撃であったし、琉歌橋の戦いではそれだけで鬼を両断出来ていた。
それが、八岐大蛇に対しては致命的な一撃とはならない。
多少なりともダメージを与えただけで終わってしまったことに、燈は今までの相手と八岐大蛇が根本的に違う存在であることを感じ取る。
流石は神の座に在った者、とでもいうべきなのだろうか?
妖として生まれた狒々や鬼たちとは違い、元は神として生み出された存在が怪異へと堕ちた存在である八岐大蛇の強さにある種の簡単を抱く中、ものの数秒で燈の一撃で受けたダメージから回復した八岐大蛇が、落下中の燈をその双眸で捉える。
「燈さま、危ないっ!!」
駕籠の窓から顔を出し、戦いを見守っていた百合姫が燈の危機に悲痛な叫びを上げた。
踏ん張りの利かない上空では防御を行うことが難しい。相手と自分に体格差がある場合は猶更の話だ。
あのまま八岐大蛇が大口を開け、燈を飲み込んでしまえばそれで一巻の終わり。
そうでなくても落下する彼に黒炎を吐き掛ければ、決して消えぬ炎が燈の体を焼き尽くしてしまうだろう。
栞桜が『比叡』を構え、やよいが『青空』を飛ばすも、八岐大蛇の反撃に間に合いそうもない。
すわ、ここまでかと戦いを見守る者たちが諦めの感情を抱く中、開いていった八岐大蛇の口がいきなり閉ざされると共に、その顔面が跳ね上げられるようにして上部へと打ち上げられた。
「がぐぅうっ!?」
「今のは……!?」
顎を打ち上げるように叩いた巨大な間欠泉に驚いた燈は、そのまま地面に着地すると二転三転して刀を構え直す。
そして、自分の窮地を救ってくれた人物に向け、感謝の言葉を述べた。
「悪い、助かった。思ってたよりもタフだぞ、あいつ」
「わかってるよ。燈の本気の一撃を受けてけろっとしてるんだ、相当に頑丈みたいだね」
ゆっくりと、不意に繰り出された二撃目の痛みから体勢を立て直した八岐大蛇が、金色に輝く瞳を地面へと向ける。
右目に紅に燃える刀を構えた燈を、左目に薄く水を張った青い刀を構える蒼の姿を捉えた妖は、二人を威嚇するように舌を鳴らして戦闘態勢を取った。
「こうして二人きりで戦うのも久しぶりだな。狒々との戦ぶりか?」
「随分と大所帯になったからね。まだ左程時間は経ってないのに、あの頃が懐かしく思えるよ」
対して、巨大な妖に睨まれているはずの二人は、その緊張感をまるで感じていないかのようにリラックスしている。
軽口を叩ける余裕すら見せた燈と蒼は、互いを信頼した笑みを浮かべながら『紅龍』と『時雨』を構え、息を吐いた。
「……俺も、あの頃に比べたらちったぁましになったはずだぜ。お前におんぶにだっことはならねえよ」
「頼りにさせてもらうよ。一人で相手するには骨が折れる相手だ」
「がううううううっっ!!」
蒼が燈への言葉を言い終えると共に、黒炎が放射される。
二人を飲み込まん勢いで吐き出された黒い炎が体に触れる寸前、燈と蒼は目にも止まらぬ動きでそれを回避し、即座に攻撃行動に移った。
「はぁぁぁぁぁ……っ!!」
再び、上空へと飛び上がった燈が空中で刀を上段に構える。
赤熱した刃が空気を焦がすちりちりという音を響かせながら、八岐大蛇の頭上へと飛び上がった彼が振りかぶった武神刀を落下の勢いと共に振り下ろす中、蒼もまた動きを見せていた。
「ふぅぅ……っ!」
蒼が動いたのは真横。八岐大蛇の顔面から見て左方向。
青く輝く『時雨』に水を纏わせ、それを鋭利な刃へと変質させた彼が、疾駆の勢いを乗せた斬り抜けを妖の横っ面に見舞う。
「じゅらっっ!?」
頭上から迫るは全ての防御を打ち砕く強力無比なる炎の一撃。
僅かでも対処を誤ればその時点で全てを終わらせるだけの威力を誇る斬撃が頭蓋骨を砕かんばかりの勢いで繰り出される。
横方向から迫るは急所を斬り裂く無形なる水の一閃。
どんな防御すらも潜り抜け、確実に痛手を負わせるために繰り出された青い刃が妖の弱点を斬り裂かんと迫る。
上か、左か、どちらを先に対処して、残る攻撃をどう防ぐか。
迫る刃に対する防御策を練ろうとした八岐大蛇であったが、絶妙な連携によって繰り出された二人の攻撃はどう対処しても防ぎ切ることが不可能であることに彼が気が付いた瞬間、紅と蒼の斬光が煌いながらその顔面で交錯し、深い斬撃が見舞われる。
「「宗正流合わせ技・火水十字斬!!」」
「ぐしゅぅぅぅぅぅぅっ!?」
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