突然の変更
情報交換の後に向かえた三日目、四日目の旅路は、驚く程に順調なものとなった。
障害らしい障害もなく、八岐大蛇の襲撃もなく、むしろ予定よりも早く目的地に着くくらいの順調な旅だが、燈たちにはそれがかえって不気味に感じられている。
嵐の前の静けさというか、大きな物事が起きる前の束の間の平穏というか、八岐大蛇が敢えて襲撃を行わず、力を蓄えているように思えてならないのだ。
そう思っているのは蒼天武士団の面々だけではなく、玄白や百合姫、そしてお付きの武士たちも一緒だった。
いつ、どこで、どんな状況で攻撃を仕掛けられても対処出来るように、気を引き締めて東平京へと進む一行。
目的地に近付くにつれて、本当ならば安堵して然るべきなのだろうが、どうしてもそんな気分にはなれない。
それは、彼らが次の戦いは初日のそれを超える激しいものになるということを理解しているからだ。
生半可な攻撃ではなく、全身全霊の力を以て、八岐大蛇は襲撃を行うだろう。
もしかしたら、この次の戦いで命を落とす者もいるかもしれない。
だが、それは逆をいえば、そこさえ乗り切れれば八岐大蛇の呪いを完全に跳ね除けることが出来たということを意味していた。
数日の間に力を蓄え、それを全て発揮した妖の襲撃を凌ぎ切ることが出来たのなら、三度目の攻撃はまず無いと考えてもいいはずだ。
無論、帰り道でも襲撃を受ける可能性もある。行きはよいよい帰りは恐いという言葉を忘れている者は誰一人としていないだろう。
それでも……苦難を乗り越えた先にある光を誰もが胸に抱き、それを掴むために全霊で護衛任務に挑んでいることは、間違いないことであった。
残す問題は、襲撃のタイミング。
八岐大蛇がどこで攻撃を仕掛けてくるかという部分だ。
当然、向こうにとっては攻めやすく、こちらにとっては守りにくい場所を選び、攻撃を仕掛けてくるだろう。
しかし、そこは蒼が考えた進行経路。そういった、明らかに自軍が不利になる地点は避け、出来るだけ防戦に徹し易い道が選択されている。
その中でも注意が必要な地点は既に仲間たちに伝えて注意を促してもおり、そこを通る際には細心の注意を払って行動するようにと言い聞かせてもいた。
それに、東平京に近付けば近付く程、周囲には逃げ込める場所や助太刀を頼めそうな武士たちの数も多くなるだろう。
言わば、時間が経てば経つ程、燈たちにとって状況は有利になるこということだ。
八岐大蛇は、護衛を務める武士たちの他にも時間とも戦わなければならない。これは、明らかに燈たちにとって有利な部分でもある。
警戒を忘れず、慎重に慎重を重ねて、東平京へと辿り着く。
そのために全力を尽くす蒼天武士団の活躍が、八岐大蛇に攻め入る隙を見出させていないのかもしれない。
ともかく、旅の終着点である東平京までは、あと二日ほどで到着するまで近付いていた。
ここからの移動ルートで危険だと思える場所はほぼ存在せず、ともすれば明日一日で目的地に辿り着けるかもしれないくらいの順調な旅路を送っている。
後はただ、問題が起きぬことを祈るだけ。
自分たちが不利益を被るような悪い出来事が起きぬことを祈り続けていた一同であったが……そんな願いが脆くも裏切られたのは、五日目の朝のことであった。
「進行経路を変更するですって!?」
「え、ええ……」
朝、玄白に呼び出された蒼天武士団の面々は、彼の口から発せられた信じられない言葉を耳にし、驚きの表情を見せる。
万全を期したルートを外れ、別の道を進もうと言った玄白は、やや申し訳なさそうな表情を浮かべながらその理由を説明した。
「じ、実は、先程雪之丞から連絡がありまして……それによると、我々が進もうとしている道が土砂崩れによって塞がってしまったとのことなのです」
「なんですって? それは、本当ですか?」
「え、ええ……あいつが嘘を吐くとも思えませんし……」
おずおずと雪之丞から送られてきた手紙を蒼へと差し出す玄白。
代表としてそれを受け取った蒼が食い入るようにその文面に視線を向ける中、代わりに口を開いた燈が質問を投げかけた。
「そんじゃあ、少しここで止まった方がいいっすね。どの道を進むかを考えるのにも時間は必要だし、状況確認もした方がよさそうだ」
「もしかしたら、案外簡単に土砂の撤去が終わるかもしれないし、私たちなら邪魔な障害物を破壊することだって出来る、かも……」
「取り合えず、出発時間は遅らせるべきだな。幸いにもここまで順調に来れたお陰で時間的な猶予もある。多少の足止めを喰らっても問題は――」
「いいえ! それは駄目です! 一刻も早く東平京に辿り着かなければ、百合姫の婚約者の気分を損ねてしまうかもしれない! 遅れるなんてもっての外です!!」
まずは時間をかけ、対策をじっくりと練るべきだという栞桜の意見を遮るようにして叫んだ玄白へと、この場に集まった全員の視線が集中した。
旅の安全よりも迅速な到着を優先すべきだという彼の言葉に誰もが困惑する中、雪之丞からの手紙を読み終えた蒼が冷静に自分の意見を伝える。
「玄白さん、この手紙には代わりの進行経路が記されていますが……僕は、この道を進むことに賛成出来ません。確かに迂回の遅れを取り戻すには最適ですが、この険しい道は防戦にはあまりにも向いていなさ過ぎる。百合姫さまとあなたの安全を思うなら、別の道を探した方が――」
「駄目です! 婚約者殿の気を損ねたら、それこそこの危険な旅を行った意味がなくなる! 多少の無茶は承知の上で、皆様の腕を信用してこう申しておるのです!!」
「我々を信頼していただけるのはありがたいですが、我々の役目は百合姫さまとあなたを無事に東平京まで送り届け、その後に鷺宮領まで帰還することにあります。幾ら依頼人の要望といえど、危険が過ぎる真似を許すわけには――」
どうやら、蒼がここまで反対するということは、雪之丞が指定した経路は相当に危険なものらしい。
幾ら急いでいるとはいえ、父と妹の身を危険に晒すようなルートを選択した雪之丞の判断に燈たちが疑問を抱く中、ここまで黙っていた百合姫が静かに口を開き、自分の意見を告げた。
「蒼天武士団の皆さま、本当に申し訳ありません……しかし、どうかお父様の願いを聞いてあげてはくださらないでしょうか」
「姫さま、そいつはちょっと無茶だ。俺たちはあなたを守るための仕事を請け負った。それに反するような真似は出来ないっすよ」
「無論、それも承知しております。しかし、この縁談には鷺宮家の未来がかかっているのです……どうか、私たちの我儘をお許しください」
そう言って、深々と頭を下げる百合姫は、額を床に擦り付けた土下座を行う。
仮にも貴族の娘である百合姫にそんな真似をさせてしまったことに燈が罪悪感を抱く中、追い打ちをかけるように玄白も米搗き飛蝗のように何度も頭を下げ、縋るようにして懇願の言葉を口にしてきた。
「どうかお願いいたします! 百合姫の言う通り、この縁談には我が鷺宮家の将来がかかっているのです! 危険も、無茶も承知の上! 仮に我が身に何かがあったとしても、百合姫さえ無事ならば何の悔いもございません! 何卒、何卒……この落ちぶれた男の願いをお聞きくださいませ……!!」
親子揃っての土下座に気後れした燈は、気まずさに二人から視線を逸らした。
そうして、判断を委ねるようにして蒼へと視線を向けてみせれば、嘆息した彼が少し戸惑いながらも、彼らの要求を承諾してみせる。
「……わかりました。それが依頼者の意志であるというのなら、我々はその意見に従うまでです。お二人を守るために全力を尽くしましょう」
「おお、ありがとうございます。ありがとうございます……!!」
何度も頭を下げ、感謝の言葉を告げる玄白に軽く会釈してから、蒼は燈たちの方へと振り向く。
そうして、進む道の確認とその際の注意事項を確認するための時間を設け、唐突に寄せられた無茶な要望に最大限の備えを行うのであった。
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