栞桜、女の勘を発現す

「怪しい客が来ているだと?」


「うん。確証はないけど、な~んか妙な感じなんだよね~」


 その後、蒼を残して執務室を後にしたやよいは、今しがたあったことを親友である栞桜に報告していた。


 ある程度の情報を集め、桔梗に仕事を依頼しに来た客がいることを掴んだやよいは、それも含めて栞桜へと五人組の女たちについて話をする。

 栞桜もまた、先の執務室の一件をやよいの口から聞かされる程に、段々と表情を険しく、真剣なものに変化させていった。


「確かに怪しいな……わざわざ離れから執務室まで移動する理由はない。最初から、屋敷の内部を探るつもりだったと考えるのが妥当だ」


「やっぱそう思う? まあ、見た目は子供だって言い張れる雰囲気の子だったけどさ、あたしっていう例がある以上は歳をごまかしてるって考えた方が賢いよね」


「敵が間者だとして、狙いは何だ? 私たちの暗殺……にしては、堂々とし過ぎているな」


「それはないってあたしも思う。蒼くんのことを覗き見してる時、殺意を感じなかったから。かといって、今の蒼天武士団に貴重な情報やお宝があるわけでもないし、そこがいまいちピンとこない部分なんだよねぇ……」


「ふぅむ……」


 こめかみの辺りに両手の人差し指を当て、くるくると回しながら思考を深めるやよい。

 栞桜もまた、こういった頭脳面担当の彼女が判別出来ないことを脳筋担当の自分が判るはずがないと、そう思いながらも不器用なりに考えを巡らせていく。


 今の自分たちに守るべきものがあるとすれば、せいぜい命くらいのものだろう。

 銀華城奪還戦の際に得た褒賞はほぼほぼ三軍の仲間たちと分配してしまったし、残った金子も団の運営のために貯蓄こそしてあるものの、桔梗の貯めている金に比べれば雀の涙程度のものだ。


 金が目的ならばわざわざ武士団と同居している桔梗邸を狙う必要はないし、蒼天武士団の執務室を探る必要性もない。

 暗殺や強盗が目的でないのならば、彼女たちの目的はいったい……? と、栞桜の思考が堂々巡りを辿りそうになった時だった。


「きゃー! すごーい!! やっぱり鍛えていらっしゃいますのね!」


「そ、そうか? まあ、修行は毎日こなしてはいるけど……」


「日々の鍛錬の賜物ってわけか! オレも体を動かすのは好きだが、こんながっちがちの筋肉はつけられねえからなぁ……羨ましいぜ!」


 屋敷の、中庭の方角。そこからはしゃぐ女性の声とやや困惑している燈の声がする。

 そのやり取りを耳にした栞桜はぴくりと眉を顰めると、歩く速度を少しだけ上げて声のする方向へと向かっていく。


 広い屋敷といえど、声が聞こえてくる場所なのだから辿り着くまでにはそう時間も掛からない。

 ものの数秒程度で中庭が見える位置にまで移動した栞桜は、そこに広がる光景を目の当たりにした瞬間、まるで石になったかのように全身を硬直させた。


「いいですわねぇ、この腹筋……! 武神刀を振るう両腕の筋肉も素晴らしいですわ!」


「鋼みたいに硬くて引き締まってるこの体! やっぱ鍛えてる男ってのは風格が違うもんだな!!」


「お、おう。ありがとう、ございます……?」


 そこにいた燈は、上半身が裸だった。

 稽古着の上を脱ぎ捨て、腹筋から両腕までを惜しげもなく露出している彼の姿を目にした栞桜はごくりと息を飲みその姿に見惚れてしまう。


 滴る汗と運動で膨張した筋肉が男性の肉体の雄々しさと美しさを強調し、所々に見える浅い傷が戦う男の荒々しさと格好良さを存分に引き立てる燈の体。

 余計な脂肪を付けず、必要以上の筋肉で動きを鈍くすることもない完成された肉体への羨望と、上半身だけとはいえ想い人の裸を見た栞桜は、恥ずかしそうに視線を逸らしそうになったのだが――。


「いやいや、素晴らしいものを見せていただいておりますわ……!」


「うちの屋敷の連中もここまで鍛えてくれてりゃあいいんだけどなぁ!!」


「い、いや、そろそろ止めた方がいいんじゃないっすかね? ほら、俺ってば今、汗臭いでしょうし……」


「そんな些細なこと気にしませんわよ! もう少し、もう少しだけ手慰みを……!!」


 ――そんな燈を囲み、媚びた甘ったるい声を出して会話する女どもの姿を見た瞬間、栞桜の顔は羞恥とは別の感情で赤く染まっていった。


 活動的な雰囲気の褐色肌の女と、陽光煌く金髪を靡かせた女が、口々に燈を褒めそやしてはその距離を縮めているではないか。

 しかも、許しがたいことに……馴れ馴れしくも彼の腹筋やら背筋、三角筋に加えて大胸筋までをもべたべたと触れ回っている始末である。


 何とも羨ましい……もとい、破廉恥なことをしているのだと(先日の自分の行いを棚に上げて)憤慨する栞桜。

 燈もぐいぐい迫ってくる女たちに困惑しているものの、やはり褒められて悪い気分はしないのか、強くは彼女たちの手を拒んでいないようだ。


 四つの手に体を弄られる燈の姿は、栞桜の目にはでれでれと何処の馬の骨とも知れない女と戯れるだらしないものとして映っている。

 実際の所は燈はただただ困惑しており、さりとて桔梗の客を相手に強く出られずにいるだけなのだが、強めの嫉妬の感情を抱く栞桜には、燈が見ず知らずの女たちとの触れ合いを楽しんでいるように見えていた。


「あいつ……! どうして私たちの時のように強く拒絶しない!? 私たち相手には尻まで叩いたじゃないか! しかも素手じゃなくて風呂桶で!」


「うわわわわわっ!? ちょ! あたしに言われても困るんだけどっ!?」


 溢れる嫉妬心をやよいにぶつけ、彼女の胸倉を掴みながらぶんぶんと持ち上げた小さな体を揺さぶる栞桜。

 急激にヒートアップした自分を落ち着かせようと言葉を投げかける親友をそっちのけにして、栞桜が再び燈たちの方へと視線を向ける。


(なんだあいつらは? 何が目的であんな真似を……!?)


 嫉妬の炎を燃え上がらせる栞桜が強く拳を握り締め、苛立ち混じりの感情を抱いた時……ふと、とある天啓が彼女に降りてきた。

 それは最早、直感に等しい感覚。確固たる証拠はないものの、間違いないといえる自分自身の野生の勘。


 というよりも、それは……一人の男を狙う女としての本能的な感覚だったのかもしれない。

 あそこで燈にべたべたと接している女どもは……だ。

 理由はよく判らないが、別に証拠があるわけでもないが、絶対にあいつらは敵で間違いない。


 これぞ、時に超人的な感覚を発揮する女性特有の感覚……である。

 人生初の、そしてこの重大な局面で発現したその感覚に身震いした栞桜の脳が、燈に迫る二人の女をはっきりと駆逐すべき敵として認識した時だった。

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