蒼、くのいちを撃退す

(はは~ん……! ここが蒼天武士団の活動区域だね……!!)


 最初にその領域を見つけたのは、潜入任務を得意とする清香だった。


 自分たちに与えられた離れから最も離れた位置。

 そこには桔梗が彼女たちに足を踏み入れさせたくない何かがあるはずだと踏んでやって来たが……どうやら、その考えは当たっていたらしい。


 会議室と思わしき広い和室と、その先へと伸びる長い廊下。

 微かな物音がすることをくのいちの技能である優れた聴覚で聞き取った清香が息と足音を殺して先へと進んで行けば、突き当りに人の気配を感じさせる部屋を見つけ出すことが出来た。


 ここが蒼天武士団が活動するために桔梗から与えられた区画だとすれば、この襖の先にあるのは執務室とでも言うべき部屋だろう。

 であるならば、ほぼ間違いなく……この部屋の中では、団長である蒼が業務を行っているはずだ。


 その考えが正しいかを確かめるべく、慎重に襖を開け、中を覗き見るだけの隙間を作り出した清香が気配を消して室内を観察する。

 綺麗に整頓される室内と、その中で異様なほどの数が見受けられる書簡を確認した彼女の目が、机に向かって何事かをしている男性の背を捉えた。


(あれが、団長の蒼だね。なるほど、如何にもな真面目くんってところかな?)


 業務がしやすいように整えられた室内と、数えるのが億劫な程の量を誇る書簡の一つ一つに対して丁寧な返事の手紙を送っている様子を見て取った清香が、即座に蒼の性格を見抜く。

 基本的には真面目できっちりかっちりと物事を済ませたいとは思ってはいるが、ある程度の融通を利かせるだけの度量と頭の柔らかさを持ち合わせている人間であると、ほぼ百点満点の答えを出した清香は、くすりと口元を歪めて笑みを浮かべた。


(ふふっ、助かっちゃうなぁ! こういう手合いは、本当に女に弱いんだよねぇ!)


 真面目な男というのは、大概が女に対する免疫を持ち合わせていない。

 それは女遊びなど論外だという生来の生真面目さが所以である経験の少なさが災いした結果で、そういう人間こそ、一度女の味を覚えてしまうとそれにぞっこんになってしまうのだ。


 柔らかく、甘く、温かい女の体を知ってしまえば、そういった火遊びを知らない男は面白いように坂を転げ落ちていく。

 頭の中は女のことで一杯で、仕事も手につかなくなり、いつしかその味を求めることばかりを考えるようになってしまう。


 清香は、そんな男を山ほど見てきた。否、自分の手で何人も生み出してきた。

 男を手玉に取り、その欲を支配し、自分の命令を何でも聞く奴隷へと堕としてきた彼女にとって、女の味を知らない蒼は格好の獲物だ。


 その気になれば今すぐにでも仕込みを済ませてやりたいところではあるが……今は駄目だ。

 何事に関しても、初対面の印象というものは大きくその後の人間関係に影響する。特に蒼のような真面目な人間はそれが顕著だ。


 今、仕事をしている彼の前に飛び出し、誘惑を行ったとしても、彼はそれを喜ぶどころか迷惑がるだけだろう。

 蒼は今、蒼天武士団に関わる仕事をしている。それを邪魔されることを真面目な彼が喜ばしく思うはずがない。

 それは即ち、初対面の清香に悪印象を抱かせることに繋がるわけで、そういった印象を抱かせてしまうと今後の任務に支障をきたしてしまうわけだ。


 だから、ここは退く。ここで勝負を仕掛けても何の利益もなく、害しか生まれないから。

 蒼に対するアプローチは、ある程度彼との親交を深めてからでいい。

 自分に対する警戒心を薄れさせた状態で、彼が仕事を終えて癒しを求める際に、それを見計らった状態でするりと心に忍び込めばいいのだ。


 一度気を許してしまえば、ああいう手合いは相手のことを深く信用する。

 そこから、今度は女として自分のことを意識させてやればいいのだと……そう、頭の中で計画を組み上げた清香が、襖を閉じようとした時だった。


「はい、動かないでね。妙な動きをしたら、首を搔き斬るから」


「っっ!?」


 ちゃきっ、という金属が鳴る音と共に、首筋に触れる冷たい感触。

 それが苦無の刃であることに清香が気が付いたのと、背後から声が響いたのはほぼ同時であった。


(わ、私が背後を取られた!? そんな、馬鹿な!?)


 意識を蒼の方に向けていたとはいえ、くのいちである自分がそう易々と背中を取られることなど信じがたいことだ。

 警戒は払っていたし、周囲の気配も探り続けてはいた。

 それらを掻い潜り、自分の背を取ってみせた少女の声に戦慄を覚えた清香であったが、即座にこの場を切り抜けるための対応を頭の中で練り上げていく。


 正直に何もかもを話すというのは論外だ。だが、この腕利きの少女に苦し紛れの嘘が通じるとも思えない。

 最も楽に、かつ確実にこの場を切り抜ける方法があるとすれば、この襖の先にいる蒼に自分たちの存在を気付かせることだ。

 無邪気な少女を装い、屋敷の中を探検していたら人の気配を感じて、ついつい覗き見をしてしまった……違和感を感じさせない言い訳としては、これが最上のものだろう。


 しかして、それでも完璧に警戒を解かせることは出来ないだろうし、そもそも先程述べた初対面の印象としては最悪に近しいものを蒼に抱かせてしまう。

 大声で悲鳴を上げ、蒼以外の人間にもこの状況を知られてしまっては他のくのいちたちにも迷惑をかけるかもしれない。


 だが、これ以外にもう切り抜けられる方法がないと判断した清香が、襖の向こうの蒼に気付いてもらうための大声を上げようとした時だった。


「……別にいいよ、やよいさん。彼女には、僕たちに危害を加える意思はないみたいだ」


「……ん、わかった」

 

 襖の先から聞こえた声に清香が驚く中、首筋に当てられていた苦無の刃がすっと外された。

 同時に、小さな手が目の前の襖を開き、その先にある光景を露わにすれば、大きな溜息を一つこぼした蒼が、こちらを振り向く様が清香の目に映る。


「団員の非礼をお詫びしましょう。しかし、武士団の中核とでも呼ぶべきこの部屋を覗き見するのは、あまり褒められた行いではない。刺客か忍びの者と思われても致し方ないことだということを、肝に銘じておいてください」


「は、はい……」


「……まあ、あなたに殺意がないことは理解していました。だからこそ彼女を止めたわけですが……これに懲りたらもう覗きなんて趣味の悪いことはおやめになってくださいね?」


「わ、わかりました……」


 気付かれていたのか、と蒼に自身の存在を気取られていたことに愕然とすると同時に、身柄を拘束されかけたことに激しい屈辱を覚える清香。

 警備の存在を感じ取ることが出来ず、まんまと背後を取られてしまったことはくのいちとしてこれ以上ないほどの失態だ。

 加えて、幼い外見が幸いして見逃してもらえたことは幸運ではあるが、それが逆に彼女のプライドを大きく傷つけることとなってしまっていた。


(なんという、失態……! これじゃ、もうこの男の警戒心は解けない……!!)


 ぐっ、と拳を握り締め、懸命に悔しさを噛み殺しながら、清香は自分が蒼を堕とす目が潰えたことを感じていた。

 先も述べた通り、真面目な人間ほど相手の第一印象を重視する傾向がある。

 短期間で相手の心の中に踏み入るのならば、初手から良い印象を感じさせる必要があるというのに、出会いが覗き見をしていた不審者とくれば、蒼の警戒を解きほぐして心の中に忍び寄るという行為は、ほぼ不可能としか考えられない。


 ぬかった、と思うと同時に、これが蒼天武士団の団長かとも感服してしまう。

 この部屋の襖を開けた時点で、自分の敗北は決まっていたのだと……そう理解した清香が、大人しくこの場を去ろうと振り向いた時だった。


「蒼くんが優しくて良かったね! でも、もう二度とこんなことしちゃだめだよ!」


「っっ……!!」


 ようやくそこで、清香は自分の背後を取った人物と対面することが出来た。

 そして、その相手が自分とそう背丈の変わらない少女であることに愕然とし、少し視線を下に向けて彼女と自分との大きな差に驚愕を通り越した衝撃を受けた彼女は、ごくりと喉を鳴らして息を飲む。


(か、勝てない……! こいつ、完全に私の上位互換だ!!)


 忍としての腕前はまだしも、この如何ともし難い驚異的な胸囲の差はどう足掻いても埋めることは出来ない。

 無論、人によっては清香の方が好みだという者もいるだろうが……これを常に身近で見ている蒼が、清香ので欲情する姿が想像出来ないことは確かだ。


 完敗……完全敗北の文字が頭の中に浮かぶ。

 がっくりと肩を落とし、戦意を喪失した彼女に向け、やよいは蒼に聞こえぬよう、彼女の耳元で脅し文句を囁いた。


「……でも、次はないから。今度怪しい真似をしたら……知らないよ?」


 最早オーバーキル状態になっているが、やよいとしてはそれくらいでちょうどいいと思っている。

 というより、清香が抱いている敗北感を知るはずもない彼女からすれば、これは必要な念押しだという考えであった。


 そうやって、とぼとぼと立ち去る清香の背を見送った後……こほんと咳ばらいをしたやよいが、蒼を皮肉るように口を開く。


「蒼くんは優しいね~。何を考えてるかわからない相手を、みすみす逃がしちゃうんだもの。あたしには真似出来ないよ~」


「うぐっ! べ、別にいいじゃない。桔梗さんのお客さんに、必要以上の危害は加えるべきじゃないでしょ?」


「それだけ? なんかもっと、他の意図があるわけじゃないよね? ああいう娘が好みだから、恩を売っておいて後でほにゃほにゃしよう~、とかさ」


「そんなわけないでしょ! まったく、僕をなんだと思ってるのさ……」


 やよいを一喝した後、ぶつぶつと文句を言いながら仕事に戻る蒼。

 そんな彼の背中を見つめながら、やよいは納得したように再び言葉を漏らした。


「まあ、それもそっか。蒼くんがそんなあくどいことをしようと思っても出来るはずないし、ぺたんこが好きなら涼音ちゃんに手を出してるもんね」


「……色々言いたいことはあるけど、絶対に涼音さんに同じこと言わないようにしなよ。僕、仲裁しないからね」


 自分に対する暴言じみた言葉を突っ込むより、今の発言は涼音にだけは聞かれたくないなと思いながら、蒼はすらすらと書面に筆を走らせていく。

 ここまで平然としていられるのは、普段のやよいの悪戯のせいだよという言葉を飲み込んだまま、彼はただただ業務をこなしていくのであった。

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