潜入

 くのいち集団・紅頬が桔梗の屋敷を訪れたのは、奇しくも露天風呂でのあの騒動が落ち着いた翌日のことであった。


 女領主から預かった大量の金品を土産に、身形のいい貴族風の出で立ちで変装している一行は、自分たちの中から最も大人びた雰囲気の女性が代表として、出迎えてくれた桔梗との交渉の真っ最中だ。


「ふむ、母親に私の作った着物を贈りたい、ねぇ……」


「桔梗先生の御高名は私たちの耳にも届いております。当代一の仕立て屋であるあなたの手で作られた着物を、母の記念日に贈りたいのです」


 そう言いながら、自らの豊満な胸元から衣類の内側に手を突っ込んだ彼女は、多額の報酬が納められた包みを取り出し、それを桔梗の方へと差し出す。

 包みを開き、その中に輝く黄金の小判を見せつけた彼女は、おもねるようにして桔梗へと仕事の依頼を頼み込んだ。


「我々姉妹一同で集めたお礼の品です。どうか、この仕事を請けてくれないでしょうか?」


「……ふむ」


 仕事一つとしては破格の金額を提示された桔梗の唸りが小さく響く。

 小判をじっと見つめていた彼女は、それ以上は何も発しないまま、今度は視線を五人の女性たちへと向けた。


(……怪しいね。どうにも油断ならない奴らだ)


 女としての直感とこれまで修羅場を潜り抜けてきた経験が、この女たちには何か隠された目的があると警鐘を鳴らしている。

 立ち振る舞いや言葉遣いこそは普通の町娘、あるいは貴族のご令嬢といった風を装っているが、拭えない違和感がちらほらと見受けられることも確かだ。


 仮に彼女たちが本当にただの貴族の娘だった場合、護衛もなしに女五人だけでこの昇陽までやって来るだろうか?

 そもそも、母への贈り物を桔梗に依頼するだけならば、今自分と話しているこの女が一人で来れば済む話であり、わざわざ姉妹が揃って訪問する必要もない。


 着物一着としては高過ぎる報酬の額だとか、姉妹だと自称する割には似ていないこの五人組の顔だとか、疑念を持って見れば怪しく思えるところが数多く見受けられている。


 怪しい……物凄く、怪しい。

 桔梗は弟子たちが作り上げた蒼天武士団の名が広まったこの時期に自分の下を訪れたこの怪しげな女五人組に対する疑いを強めていく。

 その疑いを、懸念を、燈と蒼の引き抜きという目的を隠している紅頬の面々もひしひしと感じ取っていた。


(このばばあ、思っていたよりも勘が鋭い。くそっ、金で釣られてくれると思ったのに……)


(敢えて高額の報酬を用意したことが仇になったな。さて、どうしたものか……?)


 仲間扮する長女の背に隠れた他の面々が、視線で言葉を交わす。

 燈たちと接触するにも、まずはこの屋敷に潜入しないと始まらない。

 そのためには桔梗に仕事を請けてもらうことが大前提なのだが、彼女の疑いの目は相当に厳しそうだ。


 流石にここで実力行使というわけにもいかず、さりとて上手いこと桔梗の疑いを晴らす方法も浮かばない彼女たちは、僅かに焦りを感じ始めるが……そんな彼女たちを助けるために、救いの神が姿を現した。


「いいじゃないか、桔梗。そのくらいの仕事、請けてやれ」


「んん……?」


 部屋の外から聞こえた男性の声に一同が視線を向ければ、襖を開けて何処か格好つけた雰囲気の宗正が姿を現す。

 余裕たっぷりの大人としての立ち振る舞いを見せる彼は、可愛らしい客人の依頼を受けるよう、桔梗を説得し始めた。


「母親のためにわざわざ自分たちがここまで足を運んでお前に仕事を頼みにきただなんて、泣かせる話じゃないか。ちょうど燈たちの羽織も作り終わって暇だろうし、これだけの対価が貰えるのなら、悪くない話だろう?」


「いや、だが、しかしねぇ……」


「まあまあまあ、そう思い悩む必要もあるまいて! ここまで礼を尽くしてくれたお嬢さん方を無下に扱えば、お前の名にも傷が付きかねんだろう? いいじゃないか、いいじゃないか! なあ?」


「……あんた、まさか……」


 異様にテンションの高い宗正の態度を訝しんだ桔梗は、口の端をひくつかせて怒りと呆れの入り混じった感情を表情に映す。

 よもやそんなことがあり得るはずがないと思いたいが……自分の知る宗正の性格からしても、この考えは間違っていないのだろう。


 その証拠に、今まで自分と話していた女性からしな垂れるようにもたれ掛かられてた宗正は、彼女の豊満な胸が腕に当たる感触に嬉しさを隠しきれていなかった。


「ああ、ありがとうございます。なんと心の広いおじさまでしょう……私、好きになってしまいそうですわ……!」


「うひょおっ! ……ご、ごほん! 馬鹿を言ってはいかんよ、お嬢ちゃん。わしのような老いぼれをからかうもんじゃないわい」


「ご迷惑でしょうか? 幼い頃に父を亡くしてから、どうにも父性というものに弱くて……」


「おひょ~っ!? な、なるほど、父親のぉ! それは不憫なことじゃ。こんなわしでよければ、好きに甘えるが良い!」


 ……でろ~んと鼻の下を伸ばし、だらしない表情を浮かべる宗正。

 女にだらしなく、昔から少しでも気に入った女性を見ればすぐにちょっかいをかける彼の性格を知っている桔梗は、時を経ても変わらないその悪癖に深い溜息を吐いた。


「なあ、いいじゃないか。目くじら立てるようなことじゃないし、仕事の一つや二つ、請け負ってやれよ」


「……はあ、仕方がないねえ」


 こうなったら仕方がない。仕事を断ったとしても、彼女たちが宗正を利用して自分の目の届かないところで何か動きを見せる可能性がある以上は、いっそこちらが監視出来る状況下に置いてしまった方が良いだろう。

 渋々といった様子で仕事を請け負うことを承諾した桔梗の態度にぱあっと輝くような笑みを浮かべた女性は、調子に乗って更に一つの条件を付け加えてきた。


「ありがとうございます! ……あと、とても勝手なことだとは思っているのですが、着物が完成するまでの間、この屋敷に泊めていただくことは出来ないでしょうか? 細かな注文や要望を即座に伝えられるようにしておきたいので……」


「なんだ、その程度なら大丈夫じゃよ! この屋敷、無駄に広いから部屋は余っておるしのぉ! なんだったら、わしの部屋で一緒に夜を過ごすか?」


「うふふ! お戯れがすぎますわよ、おじさま」


 屋敷の主を差し置いて勝手に申し出を快諾してしまった宗正へと怒りを込めた視線を向けながら、桔梗がこの女たちの目的を考察する。

 物盗りが目的ならば金品を差し出す必要はないし、ここまで回りくどいことはしない。

 何者かの暗殺が目的ならば顔を晒すことはおかしいし、これもあり得ないだろう。


 ということは、自ずと目的は絞られてくる。

 この屋敷内の誰かと接触することと、その上で何かを行おうとしていることはほぼ間違いなかった。


(一応、警戒を促しておくか。何が目的かわからない以上、油断するのはよくない)


 もう既に一人、目の前で油断し切っている顔馴染みがいることは置いておくことにした桔梗が、すっくとその場で立ち上がる。

 そうして、暫しの間この屋敷で共に過ごすことになってしまった女性たちを連れ、彼女たちを寝泊まりする場所へと案内していった。

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