お説教する燈くん

「お、前ら、なぁ……!! いい、加減にっ……!!」


 そして、ぐつぐつとした感情が煮え滾った燈の声を耳にした三人は、背筋に走る甘い痺れにぴんと体を伸ばす。

 興奮と、情欲と、怒りと……そういった感情が入り混じり、滾りを感じさせる燈の声色が、彼女たちに大きな期待を抱かせた。


 ここまで彼を追い込み、駆り立て、本能を刺激し続けたのだ、燈の理性が崩壊したとしても何らおかしいことではない。

 問題は、彼がここから誰を選ぶか? 自分たちのうち、誰に最も女性としての魅力を感じているのかという部分。


 こればっかりは燈の趣味嗜好によるものだから、彼自身の判断に任せるしかないが、栄誉ある一番槍を望む気持ちは、三人が共に一緒だった。


 恨みっこなし、一回限りの大勝負。

 ぐっ、と息を飲み、腰を浮かせ、燈が選ぶのは自分でありますようにと、強く目を瞑って審判の時をただ待つ三人に対して、ゆっくりと燈が腕を伸ばす。

 眉間に青筋を浮かばせ、呼吸を荒くして、鋭い眼光を彼女たちに向ける燈は、大きく息を吸い込むと……咆哮を上げながら、その感情を解き放った。


「いい加減に……っ! そのケツ、しまえっ!!」


「はひっ!?」


「あれぇっ!?」


「んぁ……!?」


 べちんっ! ぽこんっ! かーんっ! という間抜けな音に次いで、気の抜けた三人の悲鳴が響く。

 不意に尻を叩かれたこともそうだが、そこに触れたものから人の肌の感触を感じられなかった三人が驚いて振り向けば、そこにはもう何もかもを開き直った様子の燈が、右手に風呂桶を手にして怒り心頭といった表情を浮かべている姿があるではないか。


「……お前ら、そこに直れ。いつまでも人に尻向けて突っ立ってんじゃねえ!」


「あ、あの、燈くん? 今、そういう話をする場面じゃあないような……?」


「いいから正座しろ、ボケっ!! 色々と突っ込みたい部分はあるが、取り合えず話を聞けっ!!」


「……突っ込みたいのなら、突っ込めばいいのに。特に、股間のそれとか……」


「おぉ? 今、何か言ったか? 俺じゃなくて百元さんに説教してもらうか、涼音?」


 涼音の呟きも聞き漏らさず、怒りの表情のままに脅すような問いかけを投げかける燈。

 その様子から、彼が欲情しているのではなく本気で怒っていることを察した三人は、慌てて言われるがままに露天風呂の床に正座して、彼と向き合った。


「よし、それでいい。……あのなあ、お前らまだ、十代の花も恥じらう乙女なわけよ? そんな娘さんが乳尻放り出して男に迫るって、おかしいと思わねえの? もうちょっと……っていうか、普通の慎みとかを持てって!」


 股間の武神刀を抜刀し、その鞘となることを望む三人の美少女を前にしたこの状況で、まさかのお説教。

 事に及ぶどころか、素手で自分たちの体に触ろうともしない燈の態度に若干の不満を抱きつつも、その剣幕に圧される三人は何も言えないようだ。


 それでも、まあ、どうにかして反撃を試みようとしたのか、よせばいいのに涼音がぼそりと呟きを漏らす。


「とか言いながら、燈だってしっかり勃ってる癖に……」


「あ? 当然だろうが!! 健全な青少年がなあ、あの状況で反応しないわけないんだよ! ってか、むしろあそこまでよく保ったと褒めてほしいぐらいだわ! あと少しで悟り開けるレベルにまで達してたっつーの!!」


「あ、あの、じゃあ、責任取るためにも、私たちにお相手を――」


「てめえもまだわかってねえのか、椿っ!? 俺はそういうのを望んでねえの!! 勝負の条件から外れてるってんなら、俺が興奮しちまったとしてもお前らに相手してもらおうとは思わねえの!! わかるか、この理屈!?」


 本気の燈に怒鳴られたこころがガクガクと首を縦に振る。

 少しずつ、熱に浮かされていた思考を冷静にさせていった三人は、どうやら自分たちが打つ手を間違ったということに気が付いたようだ。


 しかし、そうなったところで後の祭り。燈の燃える怒りの炎はそうやすやすとは鎮火しそうにない。

 取り合えず、大人しくお説教を聞くべきだと判断したこころたちは、しゅんと項垂れながら燈の言葉を拝聴していった。


「途中まではまあいいさ! きちんとお前たちの気持ちに応えられない俺にも負い目があるから、勝負に関する部分までは容認するよ! でもな、最後のあれは駄目だろ!? 常識で考えろよ、色ボケども!!」


「……あの状況で手を出さない燈は、常識の範囲内にいるの?」


「露天風呂の出入り口を塞いで男に向かって尻を突き出す奴に言われたくねえな!! っていうか、そもそもお前が風呂場の立て札を外すっつう常識破りをしたからこうなったんだろうがよ!!」


「こ、これでも、一生懸命勇気を振り絞ったんだけどなあ……」


「状況とタイミングを考えろっての! 俺の立場になってみろ。仲間から三人揃って尻を突き出されても、わーいやったー! とはならねえだろ!? むしろドン引くわ! ……おい、栞桜! さっきからなんも喋らねえけど、お前反省してんのか!?」


「うぅぅ……ごめんなさい……。私も、冷静じゃ、なかった……」


「ようし! お前は素直だな! 取り合えず教訓として、一時のテンションに身を任せる奴は破滅するってことをよ~く胸に刻んどけ! それともう一つ……俺はな! 自分を安売りするような女が大っ嫌いなんだよ!! もっと自分のことを大切にして、その価値を理解してからこういうことをしろ! 絶対に男に向けて、自分を使え、なんて言うんじゃねえぞ! わかったか!?」


「は、はい……」


 自爆も自爆、大爆発。

 大胆さと無遠慮さをはき違えた三人の行いは、どうやら燈の逆鱗に触れてしまったようだ。


 先程の行動を咎められたばかりか、そんな女は好みではない燈から強く拒絶されてしまったこころたちも、これには流石にショックが隠せない。

 正論でタコ殴りにされているので不用意に反論も出来ないし、そもそも自分たちの行動が原因であるので何も言い返す権利を持たない三人へと、なおも燈が説教の言葉を口にし続ける。


「そもそもなあ! さっきまでのお前らの姿、親御さんや師匠たちに見せられるか? 一生懸命面倒を見てきたってのに、お前らがこんなふしだらな真似をする女に育っちまったって知ったら、絶対に悲しむぞ!!」


「……ああ、全くだよ。坊やの言う通りさね。坊やが仁王様を反り立たせてなけりゃ、心の底から同意出来たんだけどねぇ」


「そうでしょうよ、桔梗さん! ……ん? 桔梗さん……!?」


 ぴしりと、この場に存在しないはずの人間の声を耳にした燈の表情が凍り付く。

 脱衣所の方へと顔を向けた彼がおっかなびっくりして、手にしていた風呂桶で股間を隠す様を見た少女三人組は、彼以上の恐怖に心を包まれる羽目になった。

 特に、栞桜の怯えっぷりは尋常ではなく、もう既に絶望的な表情を浮かべている。


 ギギギギギ……と、ぎこちない動きで振り返っていく首。

 そちらを向きたくはないのだが、何か不思議な力で体の動きを支配されているかのようにして振り返っていったこころたちは、開いている脱衣所の入り口に立つ三人の人影を見て、風呂の温度と興奮で赤らめていた顔色を真っ青にする。


「やっほー! じゃましちゃってごめんね! でも、流石に副団長としては、これ以上の風紀の乱れは見逃せないからさ……助っ人、呼んできちゃった!」


「や、やよい、ちゃん……?」


 にこにこと笑いながらこちらに手を振るやよいの姿が、こころの目には悪魔に映っていた。

 ついさっき、蒼に膝枕をしながら共に眠っていた時の聖母のような様子とは真反対の姿を見せる彼女ではあるが、その行動自体は何も間違っていない。

 全部、こころの被害妄想である。


「涼音、僕は悲しいよ。やはり、僕には人を育てる才能がなかったみたいだ……」


「せ、先、生……そ、そんな、ことは……」


 弟子の醜態というか、痴態を目の当たりにした百元が涙を見せながら言う。

 ある意味では嵐以上に教育に失敗した弟子の有様に大いに悲嘆する彼の姿に、流石の涼音も心が痛んだのか、珍しく慌てた様子を見せていた。


「おば、おばばばばば、あばばばばばばばば……!?」


「……言い訳は聞かないよ、栞桜。燈坊やに代わって、私がたっぷりとあんたの尻を引っ叩いてやろうじゃないか!」


「ひぃぃぃぃぃっ!?」


 そして、この中で最も怒り狂っている桔梗からの宣言に、栞桜の悲鳴がこだまする。

 段階をすっ飛ばし、やよいよりも問題の多い行動を見せた彼女にはみっちりと教育が必要だと、そう眼差しで語る桔梗の姿は、威圧を受けていない人間からしても恐ろしく見えた。


「安心して! このことは蒼くんには黙っておくから! っていうか、報告したら卒倒しちゃいそうだし!」


「あ、ああ、うん……ありが、とう……?」


 そうして、ぱちーんとウインクを飛ばしてそう告げるやよいへの反応に困った燈が気の抜けた感謝の言葉を口にする中、こころたちがそれぞれの相手に引き摺られ、露天風呂を後にしていく。

 ちょっとした地獄絵図だな、と考えながらただ一人放置された燈は、もう一度湯に浸かり直し、興奮が鎮まった後で風呂から上がると、何も知らずに居間できょとんとしている蒼と合流した。


 こうして……燈の露天風呂大騒動は、幕を閉じた。

 ……のだが――

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