涼音

「ふ、ふ……! そろそろ、緊張感も解れたでしょう? こころには、感謝してる。いいお膳立て、だった……」


 深く息を吸い、吐く。

 ただそれだけの行動なのに、燈の目には涼音の姿が非常に色っぽく映っていた。


 つい今の今までこころのアピールを受けていた興奮が、まだ冷め切っていない。

 意識に残る熱が、徐々に追い付いてきた興奮が、燈を未だかつてない危機に陥れようとしている。


(この、勝負……!! 時間が経てば経つほど、俺が不利になるじゃねえか!!)


 連戦であることを失念していた、あるいは、考えもしなかったが故のピンチ。

 女性陣たちとのこの勝負は、先鋒よりも後詰の方が勝利の可能性が上昇するということに燈は今気が付いた。


 誰よりも早く燈に仕掛け、彼を独占するチャンスを得るか?

 先鋒のアピールを燈が耐え切ることを信じ、その後の駄目押しで確実に勝利を得られる可能性を取るか?


 こころは前者を選び、涼音は後者を取った。

 冷静さというか、計算高さを感じさせるその行動に戦慄する燈へと、涼音は小さな笑みを浮かべながら言う。


「急いては、事を仕損じる……慌てず、騒がず、確実な機会を待つ。そして、それを逃がさないことこそ、必勝の掟……!」


「おぅ……っ!?」


 上半身を燈に預けるように、彼の胸へと飛び込んだ涼音の緑色の瞳が、きらりと光った。

 その奥にある獰猛さと、このチャンスを逃しはしないという覚悟の炎に身を竦ませた燈の首筋へと、彼女が唇を当てる。


「ふぅ、ん……っ」


「ひょえぇっ!?」


 小さくなる唇の音と、ざらりとした舌の感触に素っ頓狂な声を上げる燈。

 数度、自分の唇を触れさせた位置を舐めた涼音が、最後まで舌先でそこを刺激しつつそこから口を離すと……燈の首筋に、彼女が付けた赤い痣がくっきりと残る様が目に映る。


 それを彼に意識させるように、彼が自分のものであることを示すかのように、占有のキスマークを付けた涼音が、今度は喉へと舌を這わせていった。


「ふ、ふふ……っ! ふふふふふふ……!」


「うぉぉ……っ! ちょ、くすぐってぇって!!」


「それが、いいんじゃない。反応が可愛いから、やめたくなくなっちゃう……」


「ぐぅっ!?」


 こそばゆくちりちりと皮膚を焦がすようなじれったい舌の感触が燈の背筋を痺れさせていた。

 猫のようにざらついた舌で敏感な首筋を舐める涼音は、燈の一挙手一投足を楽しむかのように緩急をつけ、舌の押し付け具合も変えて、彼を弄んでいる。


 これが犬か猫のじゃれつきだったならば、燈も緊張などしなかっただろう。

 しかし、これをやっているのは裸の美少女で、超至近距離から自身の裸体を惜しげもなく晒しての行動なのだから、どう足掻いたって意識はしてしまう。


 自分の体の感触を伝えるようにして、彼に体を触れさせていたこころとは真逆。

 彼の体に触れ、その熱を伝えることで興奮を促そうとする涼音の攻撃に、燈は見事に翻弄されてしまっていた。


「……私ばっかり触ってるのはずるいわよね? いいわ、燈にも触らせてあげる……」


「うぇっ……!?」


 そうやって、燈を追い詰めていく涼音は、その攻めの手を次の段階へと押し進めた。

 宙ぶらりんになっている燈の両手を取ると自分の腰骨の辺りへと運び、そこを掴ませる。


 細く華奢な涼音の腰と、こころ同様に指に吸い付くようなきめ細かな肌の感触にドギマギする燈であったが、そんなものは序の口であるとばかりに涼音は更に大胆な行動を取った。


「まっ!? ちょ、おまっ!!」


「大丈夫。大事な場所には触れない、その約束は守るから……」


 自分も、燈も、相手の最も大事な場所に触れたり、触れさせたりはしない。

 男と女の違いがはっきりと見て取れる股間部分に触れるのは禁則であると、そのルールは破らぬことを前提とした涼音が取った行動は、その逆の位置にある部位への誘導だった。


 腰から、太腿へ……細くとも肉は付いているそこの感触を燈に確かめさせながら、今度は手を斜め上方向へと誘導する涼音。

 そして……その先にある柔らかな山であり、渓谷でもある部分を掴ませるように、そこへと燈の手を押し付けた。


「うおっっ……!?」


 指先が埋まる程の柔らかさに、これまで触れてきた涼音の体とのギャップが凄まじいその蕩けそうな質感に、燈が驚嘆の声を漏らす。

 筋肉の感触が少ない涼音の臀部は、その小ささも相まって燈の手にすっぽりと覆われてしまうような雰囲気を醸し出している。

 中央に走る割れ目に指を当て、そこを中心として左と右の尻肉をがっしりと掴んでやれば……それだけで、彼女の臀部全てを掌握したような錯覚に襲われてしまう。


 その行動を促すように、開いたままの燈の手を撫で、指の一本ずつを折り曲げていく涼音の口元には、小さいながらも確かな愉悦の笑みが浮かんでいた。


「どう? 悪くない、でしょ……? 胸はからきしだけど、こっちには自信がある……柔らかくて揉みやすい、いいお尻でしょう?」


「ん、お、おぉ……!?」


 親指、人差し指、中指、薬指、小指……と、自分の指が徐々に涼音の尻に沈み、弾力を伴う柔らかさを感じていることに燈が妙な声を漏らす。

 その反応に満足気に微笑んだ涼音は、ずいっと顔を彼の耳元に近付けると……これまでの人生で他の誰も聞いたことがない、熱と色香を帯びた呟きを放った。


「燈は、肉付きが良いのが好み? なら、いっぱい触れてほしい……♡ お尻も、おっぱいも、あなたに可愛がられて育つから……あなた好みの体にして構わないわ、燈……♡」


 彼の官能を引き出すように、敢えて卑猥な言葉を選んで口ずさむ。

 一から十まで、自分の肉体を好みに変えていいと告げる涼音の呟きを耳にした瞬間、燈の脳は沸騰するくらいの興奮に襲われた。


 まるで機関車のように、頭から煙が立ち上っているのではないかと思えるくらいに顔が熱い。頭がぼーっとする。

 唯一の救いはその熱が下半身まで伝播していないことだが、それも時間の問題だろう。


 このままでは敗北は必至。避けられぬ運命だ。

 どうにかしてそれを回避せねばならないと思いながらも、どうすればこの苦境を脱することが出来るのかが判らないでいる燈の手が、指が、ほんの僅かに強張りを見せた時だった。


「んっっ……♡」


「!?!?!?」


 耳元で、とても悩まし気な涼音の声が響いた。

 官能さに満ち溢れたその声は燈の興奮を大いに煽るものであったが、同時にとある可能性を見出した彼が、それを確かめるべく涼音の顔へと視線を向けてみると――


「ん、んぅ……? ふっ、ふぅ……っ!?」


 そこには、今まで見たこともない色気に彩られた表情を浮かべる涼音の姿があった。


 自分でもどうしてあんな声を出してしまったのかが判らないとでもいうようなその表情と、戸惑いがありありと浮かび上がっている様子を見て取った燈は、自分の予感に確信を抱く。


 攻めに攻め続けている涼音だが、実は守りは脆い。

 精神的な意味合いではなく、肉体的な意味で、攻められると弱いのだ。


 そんな確信を得た燈が駄目押しの確認のために罪悪感を抱きながら涼音の尻を揉むようにして手に力を込めてみれば……びくんっ、と仰け反った彼女の口から、消え入りそうな悲鳴が飛び出したではないか。


「ん、あぁぁ……っ!? はっ、はぁ……っ!?」


 涼音の呼吸は荒くなり、表情に浮かんでいる戸惑いの感情も強くなる。

 感覚が鈍いはずの臀部から伝わる鋭敏な快感が、そのあまりの強さが、彼女の予想を遥かに超えていることは確かであった。


(いける、か……? これなら、もしかしたら……!!)


 僅かに見えた光明。この状況を切り抜ける、微かな可能性。


 それは、燈にとっても大きなリスクを孕んだ選択肢でもある。

 だが、このままじっとしていても自分の敗北は避けられないことを悟っている彼には、その可能性に賭ける以外の方法は存在していなかった。


(悪い、涼音っ!!)


「はぁっ♡ あ、ぅぅんっっ♡」


 燈は心の中で謝罪の言葉を口にしてから、両手に力を込め……涼音の小ぶりな尻を揉み始めた。

 僅かな筋肉と脂肪によって形作られたそこは、燈の手の動きに合わせて揺れ、歪み、反発しを繰り返している。


 燈の手の挙動一つ一つに、臀部の反応毎に……涼音の口からは、色っぽい声が飛び出してきた。

 徐々に音量を増していくその声に燈自身も興奮を覚えながら、懸命にそれを押し殺して愛撫を続ける。


 こころとの勝負は、彼女が先に腰砕けになったことで決着がついた。

 ならば、涼音とのこの戦いもそれで切り抜けるしかないと、先に彼女を先頭不能にするしか道はないと、そう判断した燈は、不器用ながらも必死の攻めを続けていく。


 突如として反撃を始めた彼の行動と、それによって齎される未知の感覚に襲われた涼音は、今や彼の肩に乗せていた両手を離し、自分の口を塞いで懸命に声を堪えようとしていた。


「んん~~っ♡ んっ♡ んんんん……っっ♡」


 どちらが攻めているのか、判らなくなっている。

 涼音の体を弄る自分が彼女を攻めているのか、悩まし気な嬌声を懸命に堪えようとして出来ない艶姿を見せることで涼音が自分を攻め立てているのか、燈には判断がつかなくなってしまっていた。


 それでも……全身に満ちようとする熱を抑え、涼音の体が汗ばみ、一層の熱を帯びたことを両手から感じ取った燈は、最後の一撃とばかりに右手の人差し指を彼女の尾骶骨に当て、背筋を沿うようにしてそれを走らせる。


 つーっ、と腰から脊髄を駆ける電気信号のような快楽に、ずっと閉ざそうとしてきた涼音の口が開いた。

 弓のように体をしならせ、慎ましやかながらも確実に存在している胸の膨らみを主張するかのように体を反らせ……今まで我慢してきた分の声を解放するかのように、喉の奥から絞り出した嬌声が露天風呂に響く。


「はぁぁぁぁぁ……っ♡」


 声を震わせて喘いだ涼音の体が、そのまま背後へと崩れ落ちる。

 その背を支え、腰に手を添えて、硬い露天風呂の床に彼女が倒れ込まぬようにした燈は、そっと涼音の体を地面に横たえさせた。


「……これで終わり、だよな? 勝負は俺の勝ちでいいんだよな?」


「う、うん……」


 味わった快楽の甘さに恍惚としている涼音に代わって頷いたこころの姿に、燈は内心でガッツポーズを取る。

 本当に……厳しく、苦しい戦いだった。

 一時は敗北と死を覚悟したが、それを切り抜けてみせた自分自身を誇りに思いつつ、平静を装った燈が床にへたり込む二人へと声をかける。


「んじゃ、今度こそ俺は出るぞ。ちゃんとお前たちの気持ちを受け止められるよう、努力するつもりだ。だから、もう少しだけ俺に時間をくれ」


「………」


 納得したような、そうでもないような、そんなこころの無言の頷き。

 その表情に、男らしくはっきりと想いに応えられない自分自身への不甲斐なさと罪悪感が募るが、今はこれが最上の選択だと信じて、燈が露天風呂を後にしていく。


 後ろを振り返ることなく、ただ前だけを見て……脱衣所へと続く扉を目指して歩みを進めていた燈の足が、急に止まった。


 同時に、彼の体がびくりと跳ねる。

 自分を押し留めるように、腹筋に両腕を回して背後から抱き締める何者かの存在を悟った燈は、同時にそれが誰であるかも判別出来ていた。


 背中に触れる、規格外の巨大山脈。

 二つ連なった形の良い山々が、むにゅりと擬音を鳴らすようにして自分の背中に押し付けられている感覚に鎮まり始めていた興奮を再燃させられた燈は、長いこと油を差されていないブリキ人形のようなぎこちない動きで背後を振り返り、口を開く。


「栞、桜……? お前、何やってんだ……?」


「………」


 燈の肩に顔を乗せるようにして俯いたまま、彼を抱き留める栞桜は何も答えないでいる。

 ただ腕にしっかりと力を込め、これ以上燈を先に進ませないとばかりにその動きを阻害したまま、彼女は自分の女としての部位を彼に押し当て続けていた。


「な、なあ? お前は、椿や涼音とは違うだろ? 俺のことなんて、なんとも思ってねえだろ? お前が今、何か妙な想いを抱いてるとしたら、それはこの雰囲気に当てられただけなんだよ! だから、な!? わかるだろ?」


 これ以上は、本当にマズい。

 こころ、涼音との勝負だけでもギリギリだったのに、ここで栞桜まで相手をする羽目になったらそれこそお終いだと、燈は懸命に彼女を説得して、腕を離すように言う。

 しかして、栞桜は地蔵のように動かぬまま、燈のことを抱き締めるだけだ。


 先程までの二人の過激なアピールに比べれば、ただ密着しているだけの現状はまだ生温い……はずがない。

 背中に当たるたわわな果実が、その圧倒的な質量が、燈の理性を薄皮一枚ずつこそぎ取っていく。


 このままでは洒落にならない事態になると、自分の直観に従って燈がどうにか栞桜の拘束から逃れようとする中、彼を捕らえる張本人がゆっくりと口を開き、静かな声で語り出した。


「……確かに、お前の言う通りだ。私は別に、お前のことを想っているわけじゃない」


「だ、だろ? だったら、早く――」


 栞桜の言葉に安堵の表情を浮かべた燈が拘束を解くように言いかけるも、その声を掻き消すように、顔を上げた栞桜の静かな声が響いた。


「そうだ。私はお前のことなんか好きじゃない。そんな乙女のような想いなど抱いていない。なのに、なのに……っ! お前が他の誰かと恋仲になるって考えたら、凄く恐ろしくなる。なんなんだ、これは? お前のせいだぞ、燈。お前が、私をこんな風にしたんだからな……!!」


 栞桜は泣いていた。自分が何で涙しているかも理解出来ないまま、感情を溢れさせていた。

 混乱と、理解と、その相反する思いを抱く彼女は、胸の内の全てをぶつけるようにして燈へと叫び、こう言い放つ。


「渡したくない……!! こころにも、涼音にも、他の誰にも、お前を盗られたくない! 私は、私は……お前の一番近くにいるでありたいんだ……っ!」


「し、栞桜……!?」


「……もう、恥も外聞も、つまらない意地も全部捨てる。私の全部をお前にくれてやる。だから、燈――!」


 自分を抱き締める腕に力が込められ、体の密着具合が更に強まって……そうやって、今まで引いていた最後の線引きを飛び越えた栞桜が、覚悟を秘めた声で、燈にとって三度目の勝負となる戦いの始まりを合図した。


「私は、お前が、ほしい……!! 私の全部と引き換えに、お前をくれ!!」

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