最後の想い、最初の願い


「うおっしゃあ!! 次はどいつだぁっ!?」


 蒼が金沙羅童子に苦戦している一方、琉歌橋の燈は鬼の軍勢を相手に大立回りを続けていた。

 剛腕無双の怪力を誇る鬼に対してはそれ以上の力を見せつけ、俊敏さを武器とする鬼をそれを上回る素早さで斬り捨てる。遠距離からの鬼火攻撃を得意としていた鬼もまた、吐き出した紫色の火ごと紅蓮の爆炎で飲み干してみせた彼は、次の相手を求めるかのように大声で叫ぶ。


 既に幾十もの鬼を屠り、南への進路の最終防衛線を守り続けている燈は、鬼神の如き活躍で鬼たちを圧倒していた。


「おい、今ので何人目だ?」


「お、恐らくは、三十七……一騎打ちで倒された鬼だけでそれですから、最初の大炎の薙ぎ払いでやられた数を含めれば、既に半数以上が奴一人に倒されたことになります」


「ちっ! 正真正銘の化物かよ、あいつは……!?」


 既に主だった強者たちは殆ど倒され、残る手練れはこの軍を率いる黒鉄くらいしか残っていない。

 今、燈に挑んでいる鬼たちは、少しでも敵を消耗させて黒鉄にこの場を繋げようとしている捨て駒であり、端から死ぬ覚悟を決めて琉歌橋へと赴いている。

 一人、また一人と同胞たちが斬り捨てられ、灰と化す様を見せつけられる度に、黒鉄は握り締めた拳の掌に爪が食い込むのではないかと思える程の力を込めていた。


「お、畏れ多くも申し上げます。黒鉄さま、ここは奴を避け、川を渡って対岸に渡っては如何でしょうか? これ以上奴に構っては、犠牲が出るばかりで――ひぶっ!?」


「大馬鹿野郎! そんなことしてみろ。俺たちは他の鬼たちから、たった一人の人間から尻尾巻いて逃げ出した腰抜け連中だと嗤われるぞ!? そんなことになりゃあ、お頭や銅戈の爺さん、この戦いで命を落とした仲間たちも腑抜けだと言われるようになるってことがわからねえのか!?」


 逃げ腰になった若い鬼の顔面を叩き潰した黒鉄が、琉歌橋の上に立つ燈を睨む。

 初手の盛大な一撃からここまで休みなしで激戦を繰り広げているというのに、彼はまだ平然とした様子で次の相手を待ち構えている。


 多少は消耗もあるのだろう。もしかしたら、自分たちが思っている以上に、燈は苦しんでいるのかもしれない。

 しかし、それでも橋の上に仁王立ちし、自分たちの進撃を阻もうとする最大の障壁は、爛々と輝かせる瞳に闘志を漲らせていた。


「つ、次は自分が――!!」


「止めとけ。もうこれ以上、無駄に命を捨てる必要はねえよ」


「く、黒鉄さま……!?」


 限界だと判断した黒鉄が金棒を手に、部下たちの制止を振り切って琉歌橋へと向かう。

 金沙羅童子から頭領の座を譲られた者として、この状況で前に出ることはあってはならない選択なのだろう。

 しかし、もうこれ以上、部下たちを犠牲にすることは出来ない。

 頭という存在は、自分に従ってくれる部下あってのもの。その部下を全員失ってまで生きるなどという命を惜しむ判断を、黒鉄は下すことは出来なかった。


「ようやくお出ましかよ。偉そうにど真ん中でこっち睨みやがって、喧嘩したいなら早くかかって来いっての」


「子分たちが世話になったな。本当に……テメエは、やり過ぎたよ」


 橋の上に立ち、近くで燈の様子を観察してみれば……思ったよりかは、疲れが表情に出ていることに気付く。

 決して、部下たちの粘りが無駄ではなかったということを知れた黒鉄は内心で僅かな安堵の感情を抱くも、消耗しているが故に磨きがかかった獰猛さを燈が宿していることを感じ取った彼は、苛立ちのままに小さく舌打ちをしてみせた。


(手負いの獣を相手にしてる気分だぜ。こっちが有利なはずなのに、心臓を鷲掴みにされたみてえな感覚が止まらねえ)


 額に流れる冷や汗を拭い、逸る鼓動を鎮めるようにして深く息を吐きながら、黒鉄はここまでの燈の戦いぶりを思い出す。


 最初は一刀の下に鬼たちを斬り伏せていた彼の戦いは、その消耗と共に徐々に長引くようになっていた。

 しかし、その苦しい連戦の中で、燈は精神を研ぎ澄ますかのようにある種の成長を見せ、要所要所で全快の状態よりも冴えた斬撃を繰り出してもいたのである。


 その姿には覚えがある。というより、自分とそっくりだと黒鉄は思った。

 小難しい戦略だの、小手先の技巧だのは理解出来ない。自分は本能のままに戦いにのめり込み、それら全てを捻じ伏せてきた。

 戦えば戦うほど、自分が強くなっていく感覚に胸を躍らせ、興奮のままに戦い続けて……十年以上の月日を戦に費やしてきた自分だが、こんなにも恐ろしいと思える相手と向かい合ったのは、金沙羅童子以来だ。


 殺し、潰し、屠って、そうやって磨き上げてきた自分の力の頂に、目の前の人間は既に辿り着いている。

 いや、既にその強さなど通り越しているかもしれない。

 誰もが望む天賦の才を与えられ、それを磨き上げるための厳しい修練を重ねた燈は、自分たちとの戦いの中で自らが持つ才能を花開かせようとしているのだ。


 才能と努力。そこに今まで彼が持ち得なかった経験が加わった時、正真正銘、最強の剣士が誕生する。

 百体もの鬼との連戦が、全力で彼を叩き潰そうとする自分たちとの激しい戦いが、皮肉にも燈の覚醒を手助けしていることに気が付いた黒鉄は、自嘲気味に鼻を鳴らすと燈へと吼えた。


「人間……! お前は強い。真っ向から全力で戦えば、俺はまず勝てねえだろうよ。こうして何人もの部下を犠牲にして、お前を消耗させて……それでようやく、まともに立ち合えるかどうかってくらいの実力の差が、俺とお前にはある。だがな……俺たちには、負けられねえ理由があるんだ!!」


 弱気になっている心を、奮い立たせる。

 力も、技も、持ち得る才能も、全て燈には敵わない。

 だが、胸に抱いた覚悟と気勢だけは彼にも負けていないはずだと、自分が背負う全てに思いを馳せた黒鉄は、得物である金棒を握り締めながら叫んだ。


「俺たちの頭である金沙羅童子は、自分の命を犠牲にしてでも俺たちを生かす道を選んだ! その想いとこれまでの恩義に報いるためには、こんなところで終われねえんだよ! あの人のために、俺たちは……絶対に負けられねえんだっっ!!」


 吼える。叫ぶ。轟かせる。

 あらん限りの声を張り、喉も裂けよとばかりに叫びを上げ、自分が背負う覚悟を吼えた黒鉄は、奮い立つ心のままに燈へと突進していった。


「だからそこを退け、人間っ!! 俺たちには、背負うモンがあるんだっ!!」


 頭の想いを、死していった者たちの想いを、未来へ運ぶ。

 ここが終着点であってなるものか。こんな若造一人に、自分たちの歩みを止められて堪るものか。


「ルオオオオオオオオオオオオッッ!!」


 膂力を、腕力を、気力を、その想いを、自分の全てを……金棒に乗せ、黒鉄が渾身の一撃を放つ。

 自分たちの前に立ち塞がる障壁を打ち砕くために、背負った物を未来に運ぶために……全力で繰り出した攻撃は、生半可な威力ではなかった。


 これが、自分の全てだと、これまでの限界を超えた究極の一発だと、会心の一撃を放った黒鉄は思う。

 だが……燈は、そんな彼の重厚な振り下ろしを構えた『紅龍』で難なく受け止め、微動だにせずに防ぎ切ってみせた。


「なっ……!?」


 空気が震える。橋が軋む。

 巨大な岩盤に打ち付ければそれが粉々に砕け、鉄塊であろうともそれを凹ませ、ただの人間であれば瞬く間に潰れた肉塊に出来るであろう、それだけの威力を誇る一撃だった。


 いなされたのではない。躱されたわけでも、受け流されたわけでもない。

 真っ向から、堂々と……自分の全力を受け止められた手応えに驚愕する黒鉄に対して、犬歯を剥き出しにした燈が吼える。


「てめえ、だけだと、思ったか……? 何かを背負ってるのが、てめえだけだとでも思ってんのか!?」


「ぐううっっ!!」


 負けぬはずだと思っていた気勢が、燈に飲まれる。

 自分よりも小さい人間の放つ威圧感に負け、それでも抵抗するかのように金棒を振り上げた黒鉄が続く攻撃を燈へと繰り出していく。


 燈はそんな彼の攻撃を容易く受け止め、弾き返しながら、自分自身が背負う負けられない理由を叫び、武神刀を振るっていった。


「てめえの背負ってるモンはよーくわかったよ。自分たちを信じてくれた頭のためにも負けらんねえって気持ちも理解出来る。だがなあ! それはこっちも同じなんだよ!!」


「おおおっっ!?」


 攻防の立場が、入れ替わった。

 大きく金棒を弾いて攻勢に出た燈を前に、黒鉄は必死になって攻撃を防ぐのでやっとだ。


 上から、下から、左右から……と、繰り出される『紅龍』の斬撃をぎりぎりで受け止める彼の耳に、自分の想いを凌駕する燈の感情が轟く。


「これまでずっと頼りっぱなしだった! この世界のことも、刀のことも、戦術も、何一つとしてわかんねえ俺のことを、あいつはずっと助けてくれた! 初めてなんだよ、これが!! あいつが! 蒼が! 俺を頼りにしてくれたのは、これが初めてなんだ! ずっと待ち続けてた、あいつに恩を返す機会がようやくやって来たんだよ!!」


「ぬっ、ぐぅうっっ!?」


「だから負けられねえ! これまでずっと俺を助けてくれた蒼の信頼に応えられなかったら、俺にあいつの相棒である資格はねえんだ!! これからもずっと、あいつと一緒に前に進むためにも、俺は――っ!!」


 一撃ごとに刀の重みが、鋭さが、増していく。

 鬼である自分が受け切れなくなるほどに、攻撃の速度に追い付けなくなるほどに、燈の斬撃が強まっていく。


 黒鉄が背負うものは、尊敬する主から託された最後の想い。

 これまでずっと共に歩んできた存在からのラストメッセージは、確かに重く儚いものだろう。


 しかし、燈が背負うものは、それを凌駕していた。

 これまでも、これからも、ずっと共に歩む親友からの初めての頼み。

 自分の力を頼りにしてくれた蒼に応えたいという想いが、燈の中から限界をなくしているのだ。


 初めての戦で、初めての指揮で、心身を擦り減らす蒼の姿を燈はずっと傍で見てきた。

 そんな彼を支えることも出来ず、何の助けにもなれない歯痒さにずっと悔しさを抱いてきた。


 だからこそ、軍議の最中に蒼が自分を頼ってくれたことが嬉しくて堪らなかった。

 燈にしか出来ないことだと、君にしか任せられない役目だと、蒼が自分を信じて、この役目を託してくれた瞬間に、自分は決めたのだ。


 絶対に、この役目を果たしてみせる。自分を信じてくれた親友を、敗軍の将にはさせない。

 必ず、何があっても、この戦に勝つのだと――!!

 

「おおおおおおおおっっ!!」


 上から下へと、『紅龍』を振り下ろす。

 真横に構えた金棒でそれを受け止めようとした黒鉄であったが、赤熱した刃は重厚な鉄の塊に食い込むと共に、一瞬の内にそれを断ち切ってみせた。


「なあ……っ!?」


「これで、終わりだぁぁぁっっ!!」


 振り下ろした刀を瞬時に返し、跳ね上げることによって即座に二撃目を繰り出す。

 古の剣豪である佐々木小次郎が得意としていた剣技【燕返し】。そこに、炎と気力による身体能力の強化を加えた燈の技が、黒鉄へと炸裂した。


「秘剣・【朱雀返し】!!」


「お、お頭……すまねえっ……!! うぐぉおおおぉおおっっ!?」


 股から真っ直ぐに頭頂へと伸びる紅の斬光が、黒鉄の体を両断する。

 足元から昇る炎がその体を包み、刃が通った跡からも炎が湧き出て、内外から体を焼かれる痛みに叫ぶ黒鉄が最期に口にしたのは、自分に全てを託した金沙羅童子への謝罪の言葉だった。


 直後、天まで伸びる轟炎がその体を焼き尽くし、これまで燈に倒された鬼たち同様に彼の肉体を灰へと変換する。

 敵軍団の首魁を討ち果たした燈は、大技を放った体勢のまま、肩で呼吸をしていたのだが……。


「……へっ、そりゃそうだよな。まだ、終わりじゃねえよな……!!」


 自分へと向けられる無数の殺気を感じ取った燈は、大将を討ち取られた鬼たちが恐怖や絶望ではなく、その敵討ちに燃えている様を見て小さく笑ってみせた。

 黒鉄は確かに将として、その命を賭して仲間たちの魂を燃え上がらせたのだと、彼の置き土産に感服しつつ、自嘲気味に言う。


「どうして鬼どもの将ってのはこんなにも有能なんだよ。あの使えねえ生徒会長をくれてやるから、一人くらいこっちに分けてくれっての……!!」


 匡史やら一軍の責任者やら、しっかりとした育ちをしているはずの人間側の将が頼りなくて、教養などとは程遠いはずの妖である鬼たちの方が人格者というのはどういう了見だろうか?

 少なくとも、匡史よりかはこの鬼たちの方が命の重みを理解しているなと思いつつ……呼吸を整えた燈は、残る鬼たちに手招きをしながら言った。


「さあ、来いよ。俺は逃げも隠れもしねえぜ。お前らが全滅するか、俺が死ぬか……決着つくまで、存分にやろうや。なあっ!!」


 消耗は少なくない。連戦に次ぐ連戦で疲れを感じていないはずがない。

 だが、今も戦場で戦っている仲間たちと、総大将である金沙羅童子と立ち合っているであろう蒼のことを思えば、ここで膝を折ることなんてあり得ないと、そう考えた燈は燃え上がる闘志を声に乗せ、鬼たちへと叫びかけた。


 残りの敵が何体残っているのかは判らない。その全てを倒すまで、自分の体力が持つかも判らない。

 それでも、一切の気後れと不安を見せることなく、鬼の集団へと『紅龍』の切っ先を向ける燈の目には、熱い覚悟の炎が灯っていた。

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