砂糖細工のような、甘い理想 だが――


「なんだ、今の炎は……!?」


 崩壊した銀華城の内部からも見える巨大な火柱を目にした金沙羅童子は、今が戦いの最中であることも忘れてただ茫然と天に伸びるそれに視線を奪われていた。


 まるで天に昇る龍のように揺らめきながら伸びた炎が空を赤く染める様は、長きに渡って生き続けてきた鬼である彼ですら目にしたことのない光景だ。

 その火柱が上がった方角が、新たな首魁として黒鉄を据えた仲間が逃げ延びようとしていた方向だということに気付いたのは、炎が消え去り、空の色が元の青色に戻ってからのことであった。


「まさか、黒鉄……!? お前の身に、何かが……!?」


 仲間を、自分たちの未来を、全てを託した部下の身に何か良くないことが降りかかった予感に呻きにも近しい声を漏らす金沙羅童子。

 そんな彼に反して、同じ光景を目にした蒼の口元には、小さな笑みが浮かんでいた。


「……燈、君も戦い続けているんだね。全てを懸けて、僕を信じて、まだ膝を折らずに戦い続けている……なら、僕もこんなところで立ち止まっているわけにはいかないよな」


 まだ自分が生きていることを、戦い続けていることを、広く戦場へと知らしめる燈の炎の勢いは、まだまだ衰える様子が見受けられない。

 百の鬼に対して、たった一人で孤独な戦いを続けながらも、決して諦めることなく立ち続ける彼の姿を思い描いた蒼は、深く息を吐きながら、殴り飛ばされた脇腹の痛みも一緒に吐き出す。


 そうやって叩き込まれた裏拳のダメージを掻き消した蒼は、はっと気を取り直して自分の方へと視線を向けた金沙羅童子に対して、静かに口を開いた。


「……おそらく、次が最後のぶつかり合いになるだろう。あなたの全力に、僕も全力を以て応える……ただ、その前に、死を背負って戦うあなたに対する、僕の答えを伝えておきたい」


「……構わん、言ってみろ」


 構えた『時雨』を下ろし、真摯な視線を向けてくる蒼に対して、金沙羅童子もまた一時戦いの構えを解いて彼の言葉を待った。

 鬼と人という種族の差はあれど、軍団を率いる者同士という同じ立場に就いた金沙羅童子に向け、蒼は自分なりの答えを口にする。


「死を背負うということは、これまで死していった仲間たちの命を背負うということなんだろう。自分のために命を散らした仲間たちのことを思えば、自分自身の死なんて欠片も怖くなくなる。死への恐怖を克服し、命をかなぐり捨てるつもりで戦う者が自分の実力以上の力を発揮出来るということは、あなたとの戦いで理解出来た。でも……それが故に、あなたは大事なことを忘れてしまっている」


「ほう? 俺が、何を忘れていると?」


 ぐっと、刀の柄を握り締める拳を見つめていた蒼は、視線を上げると金沙羅童子へと視線を向けた。

 自分を試すような眼差しを向けてくる彼に対して、蒼は堂々と自分の想いを言葉としていく。


「死んでいった仲間の命と、今を生きる仲間たちに託した未来を背負い過ぎたあなたは、んだ。そこに確かに存在している自分の命を軽んじ、死すらも受け入れて戦ったとしても……あなた自身の未来は何処にもない。ここであなたの道は終わる」


「何を言うかと思えば……それの何処が悪い? 男には時に、自らの命をかなぐり捨ててでも成さねばならないことがある。俺にとっては、それが今だということだ。自分に命を捧げてくれた仲間たちのために死すことの何が悪いか!?」


「悪くなどないさ。何も、悪くはない……そう、数刻前まで僕も思っていた。全のために個を殺すことは致し方なくて、犠牲になる命が自分の物であるならば、喜んで差し出そうと思っていた! だけど……今は、そうじゃない。僕は今、死ぬことが滅茶苦茶に怖い!」


 その叫びを文字として受け取ったならば、なんとも情けないことを言うのだと思うだろう。

 一騎打ちの真っ最中に自らの命を惜しむ発言をするなど、言語道断にも程がある。心有る者が聞けば、即刻打ち首になるような振る舞いだ。


 しかし、その叫びを口にした蒼の声と表情には、死に対する怯みや恐怖というものが一切感じられない。

 生に縋り付くでも、死から逃れようとするでもなく、そんな矛盾した言動を見せる彼に訝し気な視線を向ける金沙羅童子へと、蒼はこの戦で学んだことを伝えていった。


「今、この戦場には、命を懸けて戦っている仲間たちがいる。彼らはこんな僕を信じて、出会って間もない僕に命を預けてくれるまでの信頼を置いてくれたんだ」


 半開きになった左拳を見つめ、蒼が呟く。

 年齢も、出身も、経験も、バラバラ。部下の中には自分なんかよりも経験豊富であり、指揮官として相応しい人間も多くいたはずだ。

 そんな彼らが、これまで文句ひとつ漏らさずに自分についてきてくれた。

 自分のことを指揮官として認め、命を預けるまでの深い信頼を送ってくれるようになっていたのだ。


「この戦場にはいないが、僕を育ててくれた師匠がいる。技を、力を、戦う理由を……そして、実の子と変わらぬ愛情を与えてくれた、本当の父といっても過言ではない存在だ。どれだけ感謝しても足りないくらいの恩を、僕は与えてもらった」


 自分を鍛え上げ、導き、武士団を作り上げるまで育て上げてくれた宗正への感謝を口にする蒼。

 金沙羅童子の鋭い眼差しを浴びながら、彼は尚も言葉を紡いでいく。


「今、僕以上に苦しい戦いを繰り広げている友がいる。こんな僕に、俺を頼れと、相棒だろと、そう言ってくれた大切な親友だ。僕が生まれて初めて得た、生涯の戦友だ!」


 この数か月、共に修行や戦いに明け暮れた燈の姿と先程の炎を思い浮かべた蒼は、熱くなる胸の鼓動のままに叫びを上げた。

 これまでの人生の中で初めて深くまで心を通わせた友の存在に、彼もまた自分と同じような友情を抱いてくれていることに、どれだけ勇気付けられたか判らない。


 そして……最後に、とある少女の顔を思い浮かべた蒼は、感情を言葉として金沙羅童子に向かってぶつけてみせた。


「これまでずっと、僕は何も背負っちゃいなかった。価値を見いだせない自分の命以外、何も有していなかった僕は今、これだけの物を得た! 今の僕には信じてくれる仲間がいる! 大切に想ってくれる人がいる! 僕が死んだら、その人たち全員が悲しむ! こんなに多くの人たちを涙させるかもしれないって考えたら、死ぬのが滅茶苦茶に怖くなった! だから、だから……僕は、死ねないんだ!」


 何故、自分たちを頼ってくれないのか?

 どうして、苦しいことを一人で背負おうとするのか?


 そう叫ぶやよいが、いつもの無邪気な笑顔を曇らせて泣きそうになっている姿が閉じた瞼の裏に浮かぶ。

 本当に……自分は、大切なことを忘れていた。それを、彼女に気付かせてもらった。


 いつ捨てても構わない、惜しくもない、そんな程度の認識でしかなかった自分の命。

 だが、自分が犠牲になった時、そのことを悲しむ人は沢山存在している。

 たった一人の悲しむ顔を見ただけでもあれだけ苦しかったというのに、それが何十、何百といるのであれば、その苦しみを抱え切れる自信がない。


 やよいの叫びが、燈の言葉が、仲間たちの存在が……自分の命に、価値を与えてくれた。

 この大切な仲間と共に歩む明日を失うわけにはいかないと、金沙羅童子が持たない未来への切符を手にしている蒼は、それを握り締めるようにして左手に力を込める。


「僕は負けるわけにはいかない。死を背負い、明日を生きることを捨てたあなたにだけは、負けるわけにはいかない! 僕のことを大切に想ってくれる人たちを悲しませないために、人生で得た仲間たちと明日を生きるために……僕はあなたに勝つ!!」


 確かな覚悟を秘めた言葉を口にすると共に、『時雨』を鞘へと仕舞う。

 右手を柄へ、左手を鞘へと伸ばした居合の構えを取り、最大限の気力を武神刀へと注ぎ込んで神経を集中させる蒼へと、喉を鳴らして笑った金沙羅童子が言った。


「面白い……! 死に全てを見出した俺と、生きることに価値を見つけ出したお前、そのどちらが正しく、勝利するのか……その答えは、じきに出る!!」


「ああ……決着をつけよう、金沙羅童子!!」

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