幕舎にて、夜のコメディ


「な~んか蒼くん、あの巫女さんに優しくない? もしかして、ああいう女の子が好みなのかにゃ~?」


「そんなんじゃないよ。迷ってる人の話を聞くことくらい、誰だってするでしょ?」


「ふ~ん……ま、そういうことにしてあげますか!」


 ジト目でこちらを睨んできたやよいの言葉に苦笑しつつ、蒼は残っていた書類を片付けていく。

 栖雲が物資を早めに運んでくれたお陰で随分と軍団の運営も楽になったが、その分夜分に仕上げなければならない書類が増えたことに関しては考えものだなと最後の仕事を終わらせた蒼は、大きく伸びをして肩を鳴らした。


「お? お仕事終わったみたいだね。今日も一日、お疲れ様でした!」


「夜分遅くまでお付き合いいただき、誠にありがとうございます……別に僕の仕事を手伝う必要はないから、早く寝ちゃえばよかったのに」


「蒼くんに寝不足で倒れられても困っちゃうからね。それに、前に言ったでしょ? 暫くはお尻に敷いてあげるって!」


「ははは、あんまり圧し掛からないでよ? やよいさんのお尻、おっきくて重いから」


「おっ、言うねえ!? それはあれかな? 遠回しにお尻ど~んしてくれっていう要望を伝えてるのかな?」


 普段とは逆にやよいへとセクハラめいた発言をした蒼に対して、彼女は鼻息も荒く腕を振り回して憤慨してみせた。

 しかし、あくまでそれはポーズであって、怒っているどころかむしろそのやり取りを楽しんでいるように見える。


 暫しそうやって彼女と笑い合った蒼は、改めて書き上げた書類を纏めると、幕舎の入口から銀華城を見つめて小さな声で呟いた。


「このまま終わると思うかい? 鬼たちが何の反撃もしないまま、あっさりと負けると思う?」


「微妙かにゃ~。少なくともあたしなら、お城を捨ててとんずらする算段を考えるけどね」


「まあ、現実的に生き延びることを考えるなら、それが一番有効な手だとは思うけど……」


「戦に生きる鬼たちがそんな逃げ腰になるわけないもんね。尻尾を巻いて逃げるくらいなら、一人でも多くの敵兵を殺して死んでやる~って感じの軍隊だもん」


 やよいの言葉に、蒼も大きく頷く。

 鬼たちの行動や考え方については、やよいと意見が一致していた。

 戦闘集団である鬼たちは逃亡よりも戦いの中での死を選ぶであろうという考え方の下、二人はそこから鬼たちの視点に立って策を談義していく。


「厄介なのは総大将殿の武神刀の能力だよね。鬼たちからすると、あれをどう攻略するかって話になりそうだけど……」


「一点突破で総大将殿を狙うのも、遠距離狙撃で仕留めるのも、鬼とこちらの戦力を比較すると難しそうだ。他の選択肢を探ってはいるけど、どうにもしっくりくる策が見つからない」


「そんなもんでしょ。五倍以上の兵力差がある以上、有効的な策なんて奇襲以外にはあり得ない。それも初日の夜襲で使っちゃって警戒されてるから、本当に打つ手がないと思うけどにゃ~」


「……だとしても、腑に落ちない。あれだけ守備を固めてるんだ、鬼たちには何か秘策があるんだと思う。何の考えもなしにただ守りを固めて消耗するだけなんて選択を、あの金沙羅童子とかいう大将がするとは思えないよ」


 初日の夜襲の判断も、合戦の時に不利と見るやすぐさま撤退を指示したことも、金沙羅童子の判断の良さを物語っている。

 彼は武力と知力を併せ持つ、鬼たちの首魁として相応しい存在。そんな彼がただただ不利になっていくだけの自軍を指を咥えて見つめているはずがない。


 何かあるのは間違いない。だが、その何かが何であるかが判らないという部分は、依然となんら変わっていなかった。


「まあ、出来たとしても苦し紛れの策くらいのものだと思うけどね。逃げずに戦う道を選んだ以上、向こうの全滅は変わらないと思うよ」


「……そうだね、君の言う通りだ。こちらの有利は変わらないだろうし、それを覆す策も思い付かない以上、僕の心配は杞憂で終わるんだろうね」


 口ではそう言いながらも、蒼の表情からはそんな油断や安心感は微塵も感じられない。

 鬼たちの狙いが看破出来ない以上、最後の最後まで気を緩めることは出来ないと、横顔でそう語る彼の姿に大きく溜息を吐いたやよいは、急に話を切り替えた。


「で、質問なんだけどさ。蒼くんは性欲とか溜まったりしてないの?」


「ごぶふぅっ!? や、やよいさん? 急に何を……!?」


「いやいや、流石に気になるじゃん! 戦が始まってそれなりに日も過ぎてるし、一軍の連中も禁欲が祟ってあんな真似をしたわけでしょう? しっかり自己処理出来てるならいいけど、忙しいからそんな暇もないんじゃない?」


 本当に突然にデリケートな話題を振ってきたやよいへと噴き出した蒼であったが、彼女の方は半分くらいは真面目に話をしているようだ。

 曲がりなりにも自分を気遣ってくれるのはありがたいのだが、それとこれとは話が別だとばかりに顔を赤くする蒼に向けて、やよいが可愛らしく小首を傾げながらこう続ける。


「で、どうなの? 一軍の兵士たちみたいになられても困るし、蒼くんが望むなら今からでもご奉仕させてもらいますけど?」


「結構です! 僕はその程度の欲を抑えきれないような武士じゃないです!!」


「ふ~ん、そっか。蒼くんがそう言うのなら信じるけど……堪忍袋の緒が切れて、うっかり村娘を襲ったりしないでね? 必要があったら言ってくれれば、あたしがお相手するからさ」


 艶めかしく、色っぽく、小悪魔のような笑みを浮かべたやよいが言う。

 またお得意のからかいかと思いながらも、胸や尻を強調するような格好を取った彼女の姿に妙な興奮を覚えてしまったことも事実だ。


 体格に反して育った胸も、何度もぶつけられたことのある大きめで柔らかい尻も、今は少しだけ美味しそうなものに思えてしまっている。

 別に今まで性欲をどうこうしたことはないのだが、やよいの言動によってそれを意識させられた蒼は、僅かに瞳の中にそういった欲を灯らせて彼女のことを見てしまった。


「……ほら、やっぱり我慢してるじゃん。あたしのこと、そういう目で見てるでしょ?」


「い、いや、これは違うって! 君がそんなこと言うから、変な気分になっただけで――」


「普段の蒼くんならあたしのこと叱って終わりにするよ。そうじゃなくて、一瞬でも情欲を覚えちゃった時点でいつもとは違うってことでしょう? 恥ずかしがる必要ないから、黙ってあたしを食べちゃいなって」


 ばさり、と音を立てて羽織を脱いだやよいは、そこから更に小袖や袴を脱ごうとしている。

 それを慌てて止めた蒼が、彼女と至近距離で顔を合わせる緊張に心臓の鼓動を速めると、やよいは小さく笑って取引を持ち掛けてきた。


「ん~、どうしたって蒼くんは欲情してないって言い張るつもりかにゃ? それじゃあ、ちょっと股間を触らせてよ。そこが何にもなってなかったらあたしは素直に引き下がるけど、硬くなってたら溜めてる証ってことで、あたしのご奉仕受けてもらうってことで!」


「うぇっ!? い、嫌だよ! どうしてそんな恥ずかしいことを……?」


「欲を抑えられるんでしょ~? なら、いいじゃん。あたしの追及を躱すためにも、サクッと話をつけられるいい方法だと思うけどにゃ~?」


 試すように、挑発するように、蒼へと笑みを浮かべるやよいの姿を見ていると、自分が見事に彼女の策に嵌められているような気がしてならない。

 少しでもこの笑顔に反応してしまったら負けだと思いつつ、結局触られても触られなくても行く末が同じなのではと気が付いてしまった蒼に向け、やよいは強引に手を伸ばしてその股間を触れようと躍起になっていった。


「さあさあ、覚悟を決めなよ!! 触らせろっ! 握らせろ~いっ!!」


「いや、ちょっと待って! そういう生々しいこと言うの止めて! それと、触ろうとしないで!!」


 必死になってやよいから距離を取り、彼女の手から逃れようとする蒼。

 わきわきと手を開閉して迫るやよいの姿に異様な恐怖を感じながら、どうにかしてこの状況を切り抜けようと思案を巡らせていると――


「おーい、蒼。ちょっといいか? 手紙書きたいんだけどよ、筆貸してくんねえかな? あと、硯と墨汁も使わせてくれ……って、何やってんだ?」


「燈! いや、いい所に来てくれたよ! 貸す貸す! なんでも貸しちゃう! 何だったら書き終わるまで見ていてあげるから、もう暫くここにいてくれない?」


「お、おう……なあ、もしかして俺、お邪魔だったか?」


「そんなことないよ! 本当、助かった……!!」


「ちっ、邪魔が入ったか。あともう少しだったのになぁ……」


 ひょっこりと幕舎に顔を出した燈の登場で、事態は収束に向かったようだ。

 露骨につまらなそうな顔をしたやよいは舌打ちをすると、頬を膨らませて燈のことを睨んでいる。


 何が何だか判らないままに、この異様な雰囲気の中で蒼とやよいに囲まれる燈は、二人の顔を交互に見比べると訝し気に首を傾げるのであった。

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