絶対に、彼を認めてはならない

 両軍の衝突は、何の工夫もない正面衝突だった。

 策も陣形も関係のない、純粋な力勝負となる真っ向からの激突は、体格と身体能力で勝る鬼たちに軍配が上がる。


 丸太のような剛腕に、あるいは人間の身の丈ほどはある数々の武器によって吹き飛ばされ、幕府軍の兵士が宙を舞う。

 しかして、彼らが地面に叩き付けられるほんの数秒の間にも鬼と人間との血みどろの戦いは続いており、その数秒間だけでも命を長らえられた彼らはある意味では幸運だったのかもしれない。


 吹き飛んだ兵たちの背後から、新たな兵たちが武器を手に鬼たちへと躍りかかる。

 刀で斬りかかり、槍の穂先を向け、数の利を活かして数名で一体の鬼を相手取るようにして戦う幕府軍であったが、なかなかにその戦略を形にすることを苦戦しているようだ。


「駄目だ、あれじゃあ。軍の規模が小さい分、鬼たちも密集してる。複数で取り囲んで戦おうとしてもあの陣形じゃあ出来っこない。そもそも、なんでぶつかる前に遠距離攻撃で敵の数を減らさなかったんだ? そうすれば、もっと楽な戦いに出来たっていうのに……!!」


 幕府軍の兵士たちは、個々が目の前に敵に集中しているが故に大局的な動きが見えていない。

 もっと広く敵を取り囲むように陣形を動かさなければ無用な被害が出るだけだと、両端の兵士たちが鬼たちの背後に回るまでに消える命の数を考えた蒼は強く拳を握り締め、匡史の判断の悪さに歯噛みした。


 士気の高さを活かした正面衝突を選ぶことを悪く言っているのではない。その前に打つべき手を打っていないことが問題なのだ。


 弓や武神刀の能力を用いて激突の前に遠距離からの攻撃で鬼の数を減らすことが出来れば、激突の際の敵の勢いを削ぐことが出来た。

 同じ正面からの衝突であっても、防御力に秀でた面々を正面に配置して、鬼の激突を真っ向から受け止めてから左右の兵たちが迅速にその背後を分断する動きを取れば、突出した敵の軍勢を包囲して叩くことが出来ただろう。


 それらの戦略を放棄して、愚直に敵に合わせた真っ向勝負に挑む匡史の戦略は、お世辞にも優れているとは言えない。

 戦わずして勝つことが最上であると数々の兵法家が述べているように、兵法の根幹にあるのは自軍の被害を広げず、如何に確実な勝利を収めるかという考え方であり、手柄を立てることは二の次どころか相当軽視している場合が多い。

  

 派手な戦い方だ。士気も高く、人数差もある以上、相当な下手を打たない限りは幕府軍がこの戦に負ける道理はない。

 だが、その派手さの裏でどれ程の命が無駄に散っているかを考える蒼にとっては、匡史の戦い方はどうあっても容認出来るものではなかった。


「……出陣の用意を。これ以上本隊が押し込まれるようなら、静観は出来ない。後で総大将殿から何を言われようとも、側面から敵を突いて援護すべきだ」


 軍団員たちに指示を出し、出陣の準備を整えさせようとする蒼。

 しかし、鬼と幕府軍との戦いを遠眼鏡で観察していた涼音が、珍しく大きな声を出してその動きを止める。


「待って! ……あれは、なに?」


 ぴくりとその声に反応し、蒼が再び戦の動向へと視線を向ければ、確かにそこに動きが起きていた。

 正確には動き、というよりかは異変と表現した方が正しいそれは、軍略に詳しい蒼にも何が起きているかが判断出来ない代物だ。


 鬼たちとぶつかり合い、激しい戦いを繰り広げる幕府の兵たち。

 その周囲を、白い光のような物が覆っている様が見える。


 よくよく見れば、その光は天から降り注ぐようにして兵士たちを包み込んでおり、その光を発生源へと辿っていくと――


「聖川? あいつがあの光を……?」


 匡史が持つ、あの羽扇。そこから謎の光が発せられている。

 そして……何か異様な雰囲気を持つその光と、それに包まれた兵士たちの姿を注意深く観察していた一同の前で、戦が大きく動き始めた。


「きえぇぇぇいっ!!」


「がっ!? 何だ!? こいつら、急に……がふっ!!」


 今、一人の兵士が目にも止まらぬ動きで鬼へと斬りかかったかと思えば、頑丈な体を一刀の下に斬り捨ててみせた。

 これまで複数人で挑んでも苦戦していた相手を単独で倒してみせたその兵の活躍に蒼たちが驚嘆するが、戦場ではそれと同じ光景が各所で繰り広げられ始めたではないか。


「何が起きている? どうして急に、優勢になったんだ……?」


「あの光だ。あれに包まれてから、兵士たちの動きが見違えるくらいに良くなった。でも、いったいありゃあ何なんだ?」


「……、か……!!」


「うん、おそらくね」


 素早さも、力強さも、光を浴びてから格段に向上した兵士たちの動きに燈たちが疑問を抱く中、全てのからくりを理解した蒼が小さく呟く。

 彼のその言葉に頷いてみせたやよいは、いったいどういうことだと言わんばかりの視線を向ける仲間たちに向け、戦況を見守ることで忙しい軍団長の代わりに解説を行っていった。


「あの光は、ただの光じゃない。あの羽扇の所有者である総大将さんの気力が形になったものなんだよ。ほぼ間違いなく、あの羽扇が総大将さんの武神刀。周囲の人間に自分の気力を分け与える能力を持ってるんだと思う」


「援護専門の武神刀、ってこと? 確かに、所有者本人の戦闘能力は皆無だけど、周りの人間を強くすることに関しては非常に長けた能力を持ってる」


「広範囲の人間に気力を分け与えることで、身体能力を向上させているということか……ある意味では、軍勢を率いる者が持つ者に最も相応しい武神刀かもしれん」


「……ただ分け与えるだけじゃねえ。多分、気力に何らかの増強ブーストがかかってる。ただ気力を受け取っただけであそこまで動きが良くなるとは思えねえ。筋力も俊敏性も、強化バフとしちゃあ最上級だ」


 ぎりり、と組み合わせた拳を握り締めて、燈が匡史の持つ武神刀の能力を評価する。

 認めたくはないが、匡史の持つ力は自分の想像以上だ。


 相応の力を持つ鬼たちと単騎で互角以上に立ち回れるまでに配下の兵たちを強化する武神刀の力を目の当たりにすれば、幕府が匡史を中心とした精強な軍隊の設立を目論んでいることにも納得出来てしまう。


 優れた頭脳と配下の軍勢の強さを鍛え上げられた精鋭並みに引き上げる武神刀を持つ匡史は、確かに軍を率いる者としては的確な存在なのかもしれないと、彼の嫌味な性格を知っていながら思ってしまった自分自身を燈が腹立たしく思う中、幕府軍と鬼との戦いは終局を迎えようとしていた。


「見ろ! 鬼たちが銀華城に撤退していくぞ!」


「形勢不利だと、判断したみたいね。でも正しい判断。これ以上ぶつかっても、被害が広がるだけ」


「賢いな。というより……戦慣れしている。その経験を覆せる程に、彼の武神刀の力は強力ってことか」


 冷静に、この戦いから得られる情報を分析した蒼が総評を口にする。

 撤退していく鬼たちと、無理な追撃をせずに勝鬨を上げる幕府軍の姿を見れば、どちらが勝者であるかは一目瞭然だ。


 人数差もある。個々の戦力差を埋められるだけの秘策もある。この戦いぶりを目にした者は、幕府軍の勝利を疑わなくなるだろう。

 だが、しかし……蒼の心の中には、漠然とした不安が渦巻いていた。


「……圧勝だな。流石に、あそこまで強気な態度を取るだけあって、それなりに強くはあるってことか」


「ああ、圧勝だ。確かに、圧倒的な勝利だったさ……!」


 誰もが見ている、初戦のぶつかり合いに勝利した幕府軍が勝鬨を上げる様を。あるいは、敗走し、銀華城に逃げ帰る鬼の軍勢を。

 だが、蒼だけは違う。彼が視線を注いでいるものは、両者の中間に転がる無数の亡骸であった。


 確かにこの戦いは幕府軍の圧勝だ。鬼の軍勢は痛手を受け、少なくはない被害を出した。

 おそらくは五百の兵の内、百近い数の鬼が討ち取られただろう。

 兵力を五分の一減らされた鬼たちの不利はどう見ても明らかで、これからもじわじわと幕府軍に追い詰められていくのであろう。


 だが……この戦いで死した鬼たちとほぼ同数といっていい程の被害を、幕府軍もまた受けている。

 戦場に転がる物言わぬ死体たちで目立つのは、体の大きい鬼たちの亡骸だ。

 だが、その下には最初のぶつかり合いから匡史が武神刀の能力を発動するまでの間に鬼たちの手で屠られた無数の人間たちの死体が転がっているということが、遠眼鏡を使う蒼には見て取れていた。


 判っている。仮にこの戦いで死んだ兵士たちが鬼と全く同数だったとしても、全軍の比率でいえばそれは微々たるものだということは。

 五百の中の百と、二千七百の中の百。その数字が持つ差は圧倒的で、その程度ならば容認出来ると指揮を執る者が納得してしまえそうな被害だということは理解している。


 ただし……それは、の話だ。


 匡史は全軍の衝突から一時劣勢になるまでの間、自身の武神刀の能力を発動しなかった。

 最初から兵たちを強化した状態で激突の瞬間を迎えれば、その際に生まれる被害も格段に減らせたはずなのに、何故だか彼がそれをすることはなかったことに違和感を抱いた者もいることだろう。


 思えば、彼の指揮に対する違和感や疑問はそこに限った話ではない。

 先に述べた遠距離からの牽制攻撃を行わなかったことや、愚直な真っ向勝負を仕掛けたことに関してもまた、彼の判断が誤っていたのではないかという懸念が生まれることも確かだ。


 しかし、蒼は理解していた。

 これら全ての下策を、匡史が敢えて採用しているということを……。


「……蒼、くん?」


 撤退する鬼と、勝利の雄叫びを上げる幕府軍。

 彼らの姿を見つめている第三軍の中で、それを目にしていないのは蒼と……彼を見つめていたやよいだけだ。


 そのやよいは、蒼から激しい怒りの感情が発せられていることに気が付き、僅かな驚きと共に彼へと声をかける。

 そして、自分の声にも反応しない彼が強く拳を握り締めている様を目にした時、やよいは、蒼の心の内で燃え盛る怒りの炎がどれ程までに苛烈なものなのかを悟った。


「許、せるか……!! こんな指揮の執り方が、賞賛されてなるものか……っ!!」


 叫びではない、小さな唸り。

 しかし、確かな怒りを持ったその声は蒼が持つ匡史への激怒を明確に表しており、それを耳にしたやよいの心を僅かに震えさせる。


 何がここまで、彼を怒らせているのか。

 心の中で滾る激情を抑えきれず、総大将への怒りの感情を言葉としてしまった蒼は、そこでようやく自分を慮るやよいの視線に気が付いたようだ。


 一瞬、彼女に自分が抱いている感情を悟られぬように取り繕おうとした蒼であったが、隠し事は許さないと目で語るやよいの様子を見たことでそれを翻すと、一息吐いた後に抱く想いを語り始めた。


「総大将殿のやり方には賛同出来ない。彼は、敢えて自軍の被害を大きくしてから武神刀の力を解放したんだ。そうすれば、自分の持つ力がよりはっきりと兵士たちに伝わるから。劣勢を跳ね返す程の力を有している自分のことを賛美させるために、彼は敢えて一度兵たちを危険に追いやった。結果……死ななくていい人間たちが、死んだ」


 ゾクリと、やよいの背筋が凍える。

 燃え盛る激憤を堪える蒼の声は氷のように冷たく、むしろ感情のままに叫んだ方が恐ろしくなかったのではないかと思えるほどの怒りが込められていた。


 自分の力を知らしめるために、自分のことを賞賛させるために、匡史は取るべき戦略を敢えて取らなかった。


 夜襲の警備を怠ってしまった時のように、無知が理由の失敗ならばまだ容認出来る。

 だが、これはそうじゃない。匡史は自身が持つ力と、自分が優れた人間であることを世に広めるためだけに、兵たちの命を無為に磨り潰した。

 それが、指揮官のやることか。数千を超える数の兵たちの命を預かる、総大将のすることか。

 

「命なんだぞ……! お前が潰しているそれは、かけがえのない他者の命なんだ……!!」


 遠眼鏡を傍らに置き、指揮官用の胡床から立ち上がって、蒼が輿の上の匡史を睨む。

 自分を賞賛させるためだけに立場を利用し、自分に付き従う者の命を何とも思っていないその顔へと鋭い視線を向けながら、蒼が小さな声で呟く。


「認めるものか、命の価値を理解していない、お前のような男を……!!」


 匡史は、自分がどれ程罪深いことをしているかを理解していない。

 言葉一つ、命令一つで誰かの命を奪えることの恐ろしさを理解しようともしていない匡史が、これから先の大和国を引っ張る英雄として軍を率いることとなったら、それこそ国家の終焉だ。


 彼のしていることは、悪を越えた邪悪。

 他人の命を踏み台にして、自分の目的を達することに何の罪悪感も抱かず、それら全てを正当化する悪しき行い。


 そんな男が人の上に立つことを絶対に認めてはならないと強く思う蒼の横顔を、やよいはただじっと見つめ続けていた。

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