素直になれない乙女心



 その後、強引に水を飲ませて落ち着かせたこころと、すやすやと寝息を立てる涼音を自室へと送り届けた四人は、改めて飲み会を再開する。

 男性陣にとっては先ほどの二人の醜態は笑い話で済ませられるものだが、女性陣からしてみれば作戦遂行のための仲間が一気に半分になってしまったということで、笑いとばすことも出来ない。

 それに加えて、とある懸念に思い至った栞桜からしてみれば、この状況は超が付く程の緊急事態といっても過言ではなかった。


(こ、こころと涼音が倒れた今、残る戦力は私とやよいのみ……となれば、自然と燈の相手をするのは、わ、わ、わ、私ということになるんじゃないのか……!?)


 燈に好意を寄せている二人組が酒に負け、親友であるやよいは蒼を相手取ろうとしている。

 つまり、残された自分と燈がくっつくのは自然の摂理であり、彼との一対一の決闘が自分に課せられた使命ということになるわけだ。


(おおおおおお、おち、おち、落ち着け! 多少予定と違ってしまったが、そんなことは戦場では日常茶飯事だ! むしろ、この状況に対応してこそ、一人前の剣士! こころたちの無念を果たすためにも、私は負けられないんだ!!)


 そう、勇ましく自分を叱咤激励しながら、しっかりと手は震えている栞桜は、盛大に盃に注がれた酒を撒き散らしていた。

 そもそもがやよいに乗せられて作戦に参加した彼女であるが、酒が入ったことで多少は自分に正直な部分を見せているようだ。

 なんだかんだと言い訳をしながら、燈とそういった行為に及ぶことを避けるという考えに至っていないのが、その証拠だろう。


(そうだ、これはこころたちへの弔い合戦であり、燈自身を救う戦いでもある。考えてみれば、話がとんとん拍子に進んだ場合、私が相手してやらなければこいつは蒼においていかれることになるじゃないか。まあ、そんなことになるのは流石に可哀想だろうし? 私以外に相手をしてやれる者がいないなら、それはしょうがないことであるというか……)


 あくまで上から目線でものを見ながら、びちゃびちゃと酒を零しながら酒を煽り、次を注ぐ。

 着実に、急速に、飲酒の速度を速めている栞桜は、何処からどう見てもまともではない状況だ。


 ……それでも、彼女自身は自分が冷静であると思い込んでいるところが最大の問題であるのだが。


「おい、おい! 栞桜、聞いてんのか!?」


「きゃひいっ!? な、なんだっ!? 急に話しかけるなっ!!」


「さっきから声かけてたっつーの!! お前、飲むペースがヤバいことになってんぞ? 手の震えも凄いことになってるし、随分と酔っ払ってるんじゃねえのか?」


「よよよよ、酔っているだと? 私が!? そんなわけあるか! ほら、この通りしゃっきりと立つことが出来……あれ?」


 そんなこんなで妄想だらけの状況で悩みの元凶ともいえる燈に話しかけられた栞桜は、彼の言葉に憤慨しながらその場で立ち上がってみせた。

 彼女自身は酔っていないつもりであったのだが、いっぱいいっぱいになっていた栞桜は自分がどれだけの量の酒を飲んだかを理解していなかったようだ。


 急に立ち上がったことで酔いが回ったのか、くらりと視界が歪む感覚と共に立ち眩みした彼女は、そのまま重力に従って顔面から畳に倒れ伏す羽目になりそうだったのだが、慌てた燈がその体を受け止めたことで事なきを得る。


「うおっ! あっぶねぇ……! ほらみろ、やっぱり酔っ払ってんじゃねえか。大体、酔っ払ってる奴ほど自分は酔ってねえって言い張るもんなんだよ」


「う、うおぉぉ……こ、これ、しきぃ……!!」


「おいコラ、無理に動くんじゃねえ。生まれたての小鹿みたいに脚カクつかせてる癖に強がってる場合じゃ……っ!?」


 自分の体を支えにして強引に立ち上がろうとしている栞桜に対して、呆れたように言葉を投げかけていた燈の声が不意に途切れる。

 何か、歯切れの悪い彼の様子をぐわんぐわんと歪む頭でおかしく思った栞桜は、数秒後に自分もまた燈と同じようにあることに気が付き、顔を真っ赤に染め上げる羽目になった。


 床へと倒れ伏しそうになった栞桜の体を受け止める形になった燈。

 そこから、酔いが回って上手く動かない体なりに栞桜が動きを見せた結果、彼女はより彼の体へともたれ掛かる体勢になっていたのだ。


 前のめりに燈へともたれ掛かり、体を支えてもらう栞桜。

 そうなれば当然、彼女の豊かな双房の感触が燈にはっきりと伝わってしまう。


 既に風呂に入った今、栞桜は普段の胸を強く締め付けるサラシを巻いてはいなかった。

 一応、胸を軽く押さえつけて形を整える乳押さえは身に着けているが、それと薄い寝間着だけでは仲間内でも最大を誇る栞桜の膨らみを抑えきれるものではない。


 今までで一番強く、はっきりと感じられる栞桜の女性としての感触に気が付いてしまった燈は、その気恥ずかしさ故に言葉を紡げなくなってしまった。

 彼の心中を察し、今の状況のマズさに気が付いた栞桜もまた、羞恥と共に拳を振り上げ、燈の腹に強烈なボディブローを叩き込む。


「うごっっ!? ちょ、馬鹿かお前……!! 内臓、破裂したかと思ったじゃねえか!!」


「ふ、不埒な感情を抱いたお前が悪い! お、乙女を抱き留めたのなら、もっと紳士的な対応を心掛けろ!」


「てめぇ、助けてもらっておいてそれかよ!? 次はもう手ぇ貸してやんねえからな! 勝手に顔面から畳に突っ込んどけ!」


「上等だ! お前の助けなど借りずとも、私は困らん!」


 腹部に拳を叩き込まれ、悶絶する燈からの言葉に憎まれ口を返す栞桜。

 これはこれでお馴染みとなったやり取りを見守っていたやよいは、小さく噴き出すと嬉しそうに二人へと話しかけた。


「ふふふっ! 本当に栞桜ちゃんも変わったよね! これも燈くんのお陰かな?」


「そうかぁ? 最初に顔を合わせた時と変わらず、跳ねっかえりのじゃじゃ馬娘じゃねえか」


「いやいや、昔の栞桜ちゃんならこんな風にみんなと飲み会に参加するなんてこと考えられなかったからね! それも、男の人と一緒にお酒を嗜むだなんて論外、論外!」


 くぴり、と盃を傾けてその中身を飲み干したやよいは、適当につまみを頬張りながら尚も話を続ける。


「栞桜ちゃんも大分素直になったっていうか、必要以上に強がらなくなったっていうかさ……燈くんには結構、本音を出せてると思うんだよね。今までそんな風に接せる相手があたししかいなかった栞桜ちゃんが、男の人にそんな態度を取るって時点で本当に変わったんだなあって感じちゃうよ」


「その割には口より先に手が出る癖は治ってないみたいだけどな。多少は丸くなったかもしれねえけど、根っこの部分は変わってねえだろ」


「そこは素直になり切れない乙女心って奴を燈くんが理解してあげなきゃ! 一目ではわからないかもだけど、栞桜ちゃんも随分と可愛らしくなったんだよ? 具体的に言えば、乳押さえとふんどしの柄が女っぽくなったところとか――」


「やよいっ!! 人の下着事情を勝手に話すんじゃない! それも男相手に……!!」


「え~、今更の話じゃ~ん! 燈くんには緊急事態とはいえ、顔に巻かせるためにサラシも貸してあげたんだしさ~! そんなに照れる必要もなくない?」


 ぶほぉ、とやよいの言葉に過去を思い出した燈は、口に含んでいた酒を噴き出してから羞恥に悶えた。

 同時に、彼と同じくその時のことを記憶の中から掘り起こされた栞桜もまた、判りやすい反応を見せた燈へとぎゃんぎゃん吼えながら胸倉を掴み、威圧するように脅し文句を吐く。


「わ、忘れろ! あの時のことはお前の頭の中から消去して、二度と思い出すな! さもなくば、顔面の形が変わるまで叩きのめすぞ!!」


「わーってるよ! ただ、お前がそうやって騒ぐと俺が忘れようとしても嫌でも思い出しちまうだろうが!」


「この不埒者っ! 変態男めっ! 歯を食いしばれ! その頭を叩いて、鉄拳制裁で記憶を消去してくれる!!」


「おま、ちょ、待てっ! 流石にその流れはおかしいだろ!?」


 燈も慌てているが、それ以上に栞桜も慌てていた。

 過去の自分がしでかした大胆な行動を後悔しつつ、その記憶を掘り起こされることを恥じる彼女は、普段の癖でついつい暴力での問題解決を試みようとしたのだが――


「は、はれ? ほろ、ひれ、はれ……?」


 悲しいかな、酔いどれ状態の栞桜は心臓の鼓動が早まり、血流もまたそれに見合った速度になったことで、全身に回る酔いのスピードも飛躍的に上昇させていたようだ。

 頭に血が上ったことも災いし、文字通りの沸騰状態になった脳がぐらりと揺らいだかと思えば、握り締めた拳から力が抜け、彼女は再び燈にもたれ掛かるような体勢で脱力してしまった。


「ったく、またかよ? お前、本当に学習しねえなぁ……」


「うる、しゃい! そう思うなら、とっとと放せばいいだろう!? 私のことにゃんか助けないと、ついさっき言ったばかりじゃにゃいか!」


 所々、呂律が怪しい口調ながらも、まだ意地を張り続ける栞桜が燈を押し退けようとする。

 しかし、今度は完全に力が入らなくなってしまっている彼女の腕が普段の怪力を発揮することはなく、むきになってじたばた暴れる栞桜の様子に深く溜息をついた燈は、彼女の額を指で弾くとこれまたうんざりしたような口調で彼女へと語りかける。


「あのなあ、そこまでの醜態を晒しといて今更強がる必要もねえだろ? 一人じゃまともに立てねえ癖に、意地張ってんじゃねえよ」


「うるさい! 私は平気だ! お前の手なんて、借りる必要もないっ!!」


「だ~っ! ガチで面倒くせぇ!! こうなったら本気で放置してやろうか!? あぁ!?」


 ここまで優しくしてやっているのに改善を見せない栞桜の態度に怒りの咆哮を上げる燈。

 酔うと人の本性が出るというが、ここまで意地っ張りな態度を取り続ける栞桜に若干の苛立ちを覚え始めた彼であったが、その耳に予想外の人物からの予想外の一言が届いた。


「それは止めなよ。燈にそんなことされたら、栞桜さん泣いちゃうと思うから」


 そんな、燈を窘めるような言葉を口にしたのは、先ほどから静かに酒を飲み続けている蒼だった。

 何処か楽し気に燈と栞桜のやり取りを見守っていた彼は、盃に残っていた日本酒を平らげると、顔を真っ赤にした栞桜が反論の言葉を口にするよりも早くこう言ってのける。


「嬉しいんだよ、栞桜さんは。自分がどこまで意地を張っても、それを燈が受け止めてくれることが嬉しいんだ。だから、わざと意地を張って燈に強く当たってる。燈に構ってもらえるのが嬉しくって、素直になれないだけなんだよ」


「は……? いやいや、んなわけねえだろ? こいつがそんなかまってちゃん的な態度を取るはずが……」


 蒼の見解はまるで見当はずれだとばかりに一笑に附した燈は、彼の言葉に憤慨しているであろう栞桜へと視線を移した。

 蒼には悪いが、これで栞桜の怒りも彼に向くだろう。少しは自分の負担が軽くなって助かる……などという考えが浮かんでいた燈の頭の中は、視線の先にある栞桜の顔を見て真っ白になった。


「ち、ちがぅ……! そんなんじゃ、ない。わ、私がそんな、乙女のようなことを、するはず、なぃ……」


 喉を震わせて搾り出される、か細い声。

 それはつい数秒前まで栞桜が叫んでいた強気で怒気を孕んだ声とは真逆の、弱々しく可愛らしいものだった。


 彼女の頬に差す赤みは、酔いが原因でも、ましてや怒りが原因のそれでもない。

 自分自身の可愛らしい部分を見透かされ、それを燈の前で指摘されたことに対する羞恥が理由であると、赤というよりも桃と表現した方が近しいほんのりとした頬の紅潮が、栞桜の心の内がどんな風であるかを物語っているようだった。


 うっすらと涙が浮かんだ双眸でちらちらとこちらの様子を伺い、口の辺りに手を寄せて少しでも表情の変化を隠そうとしている栞桜。

 その反応が、表情が、弱々しく発された否定の言葉が、蒼の指摘が正しかったことを証明している。


 上目遣いでこちらを見る栞桜の、普段とは全く違う乙女らしい表情を目の当たりにした燈は、自分の心臓が早鐘を打っていることを感じていた。

 もしも、本当に酔った時にこそその人間の本性が出るというのなら、本当の栞桜とは表向きの強がった彼女とは違う、可愛らしい乙女なのかもしれないと燈は思う。

 そして、土蜘蛛の洞窟の中で自分自身の弱さを吐露した彼女の姿を思い返した燈は、それがあながち間違っていないことを確信すると共に栞桜同様に顔を赤く染め上げていった。


「……はい、お水。二人とも、それ飲んで少し落ち着きなよ」


「お、おう、サンキュ……」


「うぅぅ、うぅぅぅぅぅ……!」


 ほぼほぼ密着したまま、その場にストンと座り込んだ二人は、蒼から手渡された冷水をちびちびと口に含んでいった。

 しかして、どれだけ冷たい水を飲んでも顔の熱と心臓の鼓動が落ち着く気配はなく、むしろすぐ近くにいるお互いの体温が自分と同じように高まっていることを感じ取る度に、その意識が心をざわめかせてしまっている。


 これが酒の魔力か、と燈は思った。

 元々、美少女に属する栞桜のことが、普段の数倍増しに可愛らしく見える。

 酔っぱらいのフィルターの恐ろしさと凄まじさを感じ、指で燈の着物の端を摘まんで弄るという、普段の彼女ならば絶対に見せないいじらしい姿を目撃してしまった燈の心臓の鼓動は、先ほどから早まる一方だ。


「……栞桜さんはもうお休みした方が良さそうだね。燈、部屋まで送ってあげなよ」


「お、俺がか!? そこはやよいか、お前の出番だろ!?」


「無理無理! あたしと栞桜ちゃんの身長差を考えてよ! っていうか、この状況で蒼くんにその役目を譲るなんてことがあるの!?」


「い、いや、でもよ。なんとなく気まずいっつーか、お互いに今は目を合わせたくないっつーか……」


 マズい流れだ。いや、本来はマズいとは言わないのだろうが、今の自分にとってはよろしくない状況に流されているように思える。

 おそらく、鈍い蒼の方は(自分の言葉が原因だということは失念しているのだろうが)二人きりで話し合って気まずくなった間柄をどうにかしてこいという意味で栞桜を送るよう言ったのだろうが、やよいは完全に燈と栞桜がそういった関係になることを望んでいるような節が見受けられていた。


 そもそも考えてみれば、露天風呂のからこの飲み会に至るまで、おかしな点は幾つもあったではないか。

 ようやく、自分がやよいによる何らかの策謀に乗せられていることに気が付いた燈が、どうにかしてこの状況を脱しようと口を開いた時だった。


「……わたし、は……」


 ぽつりと、小さな声で栞桜が呟く。

 すぐ近くにいる自分にだけ聞こえるような、そんなか細い声での呟きを発した彼女へと視線を向けた燈は、同じく顔を上げ、潤んだ瞳でこちらを見上げる栞桜と視線を交わらせたことで息を飲んだ。


 きゅっと、空いている手で指同士を絡めるように強く自分の手を握る。

 ぎゅっと、熱くなっている体を寄せて、柔らかな女性の体の感触を燈に感じさせるようにしてもたれ掛かる。


 そんな、普通ではあり得ない様子の栞桜と数秒の間見つめ合った燈は……意を決したように瞳に火を灯した彼女が発した次の言葉を、その耳ではっきりと聞き取った。


「……私は、嫌じゃない。別に、構わない……」


 その言葉を、言葉のままに受け止めるべきなのか。

 それとも、その裏にもう一つの意味が隠されていると考えるべきなのか。


 ある意味では人生の岐路に立たされている燈は、熱を帯びた声を発した栞桜の膨れた唇を見つめながら、知らず知らずのうちにごくりと喉を鳴らしていた。


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