鬼灯涼音
翌日、早めに宿屋から出発した燈一行は、昼を少し過ぎた頃に無事に磐木の街に辿り着く。
ここまでの道中で立ち寄った街よりかは人の数が多い、されど街の発展具合は昇陽とはかなり差がある磐木の街並みを眺めながら、一行は地図に記されている百元の住まいへと向かった。
宗正は人里から遠く離れた山奥に、桔梗は昇陽郊外の土地にと、天元三刀匠は大なり小なり人が多く集まる場所から離れた位置に住まいを構えていることが多い。
百元もその例に漏れず、住宅街とも商業街とも大きく離れたやや不便な土地に家を建て、そこに弟子たちと共に住んでいるようだ。
広大な磐木の街を横切り、彼らの住処へ。
昇陽とは土地の単価も違うのか、磐木に立ち並ぶ一軒家は他の街のそれと比べても比較的大きめに設計されている。
百元の家もまた人気のない土地ということで更に値引きされているのか、桔梗の屋敷ほどではないが十分に立派な邸宅をこの土地に構えていた。
「……なんつーかよ。こういう家を見ると、師匠の住んでるあのあばら家が一層貧相に見えちまうよな」
「同じ天元三刀匠でも、ここまで差があるものなんだね……」
宗正、桔梗、百元。全員同じ立場の人間なのに、どうしてここまで住まいに差が出ているのだろうか?
自分たちの師匠が一番質素な生活をしていることにどこか虚しさを感じる燈と蒼であったが、今はそんな感傷に浸っている暇はないと首を振り、挨拶をしてから百元の屋敷へと足を踏み入れる。
「すいません! 昇陽の桔梗先生の使いで来ました! 百元さんはいらっしゃいますか!?」
出来る限り大声で屋敷の奥へと叫び、反応を待つ燈。
桔梗の屋敷では多くのからくり人形たちが家事を担当していたが、この家の中にはそれらしき使用人たちの姿は見えない。
これだけ広大な屋敷だ、家事を担当する使用人の一人や二人はいてもおかしくないのでは……? と、桔梗の屋敷との大きな違いに気付き、首を傾げた燈が、屋敷の敷地内へと一歩踏み出そうとした時だった。
「いやいやいや、待っていたよ。君たちが宗正と桔梗の弟子たちか」
「うえっ!? ど、どこからっ!?」
突如として、妙に元気のない男性の声が響いたかと思うと、燈たちの足元が揺れ始めたではないか。
よくよく耳をすませば、がちゃがちゃという歯車が駆動する音も聞こえてくる。
いったい何が起きているのかと一行がおっかなびっくりしていると、屋敷の門の真下にある地面がぱかりと割れ、そこから老人が姿を現したではないか。
「……すまないねえ、驚かせちゃって。いやはや、これは本当にまずいことになったなあ……」
白髪が目立つ小柄な老人は、眼鏡をかけた顔をぼりぼりと掻きながら気まずそうに呟きを漏らす。
突拍子もない登場の仕方をした老人に対して唖然とした表情を向ける燈たちに対して、彼はこれまた元気のない声で自己紹介を行う。
「既に話は聞いてるだろうが、改めて……僕が天元三刀匠最後の一人、百元だ。幕府から暇をもらってからは、この磐木で弟子を育てながら発明家をやらせてもらってるよ」
「は、発明家……? も、もしかして、地下に秘密の研究室とか作っちゃってる感じっすか!?」
「お? 君、目の色が変わったね。そういう浪漫に憧れちゃうとは、流石男の子。本来なら、存分に僕の屋敷内を案内してあげたいところなんだけど……はぁ」
正義の味方の秘密基地だとか、極秘の研究ラボだとか、男子向けのテレビ番組の中でしか見たことのない浪漫溢れる存在を感じ取った燈が、目を輝かせて百元へと迫る。
一瞬、そんな燈の反応に嬉しそうな表情を浮かべた百元であったが、何かを思い出すととても深い溜息をどんよりとした雰囲気で吐き出した。
「あ、あの……何かお困りなのでしょうか? どう見ても、普通とは言い難い様子なのですが……?」
「……本当にすまないね。宗正と桔梗は君たちのような立派な弟子を育てたというのに、僕って奴は……」
再び、大きな大きな溜息。
見るからに悩んでいますよといった雰囲気を全身から放つ百元は、重々しい表情を浮かべたまま、自分を遠巻きに見守る若者たちへと申し訳なさそうに口を開く。
「……とりあえず、中に入ろうか。折角、長旅をしてまでここに来てくれたんだ。君たちの労をねぎらわせてくれ」
百元の屋敷の内装は、素朴な木製の雰囲気でまとめられた落ち着いたものだった。
穏やかな磐木の雰囲気とマッチしている家の中で、彼が開発した全自動お茶汲み機が湯呑に緑茶を注ぐ様を見ていた蒼は、気を取り直して目が死んでいる百元へと、彼が抱えている問題について尋ねる。
「百元さん、いったいどうしてあなたはそこまでお悩みになられているんですか? よろしければ、事情を聴かせていただけないでしょうか?」
「ああ、うん……そうしなければならないだろうねぇ……。本当に、自分が情けなくって仕方がないよ……」
活力や元気を欠片も感じさせない、沈鬱とした声。
大掛かりな登場装置を作り出すようなお茶目な人間とは思えないくらいの沈んだ雰囲気を醸し出す彼に向け、今度は栞桜が問いかける。
「まさか、百元殿は約束の期日までに弟子を揃えられなかった、とか……? それで、同志との誓いを果たせないことに罪悪感を抱いているのでは?」
「あ、言われてみれば、百元さんのお弟子さんの姿、見てないね。普通、こういう時って真っ先に弟子をあたしたちに引き合わせるんじゃないかな?」
「はぁぁぁぁぁぁ……」
空気に靄がかかるほどの、どんよりとした溜息。
自分の言葉が百元の気分を更に沈めてしまったことに気が付いたやよいがぱっと口を塞ぐも、時すでに遅し。
小柄な体が更に小さくなったように見える百元をフォローすべく、蒼が慰めの言葉を彼に向けて発する。
「い、いや! 本当にすいません! やよいさんも決して百元さんを責めたわけではなく、ただ疑問を口にしてしまっただけでありまして……」
「……いや、いいんだよ。君たちがそう思うのも無理はない。だがしかし、そうだな……今の状況をどう説明したら良いのやら……」
百元は自らの不甲斐なさに心を痛めているようだが、彼にはなにか複雑な事情を抱えているような雰囲気がある。
どうにも歯切れが悪い彼とその背景にある何かに首を傾げる一行。
百元から事情を聴き出そうにも、若干の気まずさがあるこの空気の下でそれを行うのは自分たちには荷が重い。
はてさてどうすべきかと物憂げな表情を浮かべて溜息を連発する百元を見つめながら考えていた燈たちであったが、そんな彼らの前に、部屋の奥の扉を開いて、新たな人物が姿を現した。
「ただいま、先生……お客、来てるの?」
「おお、
聞き覚えのある平坦な女性の声に眉をひそめた燈は、その声の主の姿に眼を見開いて驚いた。
そこにいたのは、銀色の短髪と翡翠のような瞳が特徴的な、昨晩宿屋で遭遇したあの少女だったのである。
「お、おまっ!? どうしてここに……!?」
「え……? ああ、あなたは昨日の……そう、あなたが先生の言ってた、昔のお友達のお弟子さんなのね」
感情を感じさせない喋り方をする彼女も、予想外の再会に流石に驚きを見せたようだ。
ほんの少しだけ声に動揺の色を滲ませた彼女であったが、燈に対して一言呟き終えた頃には、その感情も消え去ってしまっていた。
「ああ、紹介するよ。この子が僕の弟子、
「でぇえっ!? お前、百元さんの弟子なのかよ!?」
「おい、燈。まさかお前が昨晩見た不審者というのは、この女なのか?」
「あ、ああ、そうだ。……おい、どうしてお前はあんなことをしてるんだ? もしかして、この近辺に出没してる辻斬りを探してたのか?」
「……ほぼ正解、といったところかな。ああ、本当にちょうどよかった。君たちに僕たちの事情を話すには、この子が同席してくれていた方が良い……」
涼音の登場にざわつく燈たちとは対照的に落ち着きを取り戻してきた百元は、伏し目がちにそう言いながら涼音に自分の傍に座るよう、手の動きで促す。
師の指示に素直に従った彼女は、若干汗ばんでいる顔を着物の袖で拭いながら、一人一人燈たちの顔を感情を感じさせない緑色の目で見つめ続けている。
蒼、やよい、栞桜、こころ……ときて、最後に彼女と視線を交わらせた燈は、涼音の瞳の中に暗く淀んだ何かがあることを感じた。
その感情は、薄暗いものではあるが、燈たちに向けられたものではない。
涼音は燈たちに悪印象を抱いていることもないが、良い印象を持っているわけでもない。その瞳の中には、他者への興味というものが全く感じられないといった方が正しいだろう。
感情を感じさせない言動。心が凍り付いているような挙動。
それらは彼女の元来の性格という部分もあるのだろうが、それ以上に今の彼女には、何か他人に構っていられない事情があるのだと、燈は直感する。
そして、涼音の瞳の奥にあるもの……彼女が心の奥底に秘めている何かを探るべく、吸い込まれそうなその瞳を注視した燈は、そんな自分を見つめ返してくる涼音の心に僅かに触れ、ゾクリとした感覚に震えた。
彼女は、自分の瞳の中にあるそれを隠そうとはしていない。
揺るぎなく秘めたその感情は、涼音の絶対的な目的として彼女の心の中に刻み込まれている。
例えるならば、そう……冷たい、抜き身の刃。
悲しみと、決意と、ほんの少しの躊躇いを入り混じらせた複雑な光を放つその感情は、燈にとって初めて触れるものだった。
「お、前……なにを、しようとしてる? 誰を……殺そうとしてるんだ?」
「!?!?!?」
思わず漏れた燈の呟きに、こころと栞桜、そして百元が驚愕の表情を浮かべた。
蒼とやよいは軽く眉を動かしただけの反応しか見せていないことから、二人は涼音の中にある殺意を感じ取っていたのだろう。
その上で、平静を保ってみせた蒼たちにある種の畏怖を感じながら、憎しみや怒りから来る衝動的なものではない、本気の殺意を涼音から感じた燈は、震える拳を握り締めながら彼女へと視線を向け続ける。
涼音は、自分の心の中にあるそれを言い当てられたことに、まるで動揺していないようだ。
やはり、彼女は自らが抱いている殺意を隠すつもりはない。
平然と誰かを殺すことを決意している自分と歳の変わらなそうな女子の姿に言いようのない恐怖を感じる燈たちへと、本日何度目か判らない溜息を吐いた百元が、涼音に代わって口を開く。
「驚いたな……やはり、宗正たちは素晴らしい師匠だ。いや、僕が未熟過ぎるんだろう。ほとほと、自分が嫌になるよ……」
「……質問に質問を重ねて申し訳ありませんが、どうしても答えていただきたいことがあります。よろしいでしょうか、百元さん」
自己嫌悪の念に包まれる百元へと、真っ直ぐに視線を向けた蒼が尋ねる。
言葉は出さず、彼を見つめ返すことで返事をした百元に向け、蒼は気になっていたあることを質問した。
「……天元三刀匠が育てる弟子の数は、最低でも二名と決まっているはず。百元さん、あなたは涼音さんの他にももう一人の弟子を育てているはずです。ですが、その人物は姿を見せていない。あなたは僕たちがこの家に到着することを予期していながら、顔合わせに出席させなければならない弟子たちを外出させていた。それがどうしても、僕には気になって仕方がない。どうして、そんな真似を? もう一人のお弟子さんは、何処に……?」
この屋敷を訪れてから感じていた違和感。どうしても拭いきれない疑問。
それを言葉としてぶつけてきた蒼に対して、百元が答えを返そうとした時だった。
「……死んだわ。もう一人の弟子は、死んだ。少なくとも、人間であった彼は何処にもいない」
「はぁ……!?」
師に代わってその答えを口にしたのは、弟子である涼音だった。
平坦な声に初めてはっきりとした感情を乗せ、悲しみと怒りを滲ませながら話し続ける彼女は、衝撃的な答えを燈たちへと返す。
「もう一人の弟子は、自らの無力さに絶望して、愚かな道を選んだ。その先には滅びしか待っていないと知りながら、妖刀に手を出したのよ」
「妖刀だと……!? じゃあ、近頃この近辺で多発している辻斬りの正体は、まさか……!?」
「ええ、その通り……妖刀の魔力に溺れ、何の罪もない人々を殺め続ける不肖の弟子の名は、
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