禍根は残る


「……虎藤くんには気力が存在していないだって? そんなこと、あり得るんですか?」


「本当に、極稀な可能性ですが、気力を持たない人間がいることも確認されています。試し刀の不調というわけでもないですし、残念ながら、あの方には気力が存在していないと考えるのが妥当かと……」


 燈から返却された試し刀を再度引き抜き、その刀身が淡い光を放ったことを確認した花織が残念そうに呟く。その表情には、失望の色がありありと浮かんでいた。


 まさか、この国を救うための英雄として呼び寄せた人間の中に落伍者がいるだなんて……そんな、落胆の感情を顔に浮かばせる花織の姿と、困ったように頬を掻いている燈のことを交互に見つめていた生徒の一人が、プッと笑いを堪え切れなかったように噴き出し、こう言った。


「なんだよ。あんだけ偉そうにしておいて、お前一人だけ役立たずかよ。う、ウケる! だっせぇ!!」


 明らかな嘲りの言葉を口にし、可笑しくって堪らないとばかりに腹を抱えて燈を嘲笑うその男子生徒へと窘めるように視線を向ける者もいたが、反対に彼に同調して燈を馬鹿にする者も現れた。集団となった彼らは更に大きな笑い声を上げ、口々に燈へと罵倒の言葉をぶつけていく。


「俺たちの中で一人だけ価値がないとか! この世界に呼ばれた意味ねーじゃん!」


「やっぱ、普段はイキり散らしてる奴ってのは、ここぞって時には役に立たないもんなんだな!」


「……俺、そんなイキってたか? 自分ではそんな自覚がないんだけどよ」


「おおっと!? 役立たずの癖に反論かぁ!? 自分の立場ってもんを考えろよ、虎藤!」


 特に関わりのない相手から投げかけられた言葉に異議の声を上げてみれば、それすらも生意気だとばかりに罵声と嘲笑を浴びせられる。この異様な雰囲気に燈だけでなく王毅たちも困惑する中、燈を馬鹿にする生徒たちの声は増々大きくなっていった。


 それは恐らく、一種の陶酔であったのだろう。花織や大和国の住人たちという自分たちを持ち上げる存在と出会ったことや、自分の中に眠っていた力を掘り起こされたことで優越感を得ていた彼らは、自分たちと同等の力を持っていなかった燈という存在を見下す考え方を持ってしまった。

 自分たちは凄い存在だと酔い痴れ、燈は駄目な奴だという考え方が勝手に刷り込まれてしまったのだ。


 自分たちが不良として怖れていた燈が、ほんの数分のやり取りで一気に地位を陥落させた。

 特に恨みはないが、普段から溜まっていた燈への劣等感のようなものが堰を切って溢れ出し、彼らの心を黒く染め上げる。


 つい先ほど、燈が王毅の提言で盛り上がったクラスメイトたちを諫めたことも悪い意味で作用してしまった。

 自分たちのことを口うるさく責め立てた張本人が実際は無力だったという、彼らにとってはスカッとするような落ちがついたこともあって、燈への罵声は調子に乗っていくばかりだ。それを止めるような人間がいなかったことも、彼らの中の身勝手な考えを正当化させるのに一役買っていた。


 もう、彼らの中での燈への評価は『何の役にも立たない癖にイキり続けてきた無能』で決定している。彼への罵詈雑言を口にする度にその思いは強まり、揺るがぬものへとなっていった。


 そうやって、好き勝手に燈を馬鹿にしていた生徒たちの内の一人にして、真っ先に彼を嘲笑った人物である竹元順平たけもとじゅんぺいは、乗りに乗った調子のままに、禁断の一言を口にしてしまう。


「こいつって雑魚じゃん、雑魚! クソ雑魚燈! 略してザコリ! 今日からお前の名前、ザコリで決定な!!」


 ギャハハハという、自身の発言に笑う仲間たちの声を聞きながら、腹を抱えた順平もまた大声で燈を嗤い続けている。


 別段、燈に恨みがあるわけでもないのだが、こうしていると楽しかった。チート能力を得た自分たちの中で、ただ一人だけあぶれてしまった燈を馬鹿にして笑いを取ることが楽しく、彼を嘲笑うことが楽しいという理由だけで馬鹿騒ぎをしている彼であったが、その短慮のツケを支払う時が唐突に訪れる。


 まず、彼が感じたのは浮遊感だった。その後、息苦しさに続いて背中に猛烈な衝撃を感じた彼は、自分が何かに叩きつけられたことを理解する。


 息苦しさを感じているのは首根っこを押さえられているからだと順平が知ったのは、瞳を爛々と輝かせた燈が怒気を孕んだ声で自分を恫喝している姿を目にしてからだった。


「がっ、はっ! このっ、放せよっ!!」


「今、なんつった? 俺の名前は、何だって?」


「がふ……っ!!」


 ぎりぎりと、首が締め上げられていく。胸倉を掴んだ燈の左手の筋力によって体を持ち上げられた彼は、床についていない足をジタバタと動かすことしか出来ない。


 先ほどまで一緒になって騒いでいた仲間たちも、怒りを燃え滾らせる燈を前に硬直してしまっていた。もちろん順平を助けるような素振りも見せず、恐怖に竦んだ表情のままに燈の怒りの矛先が自分に向かわぬことを祈っているだけだ。


「人を雑魚呼ばわりして馬鹿にするのは構わねえが、それに絡めて俺の名前を馬鹿にすることは見過ごせねえな。今すぐに発言を撤回しろ。それとも、このままタコ殴りにされたいか?」


「うぐっ、ぐぅ……っ!」


 フリーになっている右手を小指から順に折り曲げ、握り拳を作り上げる燈。彼の声からは、脅しだけではなく順平が先ほどの発言を謝罪しなければ本気で殴り飛ばすという、確固たる意志が感じ取れた。


 自分が悪いことも、燈に対して何も抵抗出来ないことも分かっている。しかして、順平はここで素直に謝罪することを躊躇っていた。


 燈を散々馬鹿にし、見下した癖に、少し脅されただけで彼の言いなりになることがどれだけダサいことなのかを理解している彼は、ここで謝ったらクラスでの自分の立場が無くなることを恐れているのだ。


 さりとて、そんな順平の事情など燈には知った事ではない。名前を馬鹿にするという自分の逆鱗に触れた相手がその発言を撤回しないのなら、力づくでもそうさせてやるという意志しか今の燈の中には存在していないのだから。


 そうやって、目の前の燈の威圧感に怯えながら、順平は今から彼に痛めつけられることへの恐怖と今後の自分の立ち位置を天秤にかける。


 この場を乗り切り、誰かが止めに入ってくれるまで我慢すればいいのだと頭では理解しながらも、心が燈への恐怖で萎えてしまっていた彼は、獣のように鋭く眼を光らせる燈が振りかざした右腕を自分へと伸ばす姿を目の当たりにして、恥も外聞も捨てた金切り声で叫んだ。


「わ、悪かった! 俺が悪かったよぉ!!」


 その瞬間、鼻先まで迫っていた燈の拳がピタリと止まった。同時に胸倉を掴んでいた左手が開かれ、束縛から解放された順平は力なくその場にへたり込む。


 暫し、その体勢のまま呆然としていた順平がゆっくりと顔をあげると、自分を見下ろしていた燈と目が合った。まだ怒りの炎が消えてはいないその瞳に怯えを感じ、びくっと体を震わせた彼に対して、燈は静かな声で呟く。


「二度と、俺の名前を馬鹿にすんじゃねえぞ。お前がどれだけ強くなろうとも、俺より強くなったとしてもだ。そのルールを破ったら、俺はお前を絶対にぶん殴る。どんな手段を使ってでも、だ。……わかったな?」


 その言葉に対して、順平はぶんぶんと首を縦に振ることしか出来ない。自分より下と見なした、役に立たないと言われた人間に対して下手に出て要求を承諾することしか出来なかった順平の頷きを黙って見つめていた燈は、背後から花織に声をかけられ、そちらへと振り向いた。


「虎藤燈さま。気力が存在していない貴方には、我々と共に他の英雄様たちの支援役を担っていただきます。ここからは英雄様たちとは別の説明を受けることになりますので、案内役に従ってそういった方々の集合場所へどうぞ」


「役立たずは出て行けってことか。わかったよ。ま、考えようによっちゃあ、危ない目に遭わなくて済むんだからラッキーかもしれねえしな」


 花織の言葉を合図にして、別の巫女が教室の扉を開けてからクラスメイト達へと恭しく一礼をした。その対象に自分が入っていないことを何となく感じながら、ぼやきを口にした燈は素直に指示に従って教室を去る。


 クラスメイトたちの前から姿を消す寸前、不意に立ち止まった燈はバツの悪そうな表情を浮かべると、やや申し訳なさそうな様子で仲間たちへとこう口にした。


「……もしかして、俺のイキってた部分ってこういうことか? 悪いな、確かにお前らの言う通りだったわ。んじゃ、その……そっちも頑張れよ!」


 謝罪のような、自戒のような発言をした後で、今度こそ燈は教室を出ていった。彼と案内役の足音が徐々に遠くなり、完全に聞こえなくなった頃、2-Aの教室内には再び押し殺したような笑い声が響き始める。


 それは、多少の燈への侮蔑の感情が込められた笑いでもあったが、それ以上に彼にやり込められた順平への嘲笑の方が多かった。ダサい、格好悪いという言葉が、教室の床にへたり込む彼へと容赦なくぶつけられていく。


 そうやって、先ほどまで大いに盛り上がっていた面々の中心にいたはずの自分が、瞬く間に燈同様の嘲笑の対象とされてしまったことに屈辱を感じる順平は、ふつふつと湧き上がる身勝手な逆恨みと燈への見下しの感情を再燃させ、彼への憎しみに拳を震わせ、歯を食いしばる。


「ふざけんなよ……役立たずの、雑魚の癖に……っ!! 許さねえ。絶対に、許さねえからな……!」


 顔を伏せた順平はぶつぶつと怨嗟の声を口にしている。2-Aの生徒たちは既に次に何をするかを楽しみにしているせいで彼への興味を失っており、順平が燈への憎しみを煮詰めていることになど、まるで気が付くことはなかった。


 この時点で、誰かが彼の心にケアを行っていれば、後に起こる悲劇は回避出来たのかもしれない。だがしかし、誰一人として順平を気遣う者は現れず、先ほどまで彼と一緒になって燈を馬鹿にしていたクラスメイトたちでさえ、今は彼を嘲笑う始末だ。


 こうして、順平はこの日の屈辱を胸に刻み、燈への怒りと憎しみを募らせていくことになる。遠くない未来、その感情が大きな事件を引き起こすということを、この時の彼らは知る由もなかった。

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