第8話 Without you
開いたドアの向こうに見知らぬ女の人がいた。
「ありがとう。また来るね。」
ドアの影からひょっこりメイが顔を出した。
「メイ!」
慌ててドアの前まで行くとその女性は、不思議そうな顔で軽く会釈をして去って行った。
「メイ、体調大丈夫か?」
「あ・・・大丈夫だよ。」
「朝、来なかったし、メッセージも見てないみたいだし、心配して・・・来た・・・。」
こんなにもメイに夢中なのかと思ったら、メイの事をちゃんと見れていないんじゃないかと、少し自信がなくなった。
「ごめんね。お母さんが来てて、気付かなかった。」
「大丈夫ならいいんだ。」
(さっきのはメイのお母さん?)
だいぶ若く見えるメイのお母さんを見送った。
「アキさん、もしよかったらどうぞ。」
嬉しさで鼓動が高鳴った。メイの部屋はとてもシンプルで花の香りがする。
確かに痩せたかも。部屋よりメイをまじまじと見る。
「座って。」
俺を癒すその微笑みはいつも通りだった。
メイが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、ほっと一息つく。
「明後日のライブのチケット。」
そう言ってバッグから取り出してテーブルの上に置いた。
「メイ?」
「あ、うん。ありがとう。」
にっこり笑ってはくれるものの何か不安が残る。
「来てくれる?」
「うん。楽しみにしてるね。」
しばらく沈黙が続いた。戻らなきゃいけないと自分に言い訳して立ち上がった。
「リハあるから戻るわ。」
「うん。また明日ね。」
玄関を出ると外は雲で真っ暗だった。空を見上げて、急いで階段を降りた。
降り切ったところで、降り出した雨に一瞬怯んだが義務感を引っ張り上げて歩き出した。
傘を取りに家に向かって歩いていたら、後ろからサンダルの足音が聞こえた。
「アキさん!待って。」
メイが走って来るのがわかった。その瞬間に雨粒がみるみる大きくなっていく。
俺に追いついたメイは傘を差しだすが、既に二人ともびしょぬれになった。
「あっ・・・。」
何も言わずにメイは俺の手首を取って家に戻った。
メイの部屋の玄関で二人で顔を見合わせてくすくすと笑った。
「なんで戻ってきちゃったんだろう?」
「つーか、傘は?」
「あ・・・。」
持っている傘を見て、再び見合わせて笑う。
理由はわかる。二人にしかわからない感覚。お互いが求めていたから。きっと。
自分が濡れていることを差し置いて、メイが俺の濡れた服を拭いてくれた。
「貸して。」
タオルを受け取るとお返しにメイを拭く。
「私は大丈夫。着替えるから。」
濡れた髪が、透けた服が始まりを予感していた。
言葉にならない想いで自分の顔をメイの顔に近づけた。
そのままなだれ込むように色を帯びたメイの視線を絡めとる。
あの人も時々そんな表情をしていたなとふと脳裏に浮かぶ。
何もないけど、ギリギリのラインで言葉と表情で駆け引きする。
止められない欲求に戸惑いはなかった。
ベッドの前で抱き合いながらメイの指先が俺の脇腹をたどるのに快感を覚えた。
「・・・アキさん。」
腕の中で視線だけ、俺に向けたメイは俺のブレーキを踏んだ。
「戻らなくていいの?」
口づけを交わしながら
「メイがいい・・・。」
「でも、明後日のライブが・・・。」
「それは大丈夫だ。メイがいれば。」
何かを想い詰めた表情が狂おしく、俺の加速が止まりそうになかった。
「アキさん・・・あの・・・私・・・。」
気持ちよさの合間に複雑な表情が垣間見えた。
「実は初めてで・・・。」
手が止まる。メイの顔は今にも泣き出しそうな戸惑いがあった。
「メイ、ごめん。」
その顔を見ただけで、これまでの色々な苦悩が容易にできる。
何も言えずメイを抱きしめた。
大事にしなければ。
メイの気持ちもメイの想いも、今のメイの境遇も。
ここまで誰かが大事だと思えたことはない。だからこそ、躰の熱が引いてゆくのがわかった。
「メイ。俺もある意味初めてだし、ゆっくり進もう?」
嬉しそうに流すメイの顔に残る戸惑いが、一つ、俺の心を強くした。
「明後日、絶対ライブ来て。最後まで、いて。」
小さくうなずくメイをもう一度優しく抱きしめて、メイの部屋を出た。
その日のリハは、全力で想いをぶつけた。
「ちょっと力みすぎ。」
クウに言われた一言で、メイへの想いの強さを自覚した。
「今日はゆっくり休むわ。」
家に帰って一旦頭を冷やした。
大事なライブ前に粗い感情で挑めない。
意識を夢に向けて、調整しなければ叶うものも叶わない。
翌日は雨だった。いつもベンチにメイがいないことはわかっていた。
用もないのに演劇科の実習室の前を通ったりしたけど・・・メイに会うことはなかった。
雨の日の憂鬱。顔を見れる時もあるし見れない時もある。
顔が見たいはずなのにメイにメッセージを送る。
『明日のライブ待ってる』
すぐに返事がきた。
『アーティストのアキさんに会えるの楽しみにしてるね。』
浮かれそうになる自分の足をしっかり地につけた。
ライブ前日のリハはこれまでで最高の出来になった。
「明日はライブハウスに15時入りでよろしく。」
リハを終えた俺たちはトニーのその言葉でスタジオを出た。
ずっと追いかけてきた俺のアーティストの夢。何万人もの観客の前で想いを伝える。それが叶った後に一番会いたい人。ついこないだメイと7カウントで甘い時間を過ごしたその場所に向かう。
「メイ今日も来てくれてありがとう。」
「かっこよかった。」
そう笑顔を向けてくれたメイをキツく抱きしめる。
「でもね、アキさん・・・さようなら。」
去っていくメイの後ろ姿を追った。
「私のことは忘れて。また、いつか、どこかで。」
「メイ?どこ行く・・・。」
俺の言葉は届かなかった。メイは振り向くこともなく背中が遠くなって行く。
「メイ!!待って!!」
暗い世界に独り取り残されて絶望した。
「メイ!!!」
その名前を絶叫して膝から崩れ落ちた。
「・・・夢。」
そんな悪夢・・・ほっと胸をなでおろすと同時に、自分が思い描いてた夢とメイとの柔らかな日々の両方守ることに不安を覚えた。
その夢を払拭するように、自ら強制的に現実を見る。
初めての自主企画ライブ。夢への第一歩。今まで自分が歌とギターと・・・音楽と向き合ってきた理由、そしてアーティストとしての自分。揺るぎない自分の想いを再確認した。
決戦は明日。ライブで想いを届けたい。
楽しませる、楽しむだけじゃなくて、俺の想いを表現してこそ意味があると。
夢の真ん中にある、自分が自分であるための主体性。
迷いがない自分に自信を持って、俺は再び布団にもぐりこんだ。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします。」
メンバーでライブハウスの店長、スタッフ、PAに丁寧にあいさつして回る。
音出しの確認からリハーサル中、ViViDAYSのメンバーが到着した。
ステージ上から挨拶を交わして、リハーサルを再開した。
リハが終わって楽屋に戻るとViViDAYSのメンバーがリハーサルに出る。
俺たちだけになった楽屋でそれぞれが準備を始めた直後、楽屋のドアが開いて差し入れを持ったミクが入ってきた。
「お疲れさまでーす!差し入れ買ってきました!」
「おお!ミク、サンキュー!」
リハを見にトニーとミクが楽屋を出るとマサも追いかけるように出て行った。
楽屋でクウとヘアワックスをそれぞれつけながら、鏡に向かっていた。
「今日来るんだろ?」
「一昨日チケット渡した。」
何かを察した様にクウが鏡越しに俺を見た。
また沈黙が続く楽屋に楽しそうに笑いながらマサが戻ってきた。
「やっぱりビビッドさんたちかっこいい!見に行こうよー。」
その言葉を受けて、ドアの向こうから聞こえてくるリハを見に行く。
まっすぐに飛んでくる音に疾走感を感じて、また音楽での新境地に行きたくなった。
「ライブはいいな。」
内臓まで届きそうな重低音と脳の奥で感じるギターの唸りが俺の音楽への情熱をもっと燃やした。
リハを終えてすぐに会場にお客さんが入って来る声が聞こえた。
まもなくして、ミクのオープニングアクトが始まる。
「今日は“フェンス越しMINE”自主企画、ViViDAYS 2マンライブにお越しいただきありがとうございます。オープニング・アクトさせていただくミクです。」
今日はオーディエンスとして来ているライブ仲間から声援をもらってミクが笑顔になる。
「主催のフェンス越しMINEの私の大好きな“crisis”をカバーさせていただきました。みんな、今日は楽しんでね!」
クウがアレンジしたイントロが流れてミクのギターが軽やかにアンプを揺らす。
あらためてこの曲を書いた去年を思い出した。
あの人も結局“男”だった。本当の男好きかはわからない。でも、俺をそそのかして本気にさせたんだと、今気付いた。
腹立たしさと感謝が同時に湧き上がった。
俺は・・・それを認めたくなくて、苛立って好きでもない女と付き合ったりしていたことも、今ならわかる。
「ありがとうございました!ミクでした!」
そう言って、ミクはステージを
「お疲れー!」
袖で見守っていたメンバーにハイタッチをして、ミクは楽屋へ戻った。
「下でビビッドさんたちのライブでも楽しむか。」
トニーに促されて、フロアに向かった。
PAの横で目立たないようにビビッドさんのパフォーマンスを見ているメンバー。
俺は・・・時々、ピンクゴールドのキレイな髪を探した。
ステージに押し寄せる人たち、その少し後ろでまばらに立っている人たち。
フロアに入って来るひとりひとりを見ながら、メイの姿を求める。
「アキ、ライブに集中しろよ。」
隣に立っていたクウが珍しく苦言を呈した。
「わかってる。」
目を閉じてふぅっと息を吐いた。
まだスタート地点。これからもっと高みを目指していく。そのためには、何があろうと足をしっかり地につけなければいけないことはわかっている。
圧巻のパフォーマンスとオーディエンスを引き込む力。ViViDAYSの凄さを目の当たりにして、また、強く思い描く。
「そろそろ楽屋戻るか。」
メンバーと楽屋に戻り、靴を履き替えた。
ビビッドさんが終わり、入れ替えるように袖に向かう。マサが一足先にドラムのセッティング調整でステージにいた。機材の入れ替えが終わるとマサが俺たちに視線を投げた。
クウとトニーが先にステージに立つ。俺はマイクを持った右手を左手で包み込んで額に当てて、仰いだ。一瞬のその儀式の後、ステージの真ん中に立つ。
一呼吸をおいたところで、最初の曲が始まる。
このいつもより高いステージから見下ろす景色が、俺の魂に火をつけた。
いつも通りトニーが2曲目の前のMCをしていた。
「盛り上がってますかー?」
呼び声に手を上げて応える。マイクをスタンドに刺す時にフロアを見回した。ジュリもルカもレンも、ミクもViViDAYSもダンスクラスのみんなも、楽しそうにしているのが見える。
「初のフェンス越しMINEの自主企画ライブに来てくれてありがとう!初めましての人も楽しんで!」
ギターのストラップを肩に掛けながら、もう一度フロアを見渡した。
阿吽の呼吸でマイクの前に立って、MCのバトンを受け取る。
「次の曲は“crisis”の時に弱気になった等身大の自分を書いた曲です。」
言いながらクウを見る。
「“Get away”」
タイトルを言い切る前に、クウのピアノ音が始まった。
何かを祈る様に歌い出す。
すっと入って来た、その時の自分。ギターに意識を逸らしながらアレンジしたこの曲を歌う。
フロアの奥から光が差して、ゴールドの長い髪が反射したライトに合わせて色が変わった。
明るいステージから見たフロアは真っ暗で奥までわからない。
でも、その人がメイだということはすぐにわかった。
ピックを持つ右手がご機嫌に跳ねる。我ながらわかりやすい。
その後もその人の顔がはっきり見えないが、時々カラフルになる髪が揺れているのがわかった。
あっという間に最後の曲になる。
「次が最後の曲になりました。」
残念そうな声援が嬉しい。
「この曲は・・・ある想いを伝えるために書いたストーリーです。」
会場が静まる。構わずに話し続けた。
「今日のこのライブの話が出てから今日までの数か月間、こんなにいろんな感情が自分にあることを知らなかった。そして、自分の夢への強い思いと本当の自分が何者なのか、それがわかった時にふっと書き上げた曲です。」
ここにいる人の視線が俺に集中する。でも、俺はその奥にいる金色の長い髪の・・・メイをじっと見つめた。
「新曲聴いてください。“Identity”。」
アンニュイなイントロで始まりBメロから8ビートに変わる。時々リズムが跳ねてそれがまた俺の心をゾクゾクさせる。
最初は静まったままのフロアもみんな笑顔でビートに合わせてジャンプしていた。
それを俯瞰で見ながら、歌詞に合わせて思い出す。
この世を去ったあの人の本性。亡くなった日に起こった2つの別れと1人の出会い。
偶然が偶然を呼び惹かれていった。メイを想いながら、歌った。
最後のフレーズはメイをまっすぐ見つめた。
フィニッシュのライトがフロアの奥からステージに回った時、涙を流しているメイが見えた。
「今日はありがとう!」
今すぐメイを抱きしめたくて、真っ暗になったステージで一言挨拶をしてすぐに袖に捌けた。
「アンコール!アンコール!」
一人、二人・・・次第に大きくなるアンコールに再びステージに上がる。今すぐ駆け寄りたいのに嬉しい反応だった。
メンバーと再びステージに上がった。
「ありがとうございます。今日オープニング・アクトでミクがカバーしてくれた曲、“crisis”。」
ミクがカバーしたアレンジではなく、オリジナルアレンジで歌った。さっきまでの集中力はもうなかったが、まだゴールドの髪が見えてうまく肩の力が抜けた。
メンバーが全員ステージに並んでお辞儀をしてライブは終了した。
「おい!アキどこ行くんだよ!」
トニーに止められたけど、急いでメイがいたところへ向かう。
らしくないのかもしれない。それでも、今はこれが俺らしい。
フロアのドアを開けてメイがいた場所を見る。
「・・・どこだ・・・・・・。」
フロアにいた数百人の人を掻き分けてメイを探す。
「アキ!自主企画成功おめでとう!」
なんて返したのかわからないぐらいジュリの声にも曖昧な返事しかできなかった。
ダンスレッスンのメンバーやライブ仲間も駆け寄って声を掛けてくれるが、俺の耳には届かなかった。
ロビーに出てメイを探しまくっても見当たらなかった。
「メイ見なかった?」
トイレから出てくるルカになりふり構わず聞いた。
「メイ?来てた?」
「ごめん。ありがとう。」
そのままライブハウスを走って出た。
蒸し暑い梅雨の夜に駅までの道を走って探した。
メイのために書いた曲を歌って、抱きしめたかっただけで必死になっている俺。
でも、メイに会えなかった。ただ、メイと会えなかっただけ。それだけなのに心が空っぽになった。
ライブハウスまで少し放心状態になりながら歩いた。
「アキ!どこ行ってたんだよ!早く送り出しをよ!」
トニーに急かされて切り替えきれないままロビーで挨拶して回った。
ロボットのようにクールな自分を演じきった。
楽屋に戻ってやっとスマホを手にして、メッセージを見た。
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