第5話 Break and realize

 泣きだしそうなメイを見ていたら、愛おしさが湧き上がった。

 たまらずそっと唇を重ねた。1度では足りず、何度も口づけた。

 少し強い力で胸を押し返されて、その目には涙が浮かんでいた。

「・・・ごめん。」

 黙るメイに絶望感を感じた。その沈黙の後、メイはうつむいて口を開いた。

「・・・違うの。アキさん悪くない。」

 メイの涙が膝に落ちた。スカートを握りしめていた手が口元に動く。

 何かを決心したかの様に泣きながら顔を上げたメイが突然俺の手を掴んだ。

 引き寄せる様に俺の手を自分の“性の中心部”へ当てた。

「!?」

 絶句した。なりふり構わずメイは言葉を続けた。

「私・・・男なの。でも、心は女で・・・。」

 静かに流れる涙と自分の心の彩がなくなっていく様だった。

 俺は頭が混乱しすぎて何も言えないまま、メイの話を聞いた。

「・・・受け入れてもらえないよね。」

 何も言えなかった。受け入れられないかどうかもわからずにいた。

「メイ。俺、メイは友達だし、好きだ・・・。でも、混乱してる。」

「ごめんね。私の事は忘れて。」

 それすらもできないのはわかっていた。

「アキさん、でも友達で・・・いて?」

「わかってる。混乱してるのは、自分自身のことだから。」

「・・・ありがとう。」

 頭が真っ白でそう答えるのが精いっぱいだった。


 カラオケ店を出るとルカに会った。

「あ・・・。」

 ルカはあからさまに気付かないフリをして通り過ぎて行く。

「ルカ。」

 それでも素通りしようとするルカを引き留めはしなかった。

 歩き去るルカと一緒に立ち止まったメイの間に挟まれ、気まずさが重なる。

「アキさん、私寄るところあるので、また。」

 メイは軽く会釈をしながら、家の方向とは逆に向かって去っていった。それを見届けてルカに走り寄る。

「何故逃げる。」

「別に。アキはなんでついてくんの?」

 答えにつまった。何かを見透かされる気がした。

 別れたとは言え、今は余計なことを考えそうで独りになりたくなかった。

「レンと待ち合わせしてるから。じゃ。」

 数十メートル進んだところで、一方的にルカは俺を独りにした。


 無意識にエンカレのスタジオに向かった。

 無償にギターが弾きたくなった。いや、弾かないとおかしくなりそうだった。

 スタジオに着くなり椅子に座ることもなく感情を全てギターに託した。

 武器ももたず水だけ持って前に進んでる道中、突然、魔物が出てきたような・・・そんな困惑と戦わないと前に進めない現実。

 こんな時間にスタジオのドアがそっと開いた。

「・・・アキ君?」

 フラッシュバックした。この心境の時にミクの声を聞いて冷静になれるはずもなかった。その魂全てをギターに叩きつけた。

「うおぉぉぉぉぁぁぁぁぁああああ!」

「アキ君!やめて!」

 堪えようのない想いが込み上げて、ギターを振りかざしていた。その腕をミクは小さな体で必死に止めようと、俺の躰ごと抑えつけようとする。

「うるさい!!!」

「アキ君!どうしたの?ギターはダメだよ!!」

 揉み合いになり、ミクを押し倒した。そこに理性はなかった。

 ミクは力強く・・・唇を押し付けた。その瞬間、支配欲が湧き上がる。

 壊してしまいたい衝動をミクにぶつけた。まるで色気を感じない子供みたいな服を破るように脱がせ、その幼児のようなミクの躰を、決して優しいとは言えないほど雑になぶった。

 無意識に硬くなった俺の本能その“モノ”をミクが物欲しげに慣れない手つきで触り、ファスナーを両手で下した。

 潤んだ瞳に反して喜んでいるかように少し上がったミクの口角を見た瞬間に俺の時が十数秒止まる。いや、本当は1秒もなかったのだろう。

 止まった時間に脳裏に浮かんだのはメイと過ごした静かで心が温かくなった沢山の事だった。同時に俺の本能は身を潜め、壁に向き直した。

「・・・ごめん。」

「アキ君!いいの!むしろ・・・。」

 音がしないのスタジオの秒針が4回鳴った気がした。

 沈黙から絞り出すようにミクが声を出した。

「・・・アキ君・・・お願い・・・止めないで・・・続けて。」

 小さく震えながら泣いているのがわかった。途端にいろんな罪悪感でいっぱになる。

 俺は大きく静かに息を吐きだした。

「早く着ろ。もうこれ以上しないから。」

 今は理性を叩き起こして、冷静になれたらそれでいい。

“無”になった。溢れ出る感情を出し切った感覚になってギターとミクを置いてスタジオを出た。

 外に出ると今にも降り出しそうな曇り空だった。それでも、あの日と同じような気分で家路についた。


 まだ拭いきれない罪悪感で前を向くことができなかった。

 出会いと別れがあったあの公園にフラフラとやってきた。

 噴水の前でじっと見ているとテチッテチッと雨が降り出した。

 俺は、動くことができなかった。

 ・・・この罪悪感も流してほしい。自分勝手な想いが足枷あしかせになった。


 俺は一体どこの誰なのか?

 何がしたいのか?どこに向かっているのか?


 メイのこともミクのことも自分の夢も書きたい曲も孤独に死んでいったあの人も全てが何かわからなくなった。

 一度リセットしたはずの自分に残っていた残像が雨の雫とともに体にみこむ。


 まだ人の気配もまばらな時間になりふり構わず雨に打たれ続けた。

 突然、俺の前で足音が止まる。誰かを確認するまでもなく見覚えのある黒いブーツ。

「アキ、何してんの。」

「・・・・・・。」

 ジュリがいるのはわかっていたけど、顔を見ることはできなかった。

「アキ?」

 雨でごまかしていたけど、俺は泣いていた。幼馴染の声を聞いて子供の頃に戻ったように嗚咽おえつして泣いた。

「っうぅ・・・っうっ・・・。」

「・・・アキ・・・・・。」

 何も言わず雨でびしょ濡れの俺をジュリは抱きしめた。

 子供の頃もあったな、こんなこと。合間に懐かしさがよみがえって一瞬心がほころぶ。だから、涙が遠慮なく流れる。

 ジュリはゆっくりと俺の頬を両手で包み込んで目を見つめた。

 今、目を合わせてしまったら、ジュリまで壊してしまいそうで、自分が怖かった。

「アキ・・・帰ろ?風邪ひくよ?」

 腕の下にジュリは肩を入れて俺を抱えるようにしてずぶネズミになった俺を家まで連れていってくれた。


 ジュリの言った通り、俺は風邪を引いた。そして、肺炎で1週間入院した。

 意識が朦朧とした病床の上で見た窓の外に紫色の空はなかった。


「アキィィィィィィィィィ!」

 久しぶりに行ったエンカレに着いて、泣きそうな仔犬の様に走って来たのはマサだった。

「なんだよ。」

「もう!アキ心配したんだからねっ!」

 マサらしく茶目っ気たっぷりにふざけた。

「ごめん。大丈夫だよ。」

 全てが元通りになったかのように朝なのにマサと校内を歩いた。そして、トニーもクウも集まる。メンバーが集まって過ごす時間は平和そのものだった。

「アキ君!!もう大丈夫?心配したよぉ!」

「ああ・・・。」

 何事もなかったようなミク。何もなかったことにしていいってこと・・・だよな。

 再び湧き上がりそうな自分の黒い部分が怖くなって、そう言い聞かせた。


 病み上がりの体に不安を覚えながら、久しぶりのダンスレッスンは足取りが軽かった。


「みんな、おはよう。」

 ストレッチをしながらライ教授がレッスン室に入って来る。その後ろからいそいそと滑り込むようにピンクゴールドの髪がなびいた。

 幸か不幸か忘れていた事がよみがえる。

 それぞれが定位置で立ち上がって、レッスンが始まった。


 大丈夫だ。平常心。

 何度か心の中でつぶやいた。

 ・・・なぜだろう?

 心の傷が痛すぎる・・・。

 体は必死に動いているのに、自分の気持ちが迷子になっていた。


「はい、終わり~!お疲れさま。来週の合宿は、大事な振り入れします。体調しっかり整えるように!」

 ライ教授のその言葉と同時に魔法が解けた様に我に返る。

 レンと話してるジュリ、その横で涼しげな顔してるルカ、コロコロと笑うミクを順番に見た後にメイを見た。

 自分の心が砕け散りそうになる。やっぱり・・・胸が熱くなる。メイを見ているだけなのに。

 メイが振り向いて目が合う。それぞれがレッスン室を出て行くのがただの景色にしか見えなかった。

 俺とメイだけが時が止まったように瞬きさえできなかった。


「アキ、この後ライブの打ち合わせしようぜ~。」

 ひょっこりレッスン室に顔を出したトニーの声で時がまた動き出した。

「今行く。」


 やっぱりメイの事が気になる。その理由はまだわからないでいたい。

 気持ちをそこに置き去りにできないまま、スタジオへ向かった。


「新曲どう?」

 トニーに訊かれて、俺はただ首を横に振るだけだった。

「新曲なしでとりあえずセトリ作ろう。あと1か月半しかないんだし。」

 気付けばもう2ヶ月をきっていた。俺がどうしても書きたかった曲は全く進んでいない。

 メンバーで話し合って自主企画をオリジナル曲だけでライブする方向になった。それぞれ曲作りの大変さをよく知っているから、俺をつめることはなかった。

 対バンが決まって、できたフライヤーをそれぞれが手にしていた。

「とりあえず、エンカレ掲示板に貼ろう!」

 マサがフライヤーを持ってスタジオを出ようとした。ちょうどそのタイミングでミクがスタジオに入って来る。

「マサくんどっか行くの?」

「フライヤーできたから、とりあえず掲示板貼ってくる。」

「ミクも行くよ!」

 マサとミクが兄妹みたいにわちゃわちゃと走って出て行った。

「せっかくだから、オープニングアクトでミクに1曲歌ってもらうか?」

「いいと思う。」

「いいんじゃない?」

 初めてミクの歌声を聞いた時に抱いた嫉妬心はもうなかった。ギターからしばらく離れていたからかもしれない。いや、それどころじゃなかったから?

 今だからライブのこともちゃんと考えられる。そう思っていた。

「今日も少しリハしようか。」

 それから小一時間、セトリの順番を確認する程度に軽くリハをした。

 久しぶりに弾くギターは軽やかだった。


 桜の代わりに薄いピンクに校舎が染まっている横を5人で歩いて帰った。

「こんな時間でもまだ明るいな。」

 桜が満開の頃にミクと二人で歩いた頃は同じ時間でも暗かったのに、季節が変わったんだと実感した。

「来週の合宿楽しみだね!アキ君。」

 その笑顔に少し胸のあたりがチクっとした。忘れてたはずの想いがうずきだす。

「合宿って言っても学校に泊まるだけだろ。」

「そうだけどさ、いつも授業して、その夜みんなと過ごせるんだよ?楽しみすぎるよ!」

 思い出が残るんだろうけど、それが甘いものなのか苦いものなのか想像もつかない。

「アキとミクは初日ダンスだろ?それ終わったらまた集まろうぜ。」

 まるで修学旅行にでも行くかのようにトニーが言うと、またそれぞれが他愛もないやりたい事を話し出す。これが俺の日常。


 それから新曲も書けないまま、1週間が過ぎ去った。

 初日の朝。いつもより早い時間に宿舎へ向かう途中、あのベンチにメイが座っていた。胸騒ぎなのかときめきなのか、どちらともとれるふわふわとした感覚が心を覆った。

「おはよう、アキさん。」

 その笑顔を見て、懐かしいようなはがゆいような気持ちになった。

「おはよ・・・。」

「宿舎がまだ開いてなくて。」

 見ると開錠まであと5分ある。あのベンチに座ることもなく、俺は立ったまま待っていた。少し冷たさを感じる空気をほんの数秒肌で感じた。

「アキさん・・・あの・・・。」

 メイが何かを言いかけた時、宿舎が開いた。

「3年生の合宿の子達かな?まだ早いけど、中へどうぞ。」

 優しそうなおばさんが遮るように声を掛けてくれた。

「ありがとうございます。」

 促されるように宿舎へ入った。まもなくして、3年合宿参加者がポツポツと集まる。


 メイが何を言いかけたのか気になりながらも、明るみにしたくない気持ちでいた。

 部屋に入り、窓からいつもと違った角度の校舎をしばらく眺めているといつものメンバーが来た。

「おはよう!」

「おー、アキ早いなー。」

 朝からテンションが高いトニーとマサがうれしそうに俺の隣に立つ。

「ちょっと早く着いたから。」

「今日さ、夜の補講終わったらライブ曲のアレンジ相談したいんだけど。」

 相談とかクウもいつもよりテンションが高い証拠だった。


 その日は学園祭かと思うぐらいソワソワした授業が終わって補講が始まるまでの時間、俺はあのベンチに座っていた、缶コーヒーを飲みながら。

 ・・・でも、補講の開始の時間まで独りだった。重い腰を上げて、レッスン室に向かった。


「はーい!みんな集まってー。大事な発表しまーす。」

 ・・・大事な発表?

 ライ教授の言葉にレッスン室内がざわつく。

「このレッスンからダンスユニットのオファーが来ました。」

(ダンスユニット?)

 誰もが意味がわかってない静寂が走ったあと、ライ教授は続けた。

「来月、ジェルミー・フランツがワールドツアーで来日しますが、その前座・・・オープニングのダンスユニットをこの中から5人選抜します。」

 その名前を聞いて、全員の瞳孔が開いていくようだった。

「テストは、再来週のレッスンで4名ずつ5グループで行います。振り入れはこの補講だけしかしません。じゃあ、みんな準備してねー!」

 世界的に有名なアーティストの前座で例えダンスでも自分の夢に近づける。希望、夢、現実そのようなものが一気に目の前に押し寄せる。


 きっと、ダンスクラス全員が今までにないくらい必死に振りを覚えた。

 補講が終わったあとも振りを確認しあった。

 ダンスが得意な人を中心になんとなく小さなグループができる。何も考えていなかったと・・・思う・・・気付けばメイとミクの間にいた。

 俺の中の何かが動き出した。世界が小さくなった様に思えた。

 集中しなければいけないのは、振りを覚えること。なのに・・・視界の端っこでメイの躰を追ってしまう。

 レッスン室が解放されている夜9時まで自主練は続いた。


 部屋に戻るとメンバーの笑い声が聞こえた。

「おー、アキおかえり~。」

「遅かったな。」

「ライブのミーティング始めようか。」

 お風呂に入る前に待たせていたメンバーと自主企画の打ち合わせを始める。

 衣装がどうだとか、曲のアレンジどうするだとか、それぞれのイメージを融合させるように頭を突き合せた。

「アキ、風呂行ってこいよ。」

 だいぶいろんなことが具体的に決まってきたところで、珍しくクウがわかりやすい気遣いをしてくれた。

「また明日もあるし、あとは明日の夜話そっか。」

 その言葉で今日のミーティングが終わった。合宿初日の夜は慌ただしく終わった。

「ああ、サンキュ。行ってくるわ。」

 バッグの中から着替えを取り出して遅くなった浴場に向かった。


 誰もいない広い脱衣室の真ん中で服を脱ぎ、浴場の扉を開けた。

 ・・・誰かいる?

 湯気で見え辛いけど、窓に向かってお湯に浸かってる影があった。

 話しかけるでもなく、躰を一通り洗って、湯舟に入る。対角に座った。

 窓に向かっていた影がふぅっと振り返り、こちらに向かって近づいた。

「・・・メイ?」

 すぐそこにある柔らかそうな白い肌が水面にチャプンと沈む。

「アキ・・・さん?」

 戸惑うメイの声で今の状況がどういうことか把握できて、お互い背を向けた。

 天井から落ちる水滴の音が2回鳴って、メイが静かに話し出した。

「アキさん、私ね、性同一性障害で自分に自信がなくて1年休学して、海外で女装の勉強してたの。」

 メイのハスキーボイスがリバーブのかかった浴場内に心地よく響く。

「それまでは、ずっと友達もいなくて、自分に素直になろうと思って女装し始めたんだ。」

 ふぅと小さく息を吐きだして、メイは話し続けた。

「でもね、やっぱりお風呂は女風呂入るわけにいかないし・・・男の人と一緒に入るのもどう思われるか、少し・・・怖い。」

 勇気を持って話してくれたのだろう。きっと俺にだけ。

「アキさん。こっち・・・見て。」

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