第4話 Close to you

 公園に着くとルカが待っていた。

「なに?」

「家にあったアキの物、返すわ。」

「捨てればいいのに。」

 渡された2、3個の荷物を受け取って帰ろうとした。

「気を付けて。あの子。」

「あの子?だれ?」

「メイって子。何か、あるから。」

「だとしても、ルカには関係ない。」

「あっそ。あとは知らない。じゃね。」

 言い捨ててルカはさっさと帰っていった。


 別れて以来、久しぶりに来た公園に長居なんてしたくなかった。

 忘れかけていたやるせない思いが蘇りそうだった。

 リリックが止まったままだから、本当は蘇った方がいいのかもしれない。

 ただ、今は思い出したくない。


 ルカと会った帰り、家の近くのコンビニに寄った。

 コーヒーを買ってコンビニの外で飲んでいた。

「・・・アキ。」

 顔を見なくてもずっと前から知ってるその声が誰のものかわかった。

「コーヒー飲んでる。」

「まだ何も聞いてないけど。」

「何してんの?って聞くんだろ、どうせ。」

「どうせ・・・。」

 喧嘩にならない声のトーンはおとといの朝と同じだった。

「そうね。どうせ聞くね、私。」

「なに?その感じ。」

「別に。じゃ。」

 ジュリらしくない。けど、引き止める気もない。

 そのままコーヒーを飲み干して、歩き出した。


 ふっとメイを思い出す。さっきのルカの言葉が重なる。

 想いを巡らせながら角を曲がった時、俺の鼓動が何かを知らせた。

「アキさん、こんにちは。」

 なにかの花の匂いと共に名前を呼ばれた。

 少しオレンジ寄りのピンク色のパンプスが見えた。そこから視線を上げた。

「あ・・・。」

 思わず声が出た。

「どうしたんですか?」

「メイ・・・。」

「えっ?」

「ごめん、なんでもない。どっか行くの?」

「あ、うん。」

「そっか。じゃあな。」

「またね。」

 我ながらわかりやすいと思う。友達だろうと女に会って「どっか行くの?」なんて普段は訊かない。むしろ、興味がない。こんなセリフ言うは、俺史上初めてだった。


 家に着くなりすぐに机に向かった。忘れてしまいそうだった感情をただ書き連ねた。


“揺れた気持ち 見ないフリ ゲームのように弄ぶ 見えない光 広い空間 近い距離 繰り返される優しさと厳しさ 愛のない愛 裏と表と斜めと横 マウント 戸惑う 忘れた頃にやってくるシグナル ゲームのよう 誰でもいい 幼い頃の幸せな記憶 垣間見れる本心 本心のような嘘 運命 ゴシップのような陰口 交わる想いから逃げる 一貫性のない言葉 幸せと言い聞かせる 文字でしか伝えられない 交わらない運命 爽やかな顔の裏には白く塗られた黒い顔 結局最期は孤独 紫の空 新たな出会い”


 何時間もかけて言葉を探した。それでも、まだ書ききれていない。

 急にスマホが震えた。ミクからの着信だった。

「はい。」

「アキ君、大丈夫?」

「大丈夫って?」

「最近スタジオ来てないから。ギター置きっぱなしだし。」

「リリックに集中してるだけだけど。」

「そっか。ならいいんだ。」

 一瞬の静けさがあった後であっさり終わった。

「アキ君、また来週ね。」

「じゃあ。」

 短い通話を切ったあと、書きだしたノートを見つめて心が苦しくなった。

 だから俺は、ノートを閉じた。


 しばらくベッドの上で天井を眺めていた。

 まだ残る鎖骨の微熱。肌を滑るメイの手の感覚がよみがえって、背筋にゾゾゾっと何かが走った。


 見上げた艶のある視線が足の先から絡みつくような妄想。優しい笑顔に反して撫でる指先から俺の敏感になっている部分を刺激する。

 どこか影のある微笑みと少しハスキーな声、揺れる髪が・・・無実の感覚を呼び起こす。

「どこ行くの。」

 何かわからない不安にかられて、稀有な独り言が出てしまう。

 もっと・・・もっと・・・。記憶にある花の匂いが強い衝動に自分が自分でなくなってしまいそうだ。

 欲望を抑えるのに精いっぱいでご飯を食べることすら忘れて、気付けば・・・朝になっていた。


 いつもはアンニュイな朝も早く外に出たくて仕方がなかった。

 普段より1時間早く家を出た。ギターがないから久しぶりに自転車で学校へ向かった。

 途中、ルカと別れた公園に立ち寄る。

 自転車を降りて、周りを見回しながらゆっくりと公園の中を歩いた。嫌な気持ちなんて微塵も感じなかった。

「あ。」

 微塵も感じていなかったはずの“元カノ”が目の前にいた。

「おはよ。ストーカーかと思った。」

「いや、早く起きたから寄り道。」

「ふーん。・・・あたし電車で行くからまたね。」

「また。」

 昨日もここで会ったのに忘れていたぐらい心のざわめきがなかった。


 公園を抜けて急いでエンカレへ向かう。少し遠く感じた。

 いつもより冷たい空気を感じながら、なぜか実習棟へ向かった。

 特に行きたかったわけでもないトイレになんとなく向かった。そうなんとなく。

 消えていると思っていた電気がついていた。


 この時間に誰かいる・・・?


 まだ8時半だった。授業が始まるまで1時間もある。

 恐怖心ではなく“勘”で心がざわめく。

 自分の靴音とシンクロするように個室のドアが開いた。


「ミク!?」

「えっ!?なんで?アキ君??」

「いや・・・ここ・・・男子トイレ。」

「えっ?えっ?」

「朝から驚かせんなよ。」

「間違えたぁ~!アキ君、内緒にしてね!」

 せがむようなミクが妹のようでかわいかった。


 すぐに誰かが入って来るのがわかった。

「ヤバっ!」

 ミクが小声でそういうと俺の腕を引っ張って個室に戻った。狭い個室、ミクは俺を壁に押し付けて、抱き合う様に俺の中に入ってきた。

 なぜ今俺は巻き込まれているのか少し違和感を覚えながらも、その誰かが早く出ていくことを願った。視線を落とすとミクが何かを欲しそうに俺を見上げていた。

 それが何かわからず目を逸らした。


 ジリジリとにじり寄ってくるミクの腰が、刺激を与える様に密着してくる。

「・・・ミク。」

 制す様に微かな声で呼んだ。すぐにミクの手が俺の口を覆って顔が近づいてきた。

 今まで小さなミクの顔がここまで近づいてきたことはなかった。

 しばらくして誰かが出ていく。それでも目を逸らさず、躰を密着させたまま離れないミクの手を掴んでほどいた。

「行ったけど。」

「あ。アキ君、ごめんね。」

 我に返ったかのようにミクが離れる。ゆっくり振り返って個室から顔を出した。

「大丈夫みたい。」

 密着して少し汗ばんだ体がひんやりした空気を感じた。

 沈黙が続きそうだったから、先にトイレを出た。


 ほんの5分の出来事が何倍にも長く感じた。

 冷静なままいつもよりビターな缶コーヒーを買って外のベンチに座った。


 ふっと、さっきのミク記憶がメイに差し変わる。

 メイだったら・・・そう思うと途端に心拍数が上がる。


 見つめる目が、触れる髪が、密接する腿が・・・鎖骨を撫でる指が・・・。

 躰が熱くなる。そっと目を閉じて、心を落ち着かせた。

「アキさん、おはようございます。」

 ・・・メイ。ゆっくりと目を開けると求めていた瞳がそこにはあった。

 もう一度静かに息を吸い込んでからやっと答えた。

「おはよう、メイ。」

「座ってもいい?」

 そう言われて平常心でいるように何も言わずに少し右にズレた。

 隣に座るとニコニコとメイは笑っていた。

「このベンチね、天気がいい日はいつも私の指定席。」

 くすくすっと笑う。

「お昼も休み時間もここなんだ。」

「ひとりで?」

「うん。私、友達いないから。」

 爽やかに言う言葉がなぜか胸に刺さる。

「俺が友達になる。」

 自分らしくもない言葉に自分で驚いた。

「ありがとう。」

 いつもの笑顔を添えた。

「雨の日は?」

 その問いかけにほんの一瞬きょとんとして

「それは雨の日会ったら教えるね。」

 そう言ってまたくすくすっと笑った。


 翌朝もこのベンチでメイが来るのを待った。

「アキさん、おはよう。」

「おはよう、メイ。」

 この何気ないやりとりがとても幸せに思えた。

「今日ダンスレッスン一緒だね。」

「メイはダンスの経験あるの?」

「あ・・・少しね。独学だけど。」

「その割にはついてこれてるのすごい。」

 にっこり笑ってからこちらに向き直す。

「アキさん。私ちゃんとこうやって誰かと話せるの嬉しいんだ。2年休学してたから、不安もあったし・・・こんな私を受け入れてもらえるのかって、復学するのは少し怖かった。」

「メイはきれいだし、ガツガツしてないからみんな受け入れてくれるだろ。」

「だといいな。」

 伏し目がちに微笑んだ。

 その時1限目を知らせるチャイムが鳴った。

「行こっか。」

 そう言って立ち上がったメイは3歩進んで振り返った。心臓が大きく跳ね上がる。

「また・・・話そ?」

 とびっきりの笑顔でまた歩きだした。俺も慌ててメイの隣に並んで歩いた。


 メイと二人でロビーを歩いていたらジュリと会った。

「あ・・・。」

 そういうとジュリはいつもの元気すぎるぐらいの挨拶もなくスタジオに走って行った。

 ジュリのその態度は最近よく見る不思議な光景だったが、いい加減見慣れたせいか気にもならなくなっていた。

 メイと分かれてスタジオの男子更衣室へ入った。

“脱ぐだけ”の着替えを終えて更衣室を出るとジュリに出くわした。

「おはよ。」

 さっき言いそびれた朝の挨拶をジュリに言った。

「おはよ・・・。」

 相変わらず歯切れの悪い返しだった。

「大丈夫か?」

「何が?」

「いや、別に。」

 幼馴染だから、気にならないと言えば嘘になる。だが、ジュリが拒めば俺はそれ以上は何も言えなかった。

 間もなくして、メイがスタジオに入ってきただけで、そんなことはどうでもよくなっていた。


 その日以来、俺はあのベンチの前をいつも通るようになった。

 メイがいる時もいない時も一人の時間ができるとこのベンチに座っていた。

 ここに来ればメイに会える。ここに来ればメイと話ができる。ここに来ればメイに近づける。

 気付けば散り始めた桜はあっという間に葉桜になった。


「アキ!おはよ!」

「ああ、おはよ。」

「最近メイとよく一緒にいるみたいだけど、付き合ってんの?」

「いや。友達だけど。」

「あ~、だったらいいんだ。」

 ジュリはレンを見つけて走っていった。いつのまにか気になっていたことも何も気にならなくなっていた。


 だから、久しぶりに朝からスタジオに向かった。

「アキ!おはよう!久しぶりじゃね?スタジオ来るの。」

「おはよ。」

 何も答えられずにいた。いや、答える必要がなかった。それが事実だったから。

「アキ、俺らの曲、ミクに歌わせたいんだけど。アキさえよければ。」

「いいんじゃない。」

 よくない。本当はそんな簡単にいいとは言いたくない。けど、ダメな理由が見当たらない。・・・男のプライドってやつ。

「お!さすがアキ!ミクがバンドじゃなくオケで一人でエレキ持ってもいいと思うんだよな。どう思う?」

「いいんじゃない?それは好きにすれば。」

「曲なんだけどさ、“crisis”とかどうだろう?」

“crisis”か。どれも思い入れあるけど、特に思い入れが強い曲。自分の可能性を広げるために悩んで悩んで悩んでダンスレッスンが始まって壁にぶち当たった時に生まれた曲。

「ま、いんじゃない。歌詞だけミクが書いてもいいし。」

「おお!それもアリだな。サンキュー、アキ。」

 全部なんて嫌だったとは言えない。嫌というか・・・怖い。

「おはよう。」

 スタジオでその声を聞くと自分が無能にしか思えなくなるほど、強い嫉妬にかられた。

「おはよう!ミク、アキからオッケー出たよ。」

「ほんと!?アキさんありがとう!」

「俺、講義あるから行くわ。」

 いたたまれなくなってスタジオから出た。

 すぐにスタジオのドアが開く音が聞こえた。

「アキさーん!待って!」

「何?」

「今度の土曜日、CLiCK POPのライブ行きませんか?チケットもらったんだけど・・・。」

「あー、ごめん。予定あるわ。」

「わかりました。じゃあ、また誘いますね。」

 予定なんかないのに行く気になんてなれなくて断った。ミクを廊下に残して冷たいと思いながらも俺はスタスタとその場を去った。

 向かったのは、あのベンチだった。


「おはよ。」

 メイを見つけて駆け寄る。随分な変わりようだ。

「アキさん、おはよう。」

 晴れの日の朝はこれが“いつもの朝”になっていた。缶コーヒーを持って隣に座ると俺たちの会話が始まる。

「アキさん、今度の土曜日、歌の練習したいからカラオケ付き合って欲しいんだけどどうかな。」

「大丈夫だよ。」

「よかったぁ。じゃあ、待ち合わせは13時にあのコンビニでいいかな?」

「あ、うん・・・。」

 自分自身が少しもどかしくなった。でも、引き返せない俺もいて1歩前に出るしかなかった。

「メイ、連絡先交換しよ。」

「うんっ。」

 初めてだった、自分から連絡先交換しようなんて言葉を言ったのは。いつも他人任せで流れのまま連絡先を交換していたそんな自分が・・・このチャンスを逃さずに1歩近づけるとは思いもしなかった。

 缶コーヒーを飲み干して、俺の1日は始まった。


 ほんの数日がとても長く待ち遠しかった。

 ・・・もう恋と呼んでもいいだろう。そう思った。


「アキさん。」

 小走りで駆け寄るメイを恍惚として見ている。

「行こうか。」

 上げていた右手をおろして右足を前に出した。カラオケ店までの他愛もない会話はとても優しい時間だった。


「アキさん、2時間でいい?」

「あ、うん。」

 メイのその笑顔を独り占めしている自分が好きになった。

 エレベーターで二人きりになった瞬間、急にメイの香りを感じた。

 部屋の入口の前で、はっとして心拍数が上がる。

 狭い部屋のソファに並んで座る。

「何飲む?」

「私、アイスティーで。」

 こんなことも初めてだった。自分がカラオケで注文するなんて。


 しばらくの間は、馴らす様に交互に歌っていた。

「アキさん、今度ミュージカルのオーディション受けるんだけど、私に合うテストで歌う曲どれがいいか聴いてほしい。」

「うん。じゃあ、これって思う曲いくつか歌ってみて。」

 こくりとうなずくと最初にメイが選んだ曲はハイトーンボイスの男性の“too much”というバラード曲だった。

「少しキーが無理してるかな。2♭でもう一回」

 素直にもう一度キーを下げて歌ったメイの声にはとてもよく合っていた。

「うん。合ってる。他には?」

 何も言わずに真剣に曲を選ぶメイの横顔を見ている。


 次に選んだ曲はかなりアップテンポな女性アイドルの“HIGHER HIGHER”だった。

 歌い終わったメイは不安気な顔で俺を見た。

「どう?」

「うん。悪くないけど、最初の方がいいかな。」

「ありがとう。じゃあ、練習するから直すところあったら教えてくれる?」

「わかった。」

 何度目の“too much”を歌っただろうか。

「ちょっと休憩しよ?」

 いつもの朝の様なほんのり幸せな時が流れていた。


 けたたましく二つのスマホが鳴った。その数秒後、部屋が大きく揺れた。

「メイ!」

 とっさに名前を呼んで抱き寄せた。無我夢中だった。

 俺の腕の中で顔をうずめていたメイが顔を上げた。

「地震・・・収まった?」

「そうみたい。」

 お互い素に戻った瞬間目が合った。まるで時間が止まったみたいに見つめ合った。

「あ、ありがとう。」

 離れようとするメイを抱き寄せた。微妙に抵抗するメイ、気持ちが止められない俺。

 ささやかな愛の駆け引きは腕の中で起きた。

「メイ。」

 優しく名前を呼んでもメイは頭を上げなかった。

「メイ・・・。」

 ゆっくりと顔を上げるメイの動きに合わせて、両頬を手で包んだ。

 今にも泣きだしそうなメイの顔に俺の顔を近づけた。

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