第3話 Over heat
なんだかんだで気付けば夕方だった。昨日は俺らしくもなく一人で呑んだ。目的地だけはわかってるのに地図を持たずに歩くのに疲れた。
陽が昇るまでベッドの上でぼーっとしていた。
何もしない・・・何もする気にもなれないこの時間が俺を焦らせた。
急にスマホが震えた。ジュリからの電話だった。
今は誰とも話したくなくて、電源を切った。その代わりに、机に向かってリリックを書き始めた。
“So I don't cry 触れない
No I can't say 答えは
見てはいけない事実を 言ってはいけない全てを
曝け出して しまえれば …いいのに”
自分の心を文字にした。簡単に書けたこのフレーズ。
曝け出してしまえればいいのに。自分の全てを。そしたら、今俺は何が違っていたんだろうか。
次のフレーズはすぐには出てこなかった。
一旦自分の心と向き合うためにコンビニへ向かった。冷たい缶コーヒーを飲みながら思い返す。
幼い頃ジュリと過ごした思い出、あの人と出会った時のこと、ルカと付き合い始めた時のこと、ミクがスタジオに初めて来た時のこと。
初めの感情は単純なものだった。そんなに深く考えるほど大人でもなかった。コンビニの外で数十分そんなことを考えながらコーヒーを飲んでいた。
「こんにちは。」
少しハスキーな聞き覚えのあるその声に視線を上げた。
「あ・・・。なんで?」
思わず口をついで出た。4回目で初めて言葉を交わした。
「えっと、アキさんでしたっけ?」
そう言ったところでにっこり微笑むメイ。惹きつけられる。
「近くに住んでるんです。」
「俺も。」
らしくない自分の言葉の勢いに驚いた。
「アキさん今日授業は?」
「あ~、サボり。」
「そっか。」
クスクスと笑うメイも初めて見た。
メイが買い物を済ませて出てくるタイミングでコーヒーを飲み干した。
どちらからともなく一緒に歩く。
「アキさんは家どっち?」
「こっち。」
指した指を見てメイは微笑んだ。
「じゃあ、一緒ですね。」
そう言ってもう一度微笑んだ。
気まづくない沈黙の空気が心地よい。春のふんわりとした風に吹かれてメイのピンクゴールドの髪が靡く。
「おとといもここのコンビニで会いましたよね?」
「あ。顔覚えてたんだ・・・。」
「うん。クールな人だなって思って。」
そう言ってくすりと笑う。
その前に公園でも逢ってるんだけど・・・さすがにそれは覚えてないか。
「ギター弾くの?」
「一応バンドやってる。」
「へぇ~。今度、ライブとか行ってみたい。」
そう言ってメイはまた柔らかな笑顔を向ける。
家に向かう角で自分から何の躊躇もなく切り出す。
「俺、こっち。」
「私も・・・。」
何も言わずに角を曲がる。一緒に歩いてるだけで、なんとなく癒されてる気がした。
「私、ココ。」
「あ。じゃあ、また。」
会話もない帰り道はすごく狭い時間だった。
「じゃ、またね。」
というとメイは軽く手を上げて90度方向を変えた。
「ああ、また。」
偶然。
初めて見た時はなんとなく気になる掴めない空気感。それがエンカレで会った時は驚いた。よく考えてみれば3日連続で会ったな。
ふわふわとした気持ちのまま家に入った。
「アキ!ジュリちゃんが来てるよ。」
「は?」
またかよ。次に浮かんだ言葉はいつもの通りこれだった。
部屋のドアを開けるなり
「アキ何してんの?大学は?」
まるで母親以上の気迫に自分でもわかるほど不機嫌な顔をしていたことだろう。
「勝手に男の部屋入んなよ。」
「質問の答えになってないんだけど!」
「たかが幼馴染でいない間に部屋にあがられてるこっちの身にもなれよ。」
「アキ!電話しても出ないし、その後電源切れてるみたいだから心配して来てんのに何その言い方!」
「あぁ、電話うるさいから電源切ったの忘れてたわ。」
「うるさいって何よ!」
「いいから早く帰れ。」
無理やりジュリを部屋から追い出した。
心がもやもやする。たかが幼馴染。心配性にもほどがある。
ジュリが家から出ていくドアの音が聞こえた。
不機嫌のまま、机に向かった。
しばらく考えたけど、想いがかき消されたかのように言葉が浮かばない。
机の時計が23:11を表示していた。
「ふぅ・・・。」
一つ息を吐いてベッドに身を投げた。
目を瞑って頭を空っぽにした。
瞼を上げると朝だった。いつもの朝に戻そうといつも通りシャワーを浴びて家を出た。
バス停に着くと前から二番目にジュリがいた。
「アキ!おはよ!」
「おはよ。」
それ以上会話を交わしたくないオーラを出しながら最後尾に並んだ。
チラチラと何度か俺を見たジュリが小走りで俺の後ろに並んだ。
「今日はちゃんと学校行く気になったか。」
そう言ってしたり顔をしたが、俺は顔を前に向けたままだった。
「何?またシカト?」
少し眉間にしわを寄せた。
「答えたら答えたで、また喧嘩になるだろ。」
「喧嘩するほど仲良いってことじゃん。」
後ろからひょこっと顔を覗き込むジュリは満面の笑みだった。
「ハイハイ。」
「ハイハイってなによ。間違ってないでしょ。」
「昔はかわいかったのにな。」
「今もかわいいと思ってるんでしょ?本当は。」
呆れた顔でジュリを見るとその後ろからバスが来るのが見えた。
ICカードをかざす俺に少し急かす様に後ろから手を伸ばしてジュリもICカードをかざした。当たり前の様に俺の後ろをついてきて隣の席に座った。
「なんで今日ギター持ってないの?」
「あ~、スタジオに置いてきた。」
「なんで?」
「なんとなく。」
ジュリなりに察したのか、ふぅんって顔して視線だけ下に落とした。
バスを降りるまでジュリは何も言わなかった。
「おい。ジュリ。着いたぞ。」
「・・・あっ、ごめん。」
慌ててバスを降りるジュリの後ろ姿を見ていた。
「らしくないな。」
ホームに向かう階段でジュリに言った。
「寝不足なだけ。」
珍しく言葉が少ないジュリに少し違和感を感じた。
電車に乗ってる間もジュリは窓の外を眺めていた。散り始めた桜があちらこちらで風に吹かれている。
ほんの10分揺られて電車を降りた。
「ジュリ、アキ、おはよ。」
「おはよ!」
片手で応える俺を横目にジュリはルカとレンにいつも通り挨拶をして駆け寄った。相変わらずな三人を後ろから見て少し安心した。
・・・罪悪感少しあったのか。
客観的に自分につっこんだ。
「おはよぉ。アキ、ギター、スタジオに忘れてたぞ。」
後ろからアンニュイなマサにそう声を掛けられた。
「おはよ。しばらくスタジオに置いとこうと思って。」
「ん?なんで?」
らしいちゃらしいけど、もうちょっと空気読めよ・・・。
「なんとなく。」
タイミング良くトニーに会った。
音楽棟に着くとロビーにいたクウも合流して講義室へ向かった。
いつものメンバー、いつもの校舎、いつもの会話。僅かに舞うの桜の花びらがシラバスの重さと対照的だった。
午前の講義が終わってロビーで今後のバンド活動と新曲について話した。
「自主ライブしようかと思ってるんだけど。」
トニーの提案にすぐに飛びついたのはマサだった。
「やろ!単独?対バン?オレ早くライブやりたい!」
「どっちがいいと思う?」
「そりゃ単独ライブだろ。」
クウらしい意見だった。
「アキは?」
「俺は初めての自主ライブだったらツーマンがいいと思う。」
「確かにワンマンも大変だけど、俺たちがかっこいいと思うバンド集めるのも大変だしな。」
「・・・ま、ツーマンならいいか。」
「対バン誰にするか考えとこうか。」
うまく話をまとめようとしたトニーに今の自分の不甲斐なさがわからないように訊いた。
「やるならいつぐらい?」
「レコーディングした後がいいから4ヶ月はみときたいな。」
・・・だよな。新曲、できた・・・後・・・だよな。自分のダメさ加減が計れそうになった。
間が空いたと思ったらクウが俺の肩をポンと叩いて、一言言った。
「メシ、行こ。」
12時半を回ったところで4人で食堂に向かった。
「アキさんたち見っけ!」
4人でお昼食べる時は決まって食堂の真ん中ら辺に座る。それを知ってるミクが俺たちを見つけてちょこんと横に座った。
「なんの話してるの?」
「自主ライブの話だよ。」
トニーが穏やかな口調で答えた。
「自主ライブやるの!?」
目をキラキラさせて前のめりになった。
「まだ何もちゃんと決まってないけど。」
「自主ライブのお手伝いさせてください!」
「もちろんだよぉ。むしろだよぉ。」
調子よくマサが乗っかった。いつものミクスマイルで返事をする。
午後の授業が始まる14時まで5人で話した。時折、俺は上の空だった。
「そろそろ実習室行こうか。」
そう言ったのはクウだった。その言葉で立ち上がった。
なんとなく視線を感じて振り返るとルカの後ろ姿が見えた。
「今日ってPAだっけ?」
「そう!PA実習だよ。」
さっきのルカの後ろ姿が気がかりで、少し前を歩いているだけなのにマサとミクのご機嫌な会話が遠くに聞こえる。
「どうした?アキ。」
「なにが。」
「上の空って顔してる。」
「クウはよく見てんな、俺のこと。」
「別にアキのことだけ見てるわけじゃない。」
「そうか。」
シンプルな言葉のやりとりだけど、クウとの会話はテンポがいい。
「ルカか?」
「!?」
「いたろ。さっき。」
「らしき後ろ姿しか見てないけど。」
「見てた、アキのこと。」
(やっぱり・・・)
こういう時のクウは気が利く。
ルカと別れたことも誰かに聞いてることぐらい、このやりとりでわかる。
実習室では既に講師が来ていた。
「あれ?今日の実習って演劇科もだっけ?」
トニーの視線の先にはジュリとルカが並んでいた。そして、その後ろにはメイも。
ルカはこちらを向こうともしない。ジュリは俺に気付いても無表情で講師の方に向き直した。その後ろにいたメイは目が合うと一瞬笑顔を向けてくれた。
俺の前に立っていたミクが口の横に手を添えて小さな声で話す。
「メイちゃんって演劇だったんだね。」
もう一度メイを見て、すぐさま前を向いて講義に集中した。
一通りの説明の後、ミキサーの前に集まる。
それぞれのつまみやフェーダー、機能など実際に音を聞きながら学んだ。
一旦の休憩に入るとメイが近づいてきた。
「また会ったね。」
一言だけ残してメイは実習室を出た。
「アキ、今の美女誰!?」
興奮気味にトニーが食いついた。
「ダンスの授業で一緒の子。」
「またって、ダンスの時以外でも会ったの?」
普段は天真爛漫なミクが変に鋭いところをついてきた。
「ああ、ちょっとな。」
気まずくなって俺も実習室を出た。スマホが震えた。見ると、ジュリからだった。
『今日一緒に帰れる?』
『わからん』
たった4文字だけ返して、実習室へ戻った。
ドアの前でルカとレンが神妙な面持ちで話していた。俺に気付くと何事もなかったかのように二人は実習室に戻っていった。
きっと俺の話でもしていたんだろう。
気に留めることもなく実習室に戻った。
入口から一番遠くに立っていたジュリが俺を見て顔を歪めてみせた。
何の反応も示さずメンバーのところへ行った。
「次はワイヤレスとケーブルについて実践します。3人ずつグループ作って。」
講師の声に近くにいる人でみんなグループを作っていった。トニーはミクとマサとグループを作った。俺はクウともう一人いないかと実習室を見まわした。ジュリたちの横でメイが一人で立っていた。
きょろきょろとしていたメイと目が合うと以心伝心したかのように、にっこりと笑ってこちらに歩いてきた。
「アキさん…入れて…くれる?」
おずおずと恥ずかしそうにメイが言う。
「もちろん。」
なぜかクウが答えた。
「よろしくお願いします。」
メイがぺこりと頭を下げた。
後半はケーブルの巻き方から始まった。普段からケーブルを使う俺にとっては八の字巻は簡単だった。
「難しいです。」
悪戦苦闘してるメイに言葉と動きで説明する。
「最初はそのまま巻く。次は手を返しながら巻く。」
クウがゆっくりやって見せた。
「手を返しながら・・・って、こう?」
「こうだよ。」
そう言ってケーブルを持っているメイの手の横を持って教えた。
「あ、わかった!」
「そうそう。それ。」
何度かメイの練習に付き合った。
何気なく実習室の時計を見た。視線を戻す途中、その左下にいたルカと目が合った気がした。いや、間違いなくほんの一瞬だが俺を見ていた。
別れた女だ。
そう自分に念を押して、メイを見た。一生懸命慣れないケーブルを巻いているのが初々しかった。
ケーブルの後は、ワイヤレスの実習だった。最初にピンマイクの装着練習。初めてピンマイクをつける俺にメイが装着してくれた。
胸元につけたマイクのコードを服の中を通して腰につけている受信機にインする、たったそれだけ。
メイの手が俺の服へ入る。
・・・ぞくっとした。
女に触れられることに抵抗があるわけじゃない。
理由はわからないが、メイの手が鎖骨から俺のTシャツの中に入った時、何かがほとばしった。
「じゃあ、ハイ、クウさん。」
そう言って、メイがクウに別のピンマイクを渡す。
クウは受け取ったピンマイクを普通にメイにつけている。メイも何の疑いもなくピンマイクをつけさせた。
俺はハラハラしながらそれを見ていた。平気な顔でメイの躰に触れることができるクウがわからなかった。
「アキ。次。」
「ああ。」
短い会話で回ってきたバトンはハラハラが邪魔して、コードを通した後どうするのかわからなくなっていた。むしろ、コードさえ通すことができればわかるはずなのにわからなくなっていた。
見兼ねたメイが横から教えてくれた。なにかの花の匂いの長いピンクゴールドの髪が頬をかすめる。一瞬、俺の心臓がはねた。
それがなんなのかはわかっていた。
気のせい。気のせい。気のせい。気のせい。気のせい。気のせい。
俺は・・・俺には女に興味なんて持ってる・・・暇はない。
次は外したピンマイクを受信機に向かって渡す。
受信機を持ったメイの手が俺の背中を滑る。
熱くなる鼓動を抑える様に細く息を吐いた。
たったその数秒の出来事に動揺している自分がいた。
メイが俺にしたことを今度はクウがメイにする。
まただ。なんの躊躇もなくクウがメイのブラウスに手を滑らせる。
10秒ほどの時間に躰が反応している自分がいた。
熱い。体が、心臓が・・・・・・心が。
クウにバレないように今度は素早く終わらせた。
やっと終わったと思った熱いひと時は、すぐにやってきた。
「みんな終わったら次はイヤモニね。」
講師の声に一斉に動き出す。
インナーイヤーモニタ。通称イヤモニ。ワイヤレスピンマイク同様・・・着けてもらうには、ある種のスキンシップを伴う。
「アキさん、一人でできますか?」
「大丈夫。」
ほっとした。同時にがっかりもした。
同じように体にコードを這わせて装着が完了した。ふっと息を吐いて前を向くとミクが親指を立てて笑っていた。ミクの顔を見た途端、さらに熱が冷めた。
結局、今日の実習は内容より自分の躰の感覚が色濃かった。
そして、スタジオに置いたままのギターのことは忘れてまっすぐ家に帰った。
帰宅途中、ルカから連絡があった。
『明日、うちの近くの公園まで来て。』
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