第19話 天使の子孫

 それからハイダン村に到着したのは、葬られた崖ガル・デルガを出発してから4日目の夕刻だった。

(思っていたよりも早く着いたな、果たして俺たちの希望の光は存在するのだろうか……)

 ジョナたちは馬から降り、ローブのフードを鼻先まで深く引き下げた。

 雑木林に囲われたその村の入り口には、鷹を一匹肩に乗せた見張り番の男が立っていた。

 その男は奇妙なことに闇を宿したような漆黒の瞳をしていた。眼球全体が闇色に覆われていて、何処を見ているのか分からず気味の悪さばかりが目立っていた。

 ジョナは見張り番の男に近寄り、深々と頭を下げた。

「突然の訪問失礼いたします。はるか東の大地より参りました旅の者です。今夜一晩だけこちらで休ませて頂きたいのですが、よろしいでしょうか」

 しばらく互いの間に何とも言えぬ静寂が訪れた。

 やがて、見張り番の男はジョナたちをいぶかしげにじろじろと観察した後、何も言わずに村の方を指指した。

 礼を言い、馬を連れて歩いていくジョナたちの後ろ姿を眺めながら、見張り番の男は肩に乗せていた鷹に何か囁いた。

 すると鷹は目の奥を一瞬輝かせ、天高く舞い上がり何処かへ飛んで行ってしまった。

 見張り番の男は飛んでいく鷹を眺めながら小さく呟いた。

「まさか本当に存在するとはな……言い伝えは本当だったのか」



 ハイダン村はジョナたちが想像していた村とは大きく違っていた。

 夕刻にも関わらず夕餉ゆうげの準備をしている様子もなく、家々には灯りすらも灯っていなかった。

 ジョナたちは眉をひそめた。

「人がいる様子がありませんね……」

 ログは道端に転がっていたぼろぼろになった湯桶を拾い上げて首を傾げた。

「どうなっている?」

 ジョナは辺りを注意深く観察しながら気を引き締めた。

 先ほどの見張り番の男といい、村の様子といい、何かが妙だ……。

「ジョナ、あそこに煙が上がっているぞ」

 ルーノは道先にある小さな小屋を指さした。

「取り敢えずあそこに寄ってみよう」

 歩き出そうと馬の手綱たづなを引いた瞬間、三人は素早く互いに背中を合わせ、戦闘体制を取った。

「……どのくらいだ」

 ジョナは小さな声でログに尋ねた。

「ざっと10人。ただ……あまり戦闘する気はないみたいです」

「戦闘する気がないんだったら何だよ、この気味の悪い感覚は!」

 ルーノは苛立ちながらログに叫んだ。

 確かに殺気は感じない、しかし何だ……。

 この腹の底を虫が這うような、全身が粟立つおぞましい感覚は……。

 それはジョナだけでなく、他の2人も同じように感じているようだった。

「どうしますか? やりますか?」

 ログは真っ直ぐ前を見据えて片足を一歩前へ擦り出した。

「やめろ。無駄に戦う必要はない」

 ジョナはざわつく胸中を決して表に出さないよう、大きく息を吸った。

「我々はあなた方と戦う気はない。宿を探している旅の者だ。それに見張り番の男に許可も得ている」

 ジョナの声は静まり返った村中に響き渡った。

 3人は息を殺して相手の出方を探った。

「して、何用で参られた?」

 しばらくして、どこからともなく幼い少年のような声が聞えた。

 ジョナは一瞬戸惑った。

 このまま旅人だと偽るべきか……。

 真実を話して自らをダイモーンであると打ち明けるべきか……。

 もしも、ここに天使の子孫たちが居なかった場合、ダイモーンであることを知られてはまずい。

「ジョナ、ここは真実を話すべきだ」

 ルーノはジョナの思考を読んだようにそう囁いた。

 これにはジョナも同感だった。普段なら決して身を明かすことはしなかっただろう。

 しかし、この異様な雰囲気に当てられてジョナは何故だか真実を話さなければならない気がした。

 小さく息を吸い、腹を括って身を明かす覚悟を決めた。

「我らはダイモーンの一族。血のちぎりを解くため、天使の子孫たちを探してこの村を訪れた者である」

 ジョナは姿の見えない相手に向かって叫びながらゆっくりとフードを外した。

 すると、人の気配が全くしなかった家々から小さな子供たちがゆっくりと姿を現した。

 ジョナたちは子供たちを見た瞬間、驚いて目を見開いた。

 なぜなら、その子供たちは皆、黄金色こがねいろの髪に灰色の瞳を宿し白い衣をまとっていたからだ。

 等間隔に円になりジョナたちを囲うようにしてじっとこちらを見つめている。

「天使の子孫たち……」

 ログがそう呟くと子供たちは一斉にログに視線を移した。

「……っ」

 ログは全身が粟立つのを感じ、息を飲んだ。

「守護の一族ダイモーンたちよ、我らに何を期待し何を求める」

 1人の少年が一歩前に出ながらジョナたちに問いかけた。

 幼い赤子のような見た目からは想像も付かない大人びた物言いに、ジョナたちは奇妙さを感じずにはいられなかった。

「かつて貴殿らの祖先、天使が行った血の契約により我らダイモーンや飛竜は何百年もの間、人間に怯える日々を過ごしてきた。戦う術も無く、身を潜めて暮らしている我らダイモーンの一筋の希望である血洗いの儀式を所望する。我らを縛る忌々いまいましい呪縛から解き放つ手伝いをして欲しい。どうか我らと共に来て欲しい」

 ジョナは少年をまっすぐ見つめ出来るだけ穏やかな口調で言った。

 すると少年は目尻を下げてにこりと笑って見せた。

 その行動にジョナは面食らってしまった。

 先ほどまでの奇妙な気配は消え、子供たちは皆笑顔で何かを話し始めた。

「おいおい、どうなってるんだ!?」

 ルーノはこの不思議な光景に混乱しているようだった。それはジョナもログも同じだった。

「だから言ったじゃないか、やっぱり僕が言った通り飛竜は存在するんだ!」

「ダイモーンは本当に髪の毛が白銀色しろがねいろなんだね! 私初めて見た!」

「赤い目をした人は1人だよ、どうして?」

「魔術が使えるって本当なのかな?」

 子供たちは思い思いに目を輝かせながらおしゃべりを始めてしまった。

 ジョナたちは何が起こっているのか分からず、互いに顔を見合わせた。


「こらこら、お前たち客人を困らせてどうする」

 ジョナたちは突然声がした方を振り返り身構えた。

 そこには村の入り口に立っていた奇妙な見張り番の男が困った表情をしながら立っていた。

「驚かしてすまない。この子たちはこの村の“門番”なんだ」

「門番?……あんたが門番なんじゃないのか?」

 ルーノは混乱しながら尋ねた。

「俺は別に門番じゃない。暇つぶしであそこに立っていただけだ」

 男はそういうとバツが悪そうに頭を掻いた。

「しかし、まさか本当にダイモーンの一族が訪ねてくるとは思わなかったよ」

 ジョナは眉をひそめた。

「我らを知っているのか?」

「もちろんだ。俺たちの祖先である天使とともに神々と戦ってくれた勇敢な一族だからな」

「俺たちの祖先……?」

 ジョナは決してその言葉を聞き逃さなかった。

「ん? ああそうか、挨拶が遅れてすまない。俺はヴェリエル。まあ簡単に言えば、君たちが探している天使の子孫だよ」

 ジョナはひそめていた眉に更に力を入れた。

「天使の子孫たちは黄金色こがねいろの髪を持ち灰色の瞳だと言い伝えられている。貴方はあまりにもその出で立ちと相違がありすぎる」

 ジョナは目の前にいる、漆黒の髪に漆黒の瞳を宿した男を正面から見つめた。

「ほう、さすがは守護の一族。俺たちとの約束を数百年もの間しっかり守ってくれていたんだな」

 ヴェリエルと名乗った男はそういうと、嬉しそうに笑いながら無精ひげの生えた顎をさすった。

黄金色こがねいろの髪に灰色の瞳を宿し、白き衣をまとう。だろ? それは俺たち天使の子孫が身を隠す為にでっち上げた作り話だ」

「身を隠す?」

 人間と共に暮らしている天使の子孫たちが何故身を隠す必要があるのだ。

 何から身を隠している?

 ジョナたちの反応を見てヴェリエルは少し驚いたように尋ねた。

「知らないのか? 俺たちが今どんな暮らしをしているのか」

「人間と共に暮らしていると聞いているが、……違うのか?」

 ジョナの返答にヴェリエルは大きなため息をつき、ガシガシと大きく頭を掻いた。

「まずは話そう。立ち話するには時間がかかり過ぎる。俺の家にこい」

 ヴェリエルはそういうと子供たちに向かってぱちんと指を鳴らした。

 指が鳴ったのを聞いた瞬間、子供たちは笑顔でジョナたちに手を振り、その場からふっと消えてしまった。

「あんたの魔術か?」

 ルーノは不思議そうにヴェリエルに尋ねた。

「いいや、あれは魔術じゃない。あの子たちは精霊たちだ。ああやって村に来た奴の素性を確かめて俺たちを守ってくれているんだ。まあ、たいてい精霊の気に怖気づいて村から逃げ出すやつばかりだがな」

 ヴェリエルはそう言うと喉を鳴らして笑った。

 どうやらジョナたちが感じたあの気味の悪い感覚は精霊たちの仕業だったようだ。

「昔俺たちの祖先が、人間の呪術師にやられそうになっていた精霊を助けた事があったんだが、それ以来なつかれちまったらしくてな、今もなお律儀にずっと恩返しを続けてくれてるんだ」

 ヴェリエルは少し困ったように笑ってみせた。

「精霊のいたずらか。あの気味の悪さはもう二度とごめんだ」

 ルーノは吐き捨てるようにそう呟いた。

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