第3話 紅茶と死

ミルクは、全員にカップが行き届くと、静かに捌けた。

皆、紅茶に口をつけ、色や香りを愉しんだ後、台本通りの会話が再開された。それぞれの個性が出たうまい台詞が飛び交う。この辺は脚本家・雨上のセンスを感じる。

テーブルの会話は続く。ローズが未解決の事件について話すこととなり、ミルクも同席させることになった。

ミルクはローズの隣へと座る。彼女のカップは先程、皆の分と一緒に持ってきてテーブルに置かれており、ポットから紅茶を注ぐだけだ。雨上の『まるでミルクが初めから自身が同席できることを判っていて置いていたかのように捉えられ、ご都合主義に感じられるかもしれませんけど、これはミルクだけ捌けたり戻ったりしてせわしない役だなという印象を観客に与えないため。僕のアイディアなんですよ』という言葉が思い出される。


ここから柚木は前屈みになり、動画を見る目に力を込めた。ミルクは、五月遊貴子は、自分で用意した紅茶を飲んで死んでしまうのだ。

一体誰が、何時、彼女の紅茶に毒を入れるのか。

劇は進む。レモンがローズの隙狙って毒(本物に非ず)を入れた。ローズはその毒入り紅茶を飲もうとするところで、超能力者のアッサムが時間を止めてローズのカップを自分のものと、すり替える。

それからアッサムは、その毒入りの紅茶を飲んでみせた。だが、彼は倒れない。なぜならば、実際にそのカップに入れられたのは、ただの砂糖であるからだ。

それにしても、時間を止められて、尚且つ毒で死なない超能力者とは。なかなか凄い設定だ。


再び時間は動き出す。


今度はローズが紅茶を飲む。が、死なない。当然である。毒どころか砂糖すら入れられていないのだから。

問題は次だ。いよいよ五月遊貴子が紅茶を飲む場面である。

ミルクがアッサムに勧められてカップを口許へと運ぶ。彼女は一口飲んでカップをソーサーに戻し、テーブルに置いた。それからゆっくりと可愛らしい顔を苦痛に歪めながら、喉を押さえ、床へ倒れた。


舞台上のミルクを除く四人は慌てて彼女の元に集まり、心配して声を掛ける。

アッサムが「死んでますね」と告げ、ローズも「脈がない」と云う。

ミルクを寝室に運ぶ(捌けさせる)ことになり、場内は暗転した。


室内は暗くなったが、舞台裏の方の窓から僅かに光が漏れてきている。そのため、舞台上の様子が判る程ではないが、全くの暗闇ではない。役者たちが舞台袖まで、蛇行せずに辿り着ける程度の明るさだ。


しばらくして明転した。


ミルク除く四人が舞台にいる。ローズのセリフから劇は再開された。

どうやら、事件の解決パートへ突入したようだ。

レモン夫妻のコミカルな掛け合いがありながらも、終盤へと進んでいく。

ローズがアッサムの時間を止める超能力を借り、レモンがポケットに隠し持っていた毒をさらけ出させた。


続いてローズは刑事(六條理沙)を呼んだ。長身の女刑事だ。

刑事は強気なセリフで、犯人であるレモンを追い詰め、観念させた。

そして、いよいよ最終盤。アッサムがミルクを呼ぶ。実はミルクは死んでいなかったという筋書きなのだ。

だが、ミルクは出てこない。当然である。五月遊貴子は死んだ。ミルクは本当に殺されていたのだから。


観客は、なかなかミルクが出てこないことにざわめき始めた。

「ミルクは」「出てこないぞ」「どうしたのかしら」「トイレにでも行ってんのか」「ん、何かハプニング?」「ミルクがんばれ」「今いいところだぞ」「どうするのかしら」「劇、止まっちゃった」と、静かにしていた観客が声を舞台に投げ掛ける。

 罵声や怒号が無いのは入場料無料だからというよりも、学内公演であるため、観客の大半が演劇関係者の友人であるからだろう。『毎度足を運んでくれるのは身内ばかり。面識の無い人の顔はほとんど見ないですね。学外から来てくれる人なんて稀ですよ。』とは椿山の弁。

舞台上の役者たちは、アッサムがアドリブで何回か呼んでみてもミルクが出てこない状況に動揺を隠せなくなってきた。一様に、舞台袖(下手側)を覗き込み、裏にいるスタッフ陣に抑えた声で「何事か」「ミルクは」と問い掛ける。もはや劇どころではない。

しばらくして、舞台袖から私服姿の男が出てきた。雨上零である。部長である椿山が舞台上にいて動けないため、今回の劇の演出及び、脚本担当者である彼が事態を収めることになったようだ。

雨上は、非常事態で劇の続行が不可能になったと告げ、「せっかく足を運んでいただいたのに、このようなことになってしまい申し訳ありません」と観客に向かって謝罪した。

舞台上の役者たちも、雨上に倣って頭を下げる。

観客が立ち上がってぞろぞろと帰り出したところで、柚木は動画再生を停止した。


気がつくと、目の前に紅茶があった。

「冷めちゃうよ」と脚本を開きながら葉織が云った。

柚木は「すみません」と云い、一口飲んだ。ダージリン特有の奥深い香りに、程よい甘みと渋みを感じる。温くなってしまってはいるが、やはり葉織の淹れた紅茶は美味い。

演劇部関係者の証言と動画から得た情報を、頭の中で照らし合わせることにする。

事件解決のためには、犯人がいつ、どうやってミルク役の五月遊貴子に毒を盛ったのか。これを特定しなくてはならない。関係者の証言から、五月は本番になると前緊張して何も飲み食いしないタイプであり、事件の日もそうであったことが判っている。それに何より、ミルクのカップに残っていた紅茶から毒物が検出されているのだから、やはりポイントは紅茶である。

では、その紅茶にいつ毒が混入されたのか。


ミルクの紅茶は元々ポットの中に入っていたもので、皆の飲んだ紅茶と同様、彼女自身の手でカップへと注がれた。そしてそれを飲んでミルクだけが死んだ。残りの四人が飲まなかったということはない。

つまり、毒はポットの中に入れられたのではない。これは鑑識結果からも裏付けされている。


また、ミルク以外の四人の使ったカップからも毒は検出しなかった。

これらの事実から、劇中のローズの推理のように毒はあらかじめミルクの使うカップに塗られていた、という考えが浮かび上がった。

だがこの説はすぐに泡となって消えていった。


なぜならば、ミルク含めた五人のカップは姿形すべて同じものであり、誰がどのカップを使うなどの取り決めはされておらず、カップをそれぞれに配ったのはミルクである五月自身であるからだ。それに、カップは綺麗な無色透明のガラスのものであるから、汚れなどついていたら目立つ。劇が始まる前には、実際に口をつけるものだから、とミルクが全員分のカップを洗ったと云う複数の証言まである。

そこで次に、カップの中に入っていた薔薇の花びらにあらかじめ毒が仕込まれていたのではないか、という考えが出てきた。しかしながら、これは鑑識によってあっさり否定された。


と、なると残るは、毒は紅茶を注いだミルク自身によって入れられた。つまり自殺だったという考えだが、こちらもすぐになくなった。

当然である。彼女が紅茶を注ぐところは、共演者だけなく観客も見ているのだ。その視線をかいくぐって毒を入れるのは困難だし、「変な素振りはなかった。ごく自然な所作で紅茶を淹れていた」という証言も複数ある。

以上のことから導き出されることは、これは不可能犯罪であるということである。

「ってそんなわけあるか」柚木は頭を抱えた。


この世に不可能犯罪なんてあるはずがない。

柚木は口許にカップを運び、一口残っていた紅茶をゆっくりと空にしていく。

きっと方法があるはずだ。毒を入れる方法が。犯人はきっと何かトリックを使った違いない。


思考をフル回転させる。

一つ、閃いた。柚木はカップを置いた。




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