第2話 お茶会

現場検証と演劇部関係者からの聴き取りに終始した毒殺事件当日から一夜明け、本格的な捜査が始まった。柚木とコンビを組むのは、葉織梢。階級は警部。柚木を強引に捜査一課へ引き抜いたその人である。

柚木と葉織は昼過ぎまで、昨日に引き続いて関係者からの聴き取りを行った。それがあらかた終わって、市警本部に戻った二人は、丸いテーブルにハの字に並んでゆるりと紅茶を飲んでいた。茶葉はダージリン。葉織はストレート、柚木は角砂糖二つだ。


柚木らがいるのは、給湯室とその隣の第一視聴覚室の壁を取り壊してリフォームされた一室。《葉織さんルーム》、《姫の部屋》などと呼ばれている、葉織が紅茶を飲むための場所だ。室内は白を基調とした調度品で統一されているが、それほど物があるわけではない。テーブルには紅茶セットと、真ん中に葉織が気まぐれで持ってきたと思われる紅い薔薇の一輪挿しのみが置かれている。

前に一度、なぜこんな部屋が作られたか彼女に訊いてみたことがあるが、答えは「私が快適に愉しく仕事をするため」だった。

柚木は立ち入ったことは訊かなかったが、この一ヶ月、葉織と一緒に仕事をしてきて判ったことが三つある。一つは、彼女は少々浮き世離れしたところがあるものの、刑事として大変有能であること。一つは彼女の放つ言葉には、なぜか誰にも有無を云わさない力があるということだ。それは、高圧的なものでも魔性的なものでもない、気品さだけが仄かに漂う不思議な力、としか云いようがない。

きっとこの部屋も、葉織の言葉を受けた周囲により、誰一人として異を唱えることなく協力体制が敷かれ、作られたのだろう。空気が流れるように自然に。

また、なぜ自分を引き抜いたのかという質問もした柚木だったが、こちらは「え?そ、それは……、う~ん。な何となく」と、いつもはっきりとしたもの云いをする葉織にしては珍しく言葉を濁した。柚木は少し残念な気持ちになった。何が残念なのかは良く判らないが、彼女とコンビを組めて良かったと思えていることは確かだ。

そしてもう一つ。葉織の柚木への接し方が、他の同僚たちなどに対する態度と比べると少し違う。葉織は基本的に誰に対しても、どこかよそよそしく振舞っているように感じられることがあるが、柚木にはしゃべり口調など、柔らかい。幾分フランクに接してくれているようだ。

《葉織さんルーム》にしても、誰も入室を禁止されているわけではないが、皆なかなか入りづらいようで、葉織に呼ばれた時以外は誰も中に入らない。しかしながら柚木の場合、葉織に頻繁に呼ばれたり、入るように促されたりしているので、よく中にいる。そのため彼女と一緒にいる時間が比較的長い。


さて、そういうわけで葉織に付き合って一服していた柚木だったが、他の捜査員が懸命に働いている中、これではいけないと思い直した。ぐいっと首を反らしてカップの残りを飲み干すと、足元の紙袋を拾い上げ、すくっと立ち上がった。

柚木が紙袋から取り出したのは、星都大学演劇部シャッタースピードの学内公演の動画が収録されたDVD一枚と小冊子二部。

DVDは関係者から預かった、昨日の劇が収められた貴重な証拠品だ。冊子はその劇の脚本。葉織が「それも」と云うのでこちらも預かってきたのだ。

脚本を一部、葉織に渡すと、DVDプレイヤーの準備に取り掛かる。犯人が誰なのか見極めるために映像を見るのだ。

葉織はというと、焦ることも慌てることもなく、紅茶のおかわりを淹れるため、湯を沸かしだした。

柚木は一瞬彼女の所作に見とれてしまった。いかん、と煩悩を振り払い、葉織にも動画を見るよう促す。彼女が席につくのを待ってから、静かに再生ボタンを押した。

劇は、五月遊貴子扮するメイドのミルクが、誰もいない舞台に登場して始まる。 

ミルクは、メイド喫茶のウエイトレスが着ているそれではなく、本物っぽい服を身に纏っていた。衣装係を担当した九重歩美が、ヴィクトリア朝時代の英国のメイド服を意識して頑張った結晶だ。


さて、舞台のある会場はというと、普段は講義が行われている小教室での公演のため、それほど広くはない。高さも皆無。もちろん、舞台と観客席の距離もかなり近い。席数はざっとみたところ、三十程度である。

舞台は廊下とは反対の、窓側に配されている。教室の後ろ側のドアが入口、出口を兼ねており、教壇側のドアは、廊下が途中で封鎖されてあるので使えなくなっている。隣(封鎖されている先)の教室を、演劇部関係者の控え室としているためである。

セットは舞台中央に斜めに置かれたテーブルが一つ。(実は普段教室に設置されている細い長机を二台引っ付けて、白いテーブルクロスを敷いたもの。机の脚には木目調のカッティングシートが張り付けてあり、それらしく見えるようにされている)。そして白い椅子が手前(観客側)に三脚、奥(壁側)に二脚添えられている。教室内の窓はすべてガムテープを使ってダンボールで塞ぎ、その上からは暗幕が張られてある。外からの光を遮断するためだ。舞台裏、舞台袖はホワイトボードを四~五枚配置し、上から暗幕をかぶせて作られてある。舞台裏は表(観客側)から見ると、室内の壁となる。その壁には、衣装係の九重歩美によって描かれた、舞台空間に見合ったサイズの油絵が飾られている。


このセットは登場人物である《レモン》の屋敷の応接室という設定で作られたらしいが、あまり雰囲気のある空間を演出できているとはいえない。演出・脚本担当の雨上の話によると、『学生委員会から割り当てられている部費が少ないためお金が掛けられず、さらには大道具と小道具の裏方がいなくて、役者メンバー中心での舞台作りとなってしまうので、凝ったものが作れないのです。というのも、全員が揃う稽古時間確保するので精一杯で、他の裏方スタッフは他の部と掛け持ちで忙しいですから。そういう僕も文芸部に所属してます。あ、演劇部には去年入ったんですよ。椿山君に誘われまして。まあ、セットは簡単なものですけど、役者陣の演技力はなかなかのものですよ』とのこと。

まあ、舞台は現場で見た通りである。


少し緊張気味で現れたミルクは、テーブルの上に薔薇の一輪挿しをそっと置いた。それを待っていたかのように、つかつかとレモン(阿久津三郎)とレモン夫人(四条真美子)がお出ましになった。

レモン夫妻は現れるなりミルクを叱責し、探偵のローズ(椿山賢一)と超能力者であるアッサム(沖田蓮二)が来ることを告げた。お茶会がしたいらしい。そして観客にローズへの殺意を仄めかし、下手へと捌ける。二人は、早くも見事な悪役ぶりを魅せてくれた。

お次は、ミルクがテーブルを拭いているところへ、不意にアッサムがやって来た。独特な雰囲気を醸し出す男である。

二人の短いやりとりのあと、ようやく主役のローズが出てきた。手には薔薇を一輪持っていて、ナルシーな態度で気障な台詞を吐く。その辺の男がやれば寒いだけだが、演じている椿山は、華奢ではあるが容姿端麗なため、様になっている。

そこへレモンたちが戻ってきた。直後、お茶の準備のためミルクが下がる。

ホストとゲストの間で簡単な自己紹介が交わされ、それが済むと、絶妙のタイミングでミルクが紅茶セットを、英国式の小綺麗な台車に乗せて持ってきた。ティーポット、カップ、ソーサーは耐熱性のガラスのものである。よく見るとポットは、紅茶を抽出用のポットから茶漉しを通して移し、持ってきたものだと判る。時間が経っても濃くならないようにとの判断だろうか、こだわりが伺えるところだ。カップの底には、白、黄、ピンクの薔薇の花びらが敷かれていて、それらが周囲の空間をより美しく演出している。さらにはお茶受けのバウンドケーキも見受けられた。一口サイズに切り分けられ、白い皿の上に上品に並べられている。

ミルクは淡々と紅茶を注いでゆく。カップから微かに湯気が揺らめき上っているのが見える。映像からは感じることはできないが、優雅で甘い香りがしていることだろう。淹れられた紅茶は、茶葉にローズペダル(薔薇の花を摘み、乾燥させて花びらだけにしたもの)を合わせたローズティーである。この、劇でローズティーを使うというのと、探偵が薔薇持っているという設定は部長の椿山の発案で、それを生かして雨上が脚本を書いたそうだ。


テーブルに座る皆の位置は、奥の左側がレモン、その右がレモン夫人。手前側、レモンの向かいがローズで、その隣(レモン夫人の向かい)はアッサム。手前の二人は観客には少し背を向ける格好になるが、主役であるローズは姿勢、顔の向きを工夫して一番目立つように演技している。うまいものだ。聞けば、ローズ役の椿山は部長であり、陰で誰よりも多く個人練習をする努力家なのだそうだ。

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