第221話 ベクトルの違い

「……そ、その、どっちがどうとか、そういう問題じゃ……」


 ……あと、本気の突っ込みを入れると「待ち人」って別に恋愛だけじゃなくて、仕事とか学校とか、そういう人生において重要な鍵を握る人って意味らしいから、別に僕である可能性は……いや、美穂ならそう言うか。


「はぐらかさないでよお……うう」

 身長がほぼ僕と近いということもあり、すぐ目の前にボロ泣きしている美穂の顔が映る。というか、これ人に見られたら噂になっちゃうよ。……田舎のコミュニティ舐めたらいけない。「八色が神社で女連れながら妹泣かせてた」なんて情報、すぐに町中に広まってしまう。


 ……そうなると帰省しにくくなるんだよなあ、今後。

 早いところなだめないと……。


「……み、美穂のことだってもちろん僕は好きだよ? うん」

 涙で顔が濡れている妹の頭を、僕はポンポンと優しく叩く。……なんだかんだで、十年近く撫でてきた頭だ。どこか懐かしい感触を覚える。

 って、水上さんがちょっと不機嫌そうに顔をしかめた。お、お願いだから妹くらいは許して……。


「……でも、それでも水上さんと付き合うってことは、私より水上さんのほうが好きなんでしょ?」

「それは……そうなんだけどそうじゃないっていうか……」


 そうなんだけど、って言った瞬間水上さんは満足そうにうんうんと頷いてみせたけど、そうじゃないって口にした途端また眉間に皺を寄せる。……綺麗なお顔が怒ると怖いので、普段通りにいてください。それで僕は十分です。


 足元に転がる石を擦るように動かして、僕は美穂の足元にしゃがみ込んで、見下ろす視線から見上げる視線に切り替える。少しでも、美穂が感じる圧を減らしたいと思って。


「……僕と美穂は兄妹だろ? ぶっちゃけた話、血が繋がった兄妹で結婚はできないし、子供も産むのは倫理的にいけない、ってくらいはわかるよね?」

「……うん」


 不承不承ながらも、美穂はこくりと首を振る。……よかった、ここで駄々こねられたらもうお手上げだったよ。宗教関連の本でも持ってきて美穂に読み聞かせるとか、そこから始まりそう。ありがとう中学校の教育。……ん? 中学校でそんな勉強したか? 高校の倫理だった気が……。いや、わかっているんだから深く考えるのはやめよう。


「……今は多様性とか言われる世のなかだから、一概にそうとも言い切れないけど、多くの場合恋愛は結婚に繋がるし、結婚の先に大抵あるのは妊娠出産って過程なわけで」

 このご時世、子供を産んで育てるのも経済的に余裕がないと厳しいっていう現実的な話は一旦置いておく。


「つまるところ、通過点に結婚出産があり得る恋愛において、そういうベクトルで僕が美穂を好きになることはあり得ないんだ。……水上さんに対しての好き、はこっちの好き、ね」

「……そんな、今すぐ結婚出産したいんですね……八色さん」


 あなたの耳はどうなっているんですか? 都合のいいことはしっかり都合よく聞き取るいいお耳をしていらっしゃいますね。いや今すぐなんて誰も言ってないよ? っていうか今すぐ結婚したら間違いなく食っていけないよそこらへんわかってる? 僕と一緒に路頭に迷いたいんですか? ……水上さんならはいって即答しそうだから怖いなあ……。


「んんっ。……じゃあ、結婚できないから好きにならないかって言われたら、それは違うでしょ? 美穂だって、仲が良い友達のことは好きだろ? 極論、それと似たようなものだよ」

 軽く咳払いを挟んで、僕は続ける。話しているうちに美穂もちょっとずつ落ち着いてきたようで、涙目のままではあるけどさっきみたいにボロボロ泣いていたりはしない。


「……うう……」

「まあ、妹と友達がイコールなのかって言われると、それも僕にとっては微妙に違うけど……。……それでも、美穂のことも僕は好きだよ。水上さんとは違うベクトルで、だけど。そのふたつに量の差なんてつけられないよ。……いや、頑張ればつけられるのかもしれないけど、僕にはわからない」


 強いて例えるなら、二進法と十進法、みたいな。美穂に対しては二進法で「10」なのが、水上さんに対しては十進法で「2」とか。ちゃんと考えればわかるんだろうけど、そんなすぐに差を把握することなんてできない。


「……そういうことだよ、美穂」

 最後、僕はそう言って締めくくって、再び美穂の頭に手をやって、今度は優しく撫でてあげる。


「……じゃあ、お兄ちゃんは私のこと捨てたりしない?」

「捨てるはずがないだろ? っていうか、家族捨てるって相当だからね?」

「……これからも、お兄ちゃんに甘えてもいいの?」

「そ、それは……」

 後ろに無干渉で立っていらっしゃる水上さんのさじ加減です……。


「今まで通り、一緒にお風呂入ったり、同じ布団で寝てもいい?」

「……できればそっちに関しては段階的に卒業していただけると僕としては嬉しいです」

「……でも、やってもいいの?」

「……ま、まあ……はい……」


 ここで駄目、と言うとそれはそれでまた美穂が泣いて抗議しそうなので、そこは妥協しておく。

「じゃあ、私も八色さんと一緒にお風呂入ったり、同じ布団で寝ても問題ないですね?」

「…………そうだね」

 ポンポンと美穂を撫でる後ろから、水上さんのそんな言葉が聞こえてくる。


 これは短絡的に見れば、今日の夜も昨日と同じような状況になるし、長期的に見ればこれから頻繁に水上さんが言ったことをされるってわけですね。

 心のうちでちょっと気を遠くさせていると、


「うおおおおい! 俺の可愛い可愛い美穂の泣き声が聞こえたぞ太地いいいい! どういうことだあああ!」

 ……さらに僕の気が遠くなりそうな人物が神社に現れていた。何なの? 僕の家族は何かしらの突っ込みを受けないと死んじゃう病気なの?


 声の主は当然ドタコンの父親で、猛スピードで僕らのもとに全力疾走。声が聞こえてからあっという間に鼻と鼻がくっつく立ち位置にやって来た。っていうか、美穂の泣き声どこから聞いたんだ。相当遠かったんじゃないの?


「……ちょっと色々あっただけだよ。な? 美穂」

「……うん。お父さんには関係ないよ」

「お、お父さんには関係ない……関係ない……関係ない……」


 美穂の台詞にショックを受ける父親。ガクリと膝と手を地についてうなだれている。……いや、疲れているだけか? その両方か?


「はいはい、あなたがいると太地たちの邪魔になるから、さっさとどこか行きましょうねー。すみませんねー、水上さん、失礼しましたー」

 後から歩いてきた母が父の首根っこ掴んでずるずると引きずっていく。……さながら散歩中のペットだ。ペットならペットでちゃんとリードをつけて欲しいんですが……。

「お父さんには関係ない……関係ない……ああ……美穂がどんどん遠くに行ってしまう……ああ……太地にはあんなに懐いているのに……どうして……」


 父親の泣き言が聞こえるけど、僕は気を取り直してスッと立ち上がって、

「じゃあ、おみくじ結んで帰ろうか。やっぱ長い時間外にいると寒いしね」

 美穂と水上さんにそう言う。ふたりはすぐに承諾して、それぞれ引いたおみくじを結んで家へと帰っていった。……一応、美穂のは一番高い位置に結んでおいた。


 ちなみにその日の夜、僕の部屋に二組敷かれているはずの布団は一組しか使われなかった。……宣言通り、ふたりが僕と同じ布団に入って寝ることになったから。背中には水上さんのマシュマロみたいに柔らかい胸が、前面には美穂の体がすっぽりとはまって、ひとつの布団に縮こまって入って夜を明かした。……いや、僕はまともに眠れなかったけどね。

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