第216話 多分これが限界です

 水上さんの寝床は、部屋にあるロフトを上がった天井に近いところに置いているようだ。ベッドではなく布団派みたいで、隠れ家感がある薄暗くてちょっぴり狭い空間に半分に畳まれている布団が。


「……すみません。私の家も、来客用の布団の用意がなくて……。友達を泊めることもないですし……一緒のお布団でもいいですよね?」

 ロフトに上がって寝床の準備をする水上さんを下から見上げながら、僕はその言葉を聞いた。


「……僕に選択肢は」

「先日、同じベッドで寝たから問題ないですよ八色さん」


 いやね? 別に僕も性欲が全くないわけじゃないんです。散々抵抗とか突っ込みとかいれているけどね? 僕だって人並にエロいことに興味だってあるししたいとも思うけど。


 ほら、雰囲気って……大事じゃないですか。そんな、付き合い始めて初日にすぐなんてことがあっていいのかなあなんて……。


「今、敷き終わったので、いいですよ」

「…………」

「……八色さん?」

「……はい、今上がります」


 いつもの微笑みのまま首だけ横に傾げないで、なんか怖いから。

 郷に入っては郷に従え、と言うように、もうここでは水上さんの言うことをとりあえず聞くことに。階段を上って、用意されていた布団に僕もお邪魔させていただく。水上さんは既に入っているので、これでまた密着状態だ。


「電気消しますね」

 デジャブだ。いや、デジャブは「気がする」ってだけだから本来的には意味が違うんだけど、つまりはそういうことで。この光景、つい最近見た気がする。すっげえな、ホーム&アウェーで同じやりとりするなんて、サッカー選手もびっくりだよきっと。


 やがて薄暗かった室内が完全に真っ暗になって、視界の情報が完全に遮られた。おかげで、普段とは違う布団の香りだとか、部屋の匂いだとか、風呂上がりの水上さんのシャンプーの香りだとか、そういったものに敏感になってしまう。


 この間はあすなろ抱きだったけど、今は正面と正面を向く形。より正確に言うなら、水上さんが僕の胸元に小さくなって潜り込んでいる、としたほうが正しいだろうか。


「……八色さん」

「な、何……?」

 すぐ隣で横になっている彼女は、ふと僕の名前を呼ぶ。


「……ふたつ、言ってもいいですか?」

「駄目って言っても言うでしょ……いいよ」


 はぁ、とため息をついてそう返すと、むぎゅっと、水上さんは思い切り柔らかい身体を僕に押しつけたのち、

「……今、下着履いてないんですよね」

「んんんごほっ、ごほっ!」


 なんか妙に温かいなあって思ったら。つ、つ、つけてないって……ええ? って、て、てことは、そのピンク色のパジャマの下は、何もないってことでいいんですか?


「……と、とりあえず。もう一個のほうを聞くよ。それが先」

「……まだ、二時半ですよ? 八色さん」

「そっ、それは……」


 少し甘えるように、借りているスウェットの裾を掴んで、水上さんはそう言った。

 つ、つまるところ、まだ性の六時間の範囲内ですよって、そう言いたいんですか……? み、水上さん……。


「いっ、いやっ。そ、そういうのはすぐやることじゃ──」

「……八色さん。別に私は、エッチがしたいだけでエッチに誘っているんじゃないんです。……八色さんのことが好きだから、誘っているんです。もう、付き合っているんですから、何も障害なんて、ないですよね……?」


「ぇ、ぃ、あ……」

「八色さんがそういうのに慎重な方っていうのは、半年でよく伝わってます。……自分の快楽のためだけに、誰かを粗雑に扱うことはしないってことも、伝わってます。そんな八色さんだから、したいんです……。それに、好き合っている人同士でしか、本来、しないことですし……」

「で、でも……そ、それでもし水上さんに何かあったら」


 よくある常套句を、僕は口にした。しかし、それは完全に水上さんにとっては無意味なみたいで、布団から手を伸ばして何やらごそごそと、ロフトの奥にある引き出しから持ってきた。


「……八色さんが気にされるようなら、って買っておいたんです」

 トン、と音を立てて僕と水上さんの間に置かれたのは、言うまでもなくゴムのあれの外箱だ。そして最後に、


「……私のこと、嫌いなんですか?」

 ちょっと拗ねたように、きっと唇を尖らせ語尾を上げる口調で、呟いた。

「……わ、わかりました……」

 いつものことと言えばそうかもしれないけど、水上さんに押し切られるようにして、僕は力なくこくんと首を縦に振った。


 翌朝。目が覚めたのは、今日も台所から聞こえる調理音。それと、窓から差し込む心地よい朝日。ああ、なんて清々しい朝なんだ……朝なんだ……。


「んん……」

 やや乱れたシーツが昨夜の行為の光景を想起させて、慌てて僕は頬をぺチンと叩いて色々な意味で目を覚まそうとする。


 ロフトから降りると、台所で菜箸を持って何かを炒めている水上さんが、顔だけ部屋にいる僕のほうを向いては、

「あ、おはようございます、八色さん……」

 と、朝の挨拶をした。ちょっと恥ずかしそうに、顔を赤らめさせて。これは……卵の匂いかな。


 もうパジャマから外向けの服に着替えていて、今日はあーちゃんモードのときによく見かけたカラフルで明るい色合いの服をチョイスしていた。


「もうちょっと休んでもらってもよかったんですよ……? お疲れでしょうし……」

「……いや、そんなに疲れてるわけじゃ……ないです……はい……顔洗って来ます……」


 いやどうしたって恥ずかしい。まともに顔が合わせられないってこれ。台所から洗面所に逃げようとするけど、すかさず背中から、

「……昨夜の八色さん、可愛かったなあ」

 と、ウサギを射貫く矢が飛んでくる。


「お願いですから誰にも言わないでください……。ほんとに、誰にも」

 すぐに立ち止まってくるっと振り返った僕は、平身低頭ペコペコと頭を下げて水上さんにお願いをする。


「……誰にも言うはずないじゃないですか。私以外に、あんな姿見せちゃだめですからね……? 八色さん」

「わ、わかってます……」

「もうすぐで朝ご飯できるんで、ちょっと待っててくださいね……」

「は、はい……」

 遠ざかる水上さんの声に、僕は弱々しく頷いた。


 ……今日はバイトないし、帰ったら寝よう……。一日中寝よう。それがいいと思う。……割と真面目に。


 と、いったようにして、人生二十二回目のクリスマスは終わりました。……さて、次は帰省か……。

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