第212話 フライドチキン、自宅で食べるか? 他所で食べるか?

「それじゃ、お疲れ様あ。またよろしくねえ」

「お、お疲れ様でした……」「お疲れ様です……」

 バイト終わり、宮内さんはそう言って歌舞伎町があるほうに歩きだしていった。


「……ど、どこに向かわれるんでしょうか」

「……まあ、どこでもいいんじゃないかな……。と、とりあえず、帰ろうか……」

 宮内さんのルンルンな後ろ姿を眺めながら、僕と水上さんは地下街へと潜り始める。


 この間よりもよりクリスマスムードが増した、新宿の地下通路。中吊り広告だけでなく、クリスマスツリーを模した緑色のモールにカラフルな装飾が施されていて、深夜の疲れ切った仕事帰りに一種の清涼剤みたいなものを感じる。


「……そ、そういえば、クリスマス、僕と水上さんのシフトになったね」

「……ですね。別に、そうなるかなあとは思っていたので、私は全然構わないんですけど」


 実際、今夜でシフト入っているのは僕含め三人しかいないし、そうなれば、ほぼ必然的にクリスマスだろうがなんだろうが働くことになる。

「……そ、そっか……」

 そういう僕も、クリスマスはほぼ必ず働いているけども。


「むしろ、八色さんとクリスマスを過ごせると思うだけで、役得ですね」

「……そうやって仕事をポジティブに捉えていただけるととてもありがたいです……」


 地下街から京王とJRの連絡通路付近に到達。少し背の低い天井が続くちょっと狭苦しい上に、人が密集する空間を、水上さんと至近距離に近づいて通り抜けていく。


 横を振り向けば、すぐ目と鼻の先に水上さんのサラサラとした髪が流れていて、ほんの少しバニラみたいに甘い香りがこの人混みでも伝わってくる。


「……あ、せっかくなんで、クリスマスの日、シフト終わったらどこか一緒にご飯食べに行きませんか?」

 連絡通路の終わり、階段を上り終えてJRのコンコースに。ここまで来ると、僕が乗る中央線のホームはそこそこ近い位置だ。

「べ、別に……ぼ、僕は全然大丈夫だけど」


 やっべ、声上ずりそうになった。……いや、言わなきゃいけないことがあるのはわかっているけど、いざってなるとやっぱり緊張するというか……。

 これまでふたり泣かせておいて何を言っているんだって話だけどさ。


 どこか水上さんはホッとしたような顔を浮かべて、右手で胸を撫で下ろす。


「さすがにもう直前なので、いいお店はどこも駄目だと思うので、適当なところでいいんですけど……八色さん、どこか知りませんか?」

「……い、いや、僕が知っているお店ってもうよく行くファミレスか家の近所のお店くらいしか……」

「あ、じゃああそこのラーメン屋さんでもいいですよ?」


 そしてたどり着いた中央線の階段下、水上さんはさも当たり前、というような顔で恐ろしいことを口にする。


「……クリスマスに、僕が水上さん連れてあそこのラーメン屋行ったらどうなると思う?」

「何かあるんですか?」

 僕の質問に対し、きょとんと立ち止まったまま小首を傾げる水上さん。


「……よくて僕にラーメンのスープが、最悪生卵が投げつけられるかと」

 どうせ常連さんに白い目を向けられるに決まっている。

「……あと、僕だけこれから一割増しの料金を請求され続けるとか」

 女たらし兄ちゃん特別料金とか、あのおっちゃんなら言いかねない。


「それに……さすがにクリスマスにラーメンは味気ないというか……それならファミレスとかがいいかな……」

「……まあ、おっしゃる通りですね。……あっ」


 手のひらの上にグーにした左手を叩いた水上さん。……何かいいことでも思いついたのだろうか。……いい、ことでも。


「ファミレスももしかしたら混んじゃうかもしれませんし、どこかでフライドチキン買って、どっちかの家で食べるっていうのはどうですか? そのほうが安上がりでしょうし」

 ……まあ、悪くはない選択肢ではある。ただ、それにはひとつ問題点があって……。


「いい提案だと思うんだけど……ほら、僕の家だと、ウチって壁薄いでしょ……? その、毎年クリスマスの夜……隣の部屋から聞こえる喘ぎ声が凄くて……」

「性の六時間ですもんね。仕方ないですよ」


 ……隣の部屋でカップルが致している声を聞きながらチキンを女の子と食べろと? 何その罰ゲーム。お金貰ってもやりたくないよ。


「というか、そんなに気になるんでしたら、八色さんも対抗して大音量でAV流せばいいんじゃないですか? 目には目を、歯に歯を、喘ぎ声には喘ぎ声ですよ」

「何真顔でサラッと凄いこと言ってるの。僕にそんなことする度胸ないって。あとここ新宿駅。多少発言に気を使ってもらってもいいかなあ」


 百歩譲ってAVはセーフかもしれないけど、人が聞く場所で喘ぎ声とか言われると恥ずかしい……。

「それとも、ご不満ですか?」

「そういう問題じゃねえ」


 ……つまり生実演のほうがいいですかってご提案だよね、うん、胃が痛くなるからやめて……。

「……では、ちょっと遠いですけど、私の家にしますか? 私の家は壁厚いので、隣の部屋から声が漏れたりとかはしないんですけど」


 ……水上ハウス……。軽く前回のトラウマが……うっ……。

 まあ、僕の家よりかはマシだろうか……。マシなのか?


「ただ、両隣の部屋も女子大学生が住んでいるので、もしかしたら夜な夜な──」

「聞きたくない情報をありがとうございます」


 やめて、性の六時間の煽り文句としては、「あなたの友人も、先輩も、上司も、後輩も、もれなく恋人とセックスしています。道をすれ違うカップルたちももれなくそうです」なんだから。……いらない情報を聞きたくなかった。なんか気まずいでしょ……? なんか……。知っている人の性事情も知りたくないけど、知らない人の性事情も知りたくないんだよ。……言っていて悲しくなってきた。だって、僕が異常だってことを言っているようなものだし。


 やべ、長話しすぎて電車何本か見送っている。そろそろ話を切り上げないと。

「わ、わかった、それでいいよ、それで……。水上さんの家でいいならそうしよう」

 僕が折れる形でまとめにかかりだす。


「……いいんですか?」

 水上さんは、僕のその反応に意外そうに目を丸くさせる。

「もう少し、ごねるかなって思っていたんですけど……」

 ……過去の傾向からすればそうかもね。言いたいことはわかるよ。


 ただ……色々と精算しているなか、水上さんだけ先送りし続けるわけにはいかない。それは、浦佐や井野さんに申し訳が立たない。ただでさえ酷いことをしているというのに。


「……ま、まあ。その……話したいことが、ある……っていうか」

 僕は、わざとゆっくりと落ち着けた声で、水上さんにそう告げた。


「……それは、大事なお話、っていう認識でよろしいですか?」

 僕の様子から、真面目な事案ということを察した水上さんは、下ネタ方面に茶化すことなく、冷静に聞き返す。


「そ、そういうことに、なるかな……? ははは……」

「……そうですか、わかりました。では、そういうつもりで心積もりしておきますね」

「う、うん……だと、助かります……」


 じゃあ、と僕は手を上げて中央線のホームを駆け上がろうとする。すると、

「楽しみにしておきますね。クリスマス。お疲れ様でした」

 小さく微笑んだ水上さんが、これまた控えめに右手を胸の高さでヒラヒラと振っている。


「お疲れ様……」

 それだけ言い残して、僕は帰りの電車が滑り込むホームへと上がっていった。

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