第211話 束の間の日常
〇
その日はバイトも入れてなかったので、家に帰るなりベッドの上でゴロゴロして一日を過ごした。本を読む気にもなれず、ただひたすらスマホで適当にタイムラインだとか動画を惰性で眺めるだけ。それの何が恐ろしいって、平気で半日まるまる潰してしまうってところだ。
ご飯も食べずにベッドの上に寝転がっていると、気がつけばもう日を跨いで夜の一時。
「……やば」
明日っていうか今日はシフトがあるので、ちゃんと寝ないともたない。
「……お風呂は朝入ればいいし、お腹も空いているわけじゃないから……もう寝ちゃうか」
このまま起き上がって何かをする気力もなかったので、のろのろと電気を消して布団に潜る。
「……浦佐は大丈夫だったけど、気まずくなって、井野さんバイト辞めなければいいけど……」
あと、引きずって試験に影響出なければ……。いや、出ないわけはないんだろうけど、最小限に収まってくれれば……。
なんて、枕に顔を埋めて考えごとをしている間に、枕元に置いておいたスマホが暗闇のなかで光り出す。
「……ラインか……? こんな時間に、誰だろ……」
深夜だし、仲良い人のうちの誰かから、なんだろうけど……あ。
うらさ:今度金鉄する日、すんごく美味しいもの奢るっすよセンパイ
うらさ:自分と、円ちゃんに
うらさ:画像を送信しました
「……はいはい……。わかりましたよ」
そのラインを見て、思わず僕はフッと鼻で笑ってしまう。
浦佐から送られた写真には、井野さんの部屋でポテトチップスだったりチョコレートだったり、はたまたホームサイズのオレンジジュースとかサイダーとか、申し訳程度に隅に赤本が落ちていたりと女子会をしている井野さんと浦佐の姿が。
……浦佐が、そういう奴でよかった。
ついさっき、思っていたことを撤回しよう。
僕への当たりがどうなるかはさて置き、井野さんは多分バイトは続けてくれるだろうし、夜が明けたらまた勉強に集中できると思う。
……なら、それで十分、十分だよ。
「……寝よ」
スマホをおやすみモードに切り替え、僕はスマホの画面を下にしてまた枕元に置く。
浦佐のラインが来る前と違って、モヤモヤとした不安の塊は、追い払われていた。
それから数日。クリスマスまであと数日、という日。
この日のシフトは僕と水上さん、とあと宮内さんの三人だ。休みの日なのでフロアコントロールは水上さんではなく僕がやる。でも、水上さんのフロコンもだいたい板についてきたみたいで、そろそろ平日であれば僕が口出ししなくても無事に営業時間を終えられるようにはなっている。まあ、あとは忙しいとき、カウンターが炎上しているときの消火ができるようになれば、とりあえず一人前、ということになるけど、それはまたゆっくり。
「……じゃ、じゃあ休憩後のこの時間からは、水上さんと宮内さんでカウンター入ってもらって、溜まっている雑誌・ムック本の加工をお願いします。あのオリコン全部消す勢いでいいんで。カートも何台になってもオッケーです」
「わ、わかりました……」
「はーい、わかったわあ」
「……お、お願いします……。僕は売り場で補充しているので」
休憩後、カウンターに並ぶ女子ふた……ごほんごほん。男性店員と女性店員にそう指示を出す。
普段宮内さんは夜番の休憩が終わる時間に退勤をする、いわゆる朝・中番の時間で働いているのだけど、件の事情で最近は中・夜番の出勤がメインになっている。だから、こういうふうにバイトが店長に指示を出すっていう、端から見ると珍しい光景も見られると言えば見られる……。
正直、かなり気は使うけどね。
年末近いし、買取が混雑することはありそうだけど、なんせ店長がカウンターにいるんだ。バイト三人分くらいの活躍をしてくれるはずだ。……実際そうだし。
僕は僕で、ひとりで粛々と補充をしていよう。
と、カウンターからまあまあ近い位置にある、ゲームソフトの補充をしていると、早速宮内さんと水上さんの雑談が耳に入ってきた。
「水上さんはどう? ここに勤めてそろそろ半年だけど、もう慣れたかしら?」
「は、はい……。おかげさまで……。皆さんよくしていただけましたし……」
「それはよかったわあ。本当は今年の春のうちに、夜番はふたり新規に採用するつもりでいたんだけど、なかなか応募が来なくて。水上さんが来てくれて、ホント、助かったわあ」
……雑談しつつのんびり仕事をしているように見えているけど、それは違う。宮内さん、喋りながら猛スピードで売り場に出す本と、出す前に廃棄にする本を仕分けている。……水上さんの、五倍くらいの速さで。
「……次の春で夜のエースの太地クンが辞めちゃうのわかっているから、頭数だけでも揃えておこうって思っていたんだけどねえ」
「……夜の、エースですか」
ちょっと待て。その言いかたはなんか誤解を招くからやめてもらいたいです宮内さん。
あと水上さんがあまりの仕事の速さにドン引きしてます。宮内さんに腕四本ついているんじゃないかって目をしています。
「だから、次の年始のセールが終わったら、もう求人広告かけるつもりでいるのよ。いい子が来たら、すぐ獲っちゃうつもりでいるから、水上さんもよろしく頼んだわよお」
それを、雑談しながらやっているのが凄いんだよな……。僕もあのスピードは真剣にやらないと出せない。
「もしかしたら、研修担当、水上さんになるかもしれないし」
「……え、わ、私ですか?」
「そうよ? 四月までは井野さんと浦佐さんは高校生だし、週三でしかいないから、新人さんとシフト被るかわからないけど、水上さんだと週四だから、可能性はあがるでしょ? それに、誰かに仕事教えるのも、楽しいわよ?」
「は、はい……」
「大丈夫よ。太地クンが辞める前に獲っちゃいたいって思ってるから、研修でわからないことがあれば、そこで補充している太地クンに聞いちゃえばいいのよ。研修の達人よ?」
と、いきなり会話に捲き込まれた僕は、両手にソフトを抱えたまま「あ、あまり大げさに言わないでくださいよ……宮内さん」と、渋い顔を作っておく。
「またまたー、五人以上仕事教えてきてよく言うわあ。今の夜番の五分の三が太地クンの教え子なんだから、大したものよ? 手取り足取り、教えてくれるわ、きっと」
「……手取り、足取り……ですか……」
うん? ちょっと今の右手の動きおかしかったよ先生に言ってごらんなさい? 何右手で輪っか作って上下に動かしたの? 手取りってそういう手取りなわけないでしょ勤務中に何考えているの水上さん。
……この配置にしたの、失敗だったかな。宮内さんが僕に関する火種を水上さんにまき散らしそうで、補充に集中できないよ……。
でも、仕事は進んでいるから……文句言えないんだよなあ……。はあ……。
クリスマス直前のシフトは、そんなふうにして終わっていった。
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