第196話 井野マイスター浦佐
というわけで、結果どうなったかと言うと、今度の三人の休みが揃う日に、僕の家に集まることになった。……本当は別々にしてもよかったのだけど、それだと、なんか……井野さん水上さん両方が凄く不満そうな顔色になった。
……1と1ではなく、お互い0・5で妥協したということだろうか。まあ、やりようによっては井野さんもしくは水上さんの知らないところで1と2になる恐れだってあるわけだから、それなら自分の目が届くようにしておいたほうがいいって判断をしたんだろう。ふたりとも。
近い未来に訪れるであろう胃痛デーに思いを馳せつつ、カウンターで本の加工をしていると、トントンと僕の右肩が誰かに叩かれた。
「え?」
いきなりのことだったので、僕は間抜けな声をあげつつ、叩かれた右のほうを振り向く。
「あ、引っかかったっすー」
「……何の用だよ。浦佐。っていうか勤務中に遊ぶなよ」
隣には、グーっと背伸びをして僕にいわゆるトントンピッをやっている浦佐の姿が。
「いやー、漫画の補充終わったんで暇なんすよねー」
「……暇になって遊ぶバイトがあるかよ……」
「そんなに暇なら家電とゲームハードのショーケースの掃除でも手伝ってくれよー。ひとりじゃ全然終わらん」
そんな雑談をしていると、埃とかを掃除するハンディワイパーを持って額に汗をかいている小千谷さんが、売り場から僕らに声を掛けてきた。
「それが終わらないのは知ってますけど、こっちも本の補充、あと1カートはしておきたいんでもうちょっと待ってください。終わったら浦佐寄越すんで。ってわけで次は単行本の補充よろしく。それで補充は終わりだから」
「了解っすー。でもその前にちょっとだけお茶を飲むっすねー」
てくてくと音を立ててカウンター裏に置いてあるペットボトルのお茶をごくごくと飲む浦佐。僕はそんな浦佐を横目に、本に張りついている他の古本屋チェーンの値札を、刃がついたラベル剥しと呼ばれる道具で剥していく。
「ふぅ……。あ、そうそう。今度円ちゃんと何かするんすか?」
「……どうして?」
ペットボトルにくるくるとキャップを回転させてフタを閉める浦佐は、ズボンのポケットにしまっていたポケットティッシュで口を拭きつつ、続ける。
「んー、受験勉強でストレス溜まっているのかなーとか思ってたら、急に最近表情がにこやかになっている気がするっすし、ラインの口調も妙に元気なんすよねー」
……恐ろしい親友パワー。浦佐に隠しごとは一生できないな、井野さん。
「円ちゃんが元気なときは、何かお気に入りの漫画が発売されたか、太地センパイと何かするかって相場が決まってるっすから」
「……ふーん、そうなんだ」
「漫画のときは、大抵不純な雰囲気がするっすけど、センパイのケースだと普通の恋する乙女になるっすから、そこらへんで判別もつくっすし」
これから井野マイスター浦佐、とお呼びしたほうがいいのかな。井野さんについてわからないことがあったら浦佐に聞くとか、してもいいかもしれない。
「それで、何があるっすか? センパイ」
「……いや、ただ井野さんと水上さんとで、休みが揃った日に勉強しようってことになっただけで」
隠す理由もそんなにないので、僕は普通に答える。すると、
「……三人で休みが揃う日ってことは、自分は絶対に参加できないじゃないっすか」
と、浦佐はあからさまに頬に風船を作ってプンプンしだす。
「ま、まあ……そういうことになる、ね」
僕らが休みということは、その日のシフトは自動的に小千谷さんと浦佐のふたり、ということ。言ったように、浦佐はその集まりに行くことはできない。
「つまんないっすよー、どうして自分が行けない日に企画立てちゃうっすかー」
「そんなこと言われたって……」
あの場に浦佐はいなかったし……どうしようもないというか……。
「……自分も行きたかったっすよ……」
それだけ言い残すと、浦佐はしゅんとした様子でとぼとぼとした足取りで本の補充に出て行った。
「あーあ、浦佐拗ねちゃった。仲間外れは駄目だぜー? 太地センパイー」
浦佐と入れ替わるように、小千谷さんがカウンターに入ってくる。どうやら、ハンディワイパーの替えを取りにきたみたいだ。埃まみれになっているし。
「べ、別に仲間外れにしてるつもりは……」
「八色はそのつもりはなくてもなー。年頃の女子高生っていうのは些細なことで色々思うことがあるんだよ」
「……僕が言うのもあれですけど、浦佐に女子高生っぽさを感じることがあまりできないんですが……」
「んー、でも、この間井野ちゃんにおっぱいを大きくする方法を聞いてたし、高校生やってんなーって気にはなったけど? 俺は」
……僕の知らないところでこの人はなんて話を聞いているんだ。っていうかそれ、小千谷さんが聞いていい話なの?
「あ、ちなみに知りたい? 井野ちゃんがおっぱい大きくした方法」
「冗談抜きにセクハラで訴えられても文句言えないレベルですよ、それ。……ちなみに知りたくないです」
というか、大体想像がついてしまうのが悲しいし。……僕も人のこと言えないな。
「まあ、俺も口にはしたくねえな。その単語を」
それで大体言ったようなものじゃないですか。単語って言っちゃったよこの人。
小千谷さんは古いワイパーをゴミ箱に放り投げては、ペン回しの要領でくるくると回転させながらショーケースに戻っていく。
「まあ、あまりちっこいからって、小学生みたいに接していると、痛い目見るぞーって話だよ、八色」
なんか格好いいことを言い残した風になっているけど、がっつり浦佐がジト目で小千谷さんのことを睨んでいる。手に本を何冊か持っているから、廃棄する本をしまいに来ているところだったのだろうけど。
「……どういう意味っすか? おぢさん」
「げ、聞いてたのかよ浦佐」
「このなかで一番自分を小学生扱いしているのはおぢさんだと思うっすけどね。ふんだ」
「……ほほお? 八色はそういうことはないと。気になりますなあ。何かあったんですかい? お嬢さん」
これは……もしかすると浦佐「お兄ちゃん」呼び騒動、もしくは「新宿東口の悲劇」の件を言っているのだろうか。なんか世界史用語っぽくなったな。確かに、あのときはフォローする意味でも大人扱いしたけど……。
「べっ、別に何もないっすよ。おぢさんはデリカシーないっすから教えないっす」
教えないって言っている時点で教える内容があるって自爆しているじゃないですか……。
小千谷さんもその言葉のロジックには気がついているみたいで、もう隠す気のないニヤニヤ顔でショーケースの窓ガラスを拭き掃除している。……端から見たら変質者ですよ。それ。
「ふうううううううん。八色君も隅に置けないなー。このこのー」
しかも、ざっと十メートルくらい離れた位置に立っている僕の脇をつつく動きまでしているし。……本当に休みを与えるべきなのは実は小千谷さんなのでは?
「……もう好きにしてください。あと仕事しろふたりとも」
僕は雑談しながらもラベル剥し続けたからね? ちゃんと仕事はしているからね?
一番仕事に不真面目なセットだから、こうなるのは珍しくはないんだけどさ……。
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