第197話 たまに一緒にゲームするくらいの
サボりたがりなふたりをなんとか仕事させ、無事その日の営業時間は終了。ただ、小千谷さんが珍しく早く家に帰らないといけないから、ということである程度の閉店作業を片付けたら僕らを置いて一足先に帰宅した。お店には、僕と浦佐が残った。
……なんだろう、こういう展開、結構珍しい気がする。
小千谷さんとはしばしば閉店時間をサシで過ごすことはあった。お互い週五だし、成人しているし。
井野さんも……まあ、記憶に色濃く残っているのは中央線が止まって僕が帰りのタクシー代立て替えたときと、井野さんが誕生日のときか。……どっちも、キスをせがまれたり、抱きつかれたりと、何かしらのアクションがあったわけだけど。
で、水上さんは……。あれだな。入りたてのころ、数回ですね。押し倒されたり更衣室に無理やり連れ込まれたり。今となってはもはや懐かしい、というレベルだ。
そういう意味で言えば、浦佐とふたりだけで閉店を迎えるのはすこぶる珍しい。……ま、まあ、浦佐は井野さんや水上さんに比べて、そんなに性的なことにアクティブではないから、何か起きる心配はしていないんだけど。夜番唯一の常識人とも言えるし。ちゃんと下ネタには一般的な拒否反応を示すし。……それでいいのか、夜番。
僕と浦佐が並んでレジ閉めを淡々とするのもなかなかない光景。
「差異なしっすー」
カチカチとレジのボタンを連打したのち、浦佐が僕に報告する。
「了解―。こっちも差異ないから閉めるね」
「はいっすー」
お互い釣銭機に小銭をしまう袋のようなものをセットし、レジから小銭という小銭を吐き出させる。こうやって、レジのお金を空っぽにしてお店を閉めるんだ。その間は、特にこれといってやることはないので、電子マネーの加盟店控えとかカード会社控えとかのレシートをまとめつつ、適当な話をすることが多い。
「……いっこ、聞いていいっすか? センパイ」
だからこのときも、僕は浦佐がとりとめのない、馬鹿な話をするものだと思い込んでいた。
「うん? 何?」
「……円ちゃんのこと、どう思ってるんすか?」
じゃらじゃらと長い間音を立て続ける釣銭機を見つめながら、浦佐は聞いた。
「……は、はい?」
急に飛び出した意味ありげな質問にすんなり答えることができずに、照明を半分落とした薄暗い店内に、小銭と小銭がぶつかり合う乾いた音だけが響きわたる。
「だから、円ちゃんのこと、どう思ってるんすか? って」
「……た、多少抜けているところはあるけど、基本的に仕事は真面目にこなす──」
僕は浦佐の問いに、そう答えた。ただ、彼女が欲しがった答えはそうではないみたいで、
「ああ違うっす。そんな上っ面なことじゃなくって……。女として、どう思ってるんすかって話っす」
首を大きく左右に振って、さっきよりもちょっと語気を強めて浦佐は言った。
「……ど、どうしたんだよ。急にそんなこと聞いて」
「どうしたんすかねえ。ただ、なんとなく、知りたくなっただけっすよ」
やがて浦佐は吐き出しが終わった釣銭機から袋を取り出し、紐で口を閉めてレジのお金をしまうトートバックに入れる。真っすぐ飛ばす表情は変えないまま。
……僕とふたりきりになると、何かイベントが発生するっていう風潮なんですね。浦佐でさえも。
「よっ」と声をあげつつ、お金が入ったトートバックを小さな肩にかけ、浦佐はスタッフルームに向かおうとする。僕も自分が担当したレジの回収したお金をしまい、浦佐に続く。
僕が再び返事に窮したことで、一旦会話は止まり、金庫にお金をしまい、打刻登録を済まし、着替えという手順を踏み、あとは帰るだけ、という段階になって。
「途中になっちゃったすね。で、円ちゃんのこと、好きなんすか? 嫌いなんすか?」
冬物のコートに制服のスカートを揺らせて、浦佐は出口への通路を塞ぐように僕の目の前に立った。
それに、今度はえらくストレートに聞いてきた。口を濁す僕をちょっと急かすみたいだ。
「き、嫌いではないよ……。いい子だし、一緒に過ごしていて楽しいし……」
これに嘘偽りはない。
「じゃあ、好きってことなんすか?」
「そ、それは……」
今考えているところ……なんだよ……とは言えるはずもない。
「じゃあ、自分はどうっすか?」
「……はい?」
さらに想定していないことが尋ねられて、僕の頭はパニック状態。
「自分のことは、どう思っているんすか? センパイは」
考えてもいないことだったから、しどろもどろになりつつも、なんとか言葉を捻りだす。
「え、えっと……ちっこいけど、実は色々考えている奴……?」
「ちっこいけど、は余計っすね。……で? それだけっすか?」
恐らく……浦佐が聞きたいことは、つまりはそういうことなんだ。
僕が知っている噂っていうか、推測通りなら。
けど、ほんとに浦佐のなかで何があったんだ? こんないきなり、なんて。よくわからないし……。だから、僕は浦佐を揺さぶる一言を放つことにした。
「……恋愛は、ノイズじゃなかったの? 浦佐にとって」
かつて浦佐が言った、自分にはゲームさえあればいい、という趣旨の発言。独特な言い回しが目立つ浦佐らしい言葉だと思っていた。
「……ノイズも、たまに聞いてみると、いいものじゃないんすかね? センパイ」
ほんの数センチ緩めた頬と、いつになく落ち着いた声が、彼女の答えだ。
答え、なんだろうけど……。
「センパイがいけないんすよ。家出したときにセンパイが自分の親にガツンと言っちゃったのが」
「いや……あれは、単純に営業の邪魔だったからで……」
「だとしてもっすよ。そのおかげで、今も自分はゲーム実況できてるっすし」
「……それも、津久田さんが説得の方法を提案してくれたからじゃ……」
「あーもう、そういうときは素直に褒められとけばいいんすよセンパイ。さては褒められ慣れてないっすね?」
年を取ると、次第に褒められなくなるんだよ。多分、これからはもっと減るんだろうけど。
「それで、改めて聞くっすけど。……センパイは、自分のこと、どう思ってるんすか?」
……今ここで、答えを出せと言われるなら、ひとつしかないわけなんだけど。
先送りでもない、ひとつの解は。
「全然気とか使わなくていいっすよ? チビ以外だったら、そんなに気にしないっすから」
このタイミングでチビって言える神経があるなら、今頃こんな人間関係になってないよ。
で、だ。
「……そうだね……。たまに休日に一緒にゲームとかするくらいの、いい、友達……かな?」
目の前にいる後輩をぶった斬る返事を、僕は呟いた。
すると、浦佐は満足したように、小さく微笑んでくるりと体の向きを百八十度変えた。
「それだけ聞けたら満足っすね。どうもっす」
すたすたと僕から逃げるように出口へ歩き出す。
「えっ、ちょっ。か、帰るの?」
「帰るっすよ? もう遅いっすしね」
いや、そういうことじゃなくて……。
僕は離れていく浦佐に追いすがろうとしたけど、ふと、地面に数滴の雫が落ちていることに気がついた。
「ちょっ、浦佐待てって!」
すかさず先にエレベーターに乗り込もうとしていた後輩を捕まえるべく、走り出した。
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