第194話 親が親なら子もヤンデレ

 僕がそう話すと、水上さんは表情こそ変えないものの、手元にあるコップを掴んでは、空になってからもゴクゴクと飲む動きをする。……空になってからも。


「……もしかしなくても、私、ピエロになってました……?」

「ど、どうなんだろうね……」

「……か、勝手に勘違いして、勝手に思い悩んで、勝手に仕事でミスして……」

「そ、そこまで言わなくても……」

「で、でも、そういうことですよね……?」

「ま、まあ……」


 ようやく水上さんは中身のないコップをテーブルに下ろして、そのまま表情に影を落として項垂れる。


「……な、なんていうか、あれだけ下着とか水着とか……裸とか見せられて、好きじゃないはず、ないよなって……あはは、僕、自分で何言っているんだろう……」

「それは、八色さんだから見せているわけで……他の男性になんて恥ずかしくて見せられないです」


 ……なんか、とりあえず水上さんにも恥ずかしいっていう感覚があるみたいでホッとした。今はまったく関係ないんだけど。


「……僕にも、多少恥じらいを持ってくれていいんだよ?」

「八色さんの場合は……恥ずかしい、っていうより……意識して欲しいって感情が先行するので……あまり」


「と、とりあえず。一旦話をまとめると、ちゃんと水上さんが僕のこと好きってことは伝わっているから、うん。そこは安心していいよ。だから、もういつも通りに戻ってもらって大丈夫。うん」


 僕もそう話したあと、一気に残っていたお茶を口に含んで、乾いた唇を潤そうとする。


 いいんだよね? これでいいんだよね? もう何も問題ないんだよね? これで水上さんもいつも通り仕事できるんだよね? 正直これ以上長引くと年末の一番忙しい時期に戦力ひとり失うことになってまさに地獄になるから駄目ならむしろ駄目って言って欲しいというか。


「……じゃあ、この場で八色さんを襲ってもいいんですか……?」

「うーん、それは遠慮しておいて欲しいかな」

 通常運転ですね、はい。


 というか、それはほんとに押すときの水上さんの台詞じゃ。いつも通りに戻るって、そこまで戻るの……?

 今の萎れている水上さんとどっちがいいかと言われると一長一短だけど、僕の胃に穴が空きそうなんだよな……。


「……い、いい機会だから聞くんだけど……ど、どうしてそこまでするの……? 普通、す、好きな人にとはいえそこまではできないんじゃないかって思うんだけど……」


 僕がそう尋ねると、水上さんはきょとんとした顔を浮かべては、何やら右手を口元に当てて考え込む素振りを浮かべる。

「それは、八色さんだからで──」

「うん、知ってる。それは知っているからそれ以外で」


 僕だから、でまとめられると堂々巡りなんだ。

「……そうですね……色々あるんですけど……」

 色々あるんだ。いや、いいんだけど。


「……私の名前って、愛唯じゃないですか」

「そうだね」

 っぽい名前だなあって常々思っておりました。


「ただひとりのことを好きになって欲しいっていう願いをこめて、両親は私に愛唯って名前をつけたみたいで」

 ……えーっと、ということは、水上さんのご両親も、もしかしなくても、なかなかに愛が重たいという認識でよろしいでしょうか。


「へ、へぇ……」

 これ、もし僕と水上さんがお付き合いすることになったとして、さらにその上で僕が浮気なりなんなりをしたとするよ? 僕に浮気をすることがあるかどうかは置いておいて。


 ……僕、水上家に殺されるのでは? というか殺されるだけで済む? 市中引き回しの刑に処された後に晒し首とかにされない? 割とマジで。


 っていうか、井野さんのグ腐腐サラブレッドと言い、僕の周りには親の影響を受けている子が多すぎな件について。……実は浦佐の両親もゲーマーっていうオチはない? 小千谷さんの両親も若いときはフリーターだったとか。


「……あと、これはちょっとだけ八色さんにも話していたと思うんですけど。浪人期間中、ほとんど一切誰とも関わりを持たなかったんですね……」

 ……元カレ騒動のときに聞いた気がするね。


「……そ、その、結構それが、辛くて……。でも浪人したからにはちゃんと一年で結果出さないとで頑張らないとで……ひとりで黙々と勉強し続けていたんで……。だいぶ、心にきていたみたいで……」


 なるほど。浪人ってだけでメンタルはきついらしいけど、水上さんの話を聞くとさらに人との関わりも絶った、と。


「……それで、高校の同級生とも疎遠というか、ほぼ絶縁みたいになって……話せる知り合いが誰ひとりいない状態で上京したんで、八色さんがもしかしなくても久し振りに話した近い年代の人で。……あ、何度でも言いますけど、きっかけは一目惚れでもちゃんと本気ですからね?」


 ……うん、それは十分伝わっているよ。本気かどうか突っ込むと、今回の騒動に回帰するからこれ以上は何も言わないよ。


「わ、わかった……。あ、ありがとう……教えてくれて……」


 この話を通じて、期せずして水上さんがどういう人なのかってことが、ちょっとだけよく分かった気がする。……井野さんは、よくお父さんから話聞いたりするからあれだけど、水上さんのこういう話は結構レアだ。


「いえ、八色さんに私のこと、これで知ってもらえるなら……」


 すると、またここでお互いに黙ってしまい、カラオケのモニターから流れるMVの音と、隣の部屋の歌声が聞こえてくる。それに触発されたのか、


「……せ、せっかくカラオケに入ったので、少しだけ、歌っていきます……?」

 目の前に座っている水上さんは腕時計をチラッと確認して、僕にそう提案した。


「まだ、終電まで時間ありますし……」

「……え? ま、まあ僕は別に構わないけど……」


「それに、ここ最近、八色さんとデートらしいデートできてなかったですし……。こんな形ですけど……」

「うん、わかった。喜んで付き合わせていただきます」


 この間の風邪の件もありますしね。僕に拒否権はないと思われます。


「じゃ、じゃあ、先に八色さんからどうぞ……。わ、私のせいで、色々溜まっていると思うんで……」


 鬱憤が、ってことでいいよね? いつもの調子に戻った水上さんが言うと、なんかそれ以外のものも溜まっている、ってイメージを持つのは僕の心が汚れているのかな。……まあ、それ以外もご無沙汰なのは事実なんだけどさ。

「ど、どうもです……」


 結局、それから終電の時間になるまで、色々カラオケで声を出してスッキリさせてもらった。水上さんも、これまで色々悩んだモヤモヤもあっただろうし、僕も僕とて今日お客さんに怒られるっていう、まあ嬉しくはないイベントを経ているからね。有意義な時間にはなったと思う。


 帰り際、例によって新宿駅のコンコースで水上さんと別れるとき、階段下で彼女はいつも通り、穏やかな微笑とともに右手を小さく振っていて、そこはかとない安心感を抱いた。

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