第193話 心の容量いっぱいに
シフトが終わり、僕と水上さんは新宿駅のすぐ側にあるチェーン展開しているカラオケボックスに入った。騒音はあるにしても、他人の目を気にせず話せる場所としてはベターな選択かと思う。ただ、ネックがあるとすれば、新宿でかつ夜ということで、高い、ということだろうか。まあ、この場合お金を気にしている場合ではないから構わない。
……そういえば、初めてデートらしいデートしたときも、渋谷のカラオケだったっけな……と、ぼんやりと思いつつ、個室に入った。
ドリンクバーから持ってきたお茶の入ったグラスをテーブルに置き、水上さんに奥の座席に座るよう促す。小さく頷いた彼女は、ポスンとソファの上に音を立てて腰を下ろした。
「……話したくなったらでいいよ。どうせフリータイムで取ったから、なんだったらここで徹夜してもいいし。水上さんの明日の授業にもよるけど」
「……明日は午前に授業ないので、そこは平気ですけど……大丈夫です、すぐ、話すんで……」
それを聞いて、僕もちょっとだけホッとする。何時間でも付き合う気ではいたけど、しなくていい徹夜はしないに限る。明日も僕はバイトだし。
水上さんは、目の前にあるグラスに軽く口をつけて、ひとつ息を吐く。
「……こんなこと、八色さんに言うべきではないのかもしれないんですけど」
ようやく聞くことができた、彼女の独白の一言目は、とてもとても抽象的なものだった。勢いよく両手で掴もうとすると、ふわりと溶けてしまうくらい、形のないものだった。
「……私が、何をすべきなのかが、わからなくなったんです」
僕は、相槌を打つことすらせず、話の続きを黙って待つ。
「先日、八色さんに……『僕のこと、好きなんだよね?』って聞かれてから、頭が真っ白になったままで……」
……待つ、待とうと思ったけど、さすがにこれは思わずむせてしまった。
「けほっ、こほっ……」
ちょうど含んでいたお茶を戻しそうになってしまい、慌てて飲み込むも、今度は気管が変になってしまいさらに咳き込んでしまう。
そんな僕を見て、水上さんがフロントで受付したときに渡されたおしぼりを僕に渡そうとしてくる。
「だ、大丈夫ですか……?」
「う、うん。大丈夫。すぐに収まるから……ごほっ」
え、待って。やらかしてたの、僕? 僕のせいだった? 関係はしているのかななんて思ってはいたけどさ。
「ご、ごめん。つ、続き、いいよ」
もう動揺に動揺が重なってしまい、まともに座っていられる自信はないけど、話は聞かないといけないので僕は深くソファに座りなおす。
「は、はい……そ、それで……。夏頃くらいまでみたいに、押していっていたときだったら、ちゃんと八色さんに私の気持ちが伝わっていたのかなって……思いまして……。でも、それは八色さんが嫌がったので……ちょっと方法を変えたら……今度はあまり伝わってなくて……」
彼女の話を聞いて、みるみるうちに額に汗が浮かんでくる。お客さんに謝り倒していたときは全然そんなことなかったのに、今は手汗までかいている気がする。
「……井野さんは自然に八色さんにアピールしてますけど……私は、どうしようかなって思って……」
え、えっと……。一回落ち着こう。冷静になって状況を整理しよう。
つ、つまるところ、この間僕が水上さんにどっちか選ぶからって言ったときに一緒に発言した「好きなんだよね?」の確認が、水上さんにとっては結構重たいものだったみたいで、それによって水上さん自身がどうすればいいかわからなくなって、それで、えっと……。
「仕事に私情というか、プライベートなことを持ち込んで失敗するのはいけないってわかってはいるんです。……それで今日は八色さんに下げなくていい頭を下げさせたわけですし……。でも、どうやったって出勤したら八色さんとは顔は合わせることになるんで……」
状況は整理したけど僕は何を言えばいいんだ? っていうかどうすればいいんだ?
頭のなかが渦巻きのようにぐるぐると回転しだして、うまく考えがまとまらない。
「……井野さんが、羨ましいなあって……」
「へ、へ?」
そんななか、意外な言葉が水上さんから発せられて、僕は呆けてしまう。
「……自分の気持ちを、うまく伝えられていて……」
「え、あ……」
斜め上三十度、見えもしない夜空を見上げるように、水上さんは顔を上げる。
「……八木原君に話したのも、そのことでです。同性の友達に聞いてもあまり意味なさそうですし、八色さんはそもそも当事者なので話せるわけもなくて……。小千谷さんは恋愛に関してはあまり当てにならなさそうで、大学にはあまりここまで話せる男友達はいないので……。あとは、筑波にいる八木原君しかいないかなって……なって……」
ごめんよ八木原君。大元は僕が原因だった。……今度東京来たら何かお礼するよ……。あと、こっそりバッサリと切り捨てられている小千谷さん。……僕もおおむね同意するけどさ。恋愛面ではポンコツだって。
「……ただ、八木原君に話しても、『僕も誰かに好意を示されたことがないからわからない』って言われて……。八木原君とは形だけ、付き合っていたので、全然そういう経験なくて……もうどうしたら八色さんに上手く伝わるのかって……頭がいっぱいで……」
なんて言うか……。井野さんは真っすぐって表したけど、水上さんは全身全霊って感じだろうか。心のウェイトを全て傾けてくるからこそ、普段の行動が重たく見えるんだろうなって、聞いていて思った。
そうでもないと、ここまで思い悩んだりしないだろうから。
「……押してだめなら引いてみな。引いてもだめだったら……どうすればよかったんですか……? 私……?」
そして、彼女の話は一旦そこで止まった。しばらくの間、僕も水上さんも喋ることはせず、ただただ視線をチラチラと合わせたり外したり絡めたり逃がしたりしているだけ。
ひとつ変わる点があるとすれば、僕が視線を外してからまた水上さんの顔を見ると、徐々に徐々に表情がより切実なものになっている、ということだろうか。
「……八木原君のときは、こんなに考えることなんて、わからないことなんてなかったんです。八色さんが初めてなんです。ここまで、自分の気持ちがわかって欲しいって思うのは」
ほんとに、心の容量フルに使って僕のことを考えてくれているんだなあって。
目の前の姿を見て感じる。
だから、何気なく僕が発した「僕のこと、好きなんだよね」の確認で、混乱してしまったんだ。
本人にとっては全力で僕に好きって伝えているはずなのに、僕はそうは思っていないかもしれない。
そりゃ、おかしくもなる。
軽はずみな発言をしてしまったんだって、今は猛省している。
水上さんからすれば、寝耳に水だったんだろう。
これを解決するためには……。
「……ごめんね。そんなつもりで確認したわけじゃなかったんだ」
ちゃんと、僕に水上さんの気持ちは伝わっているよって、言う必要がある。
彼女が悩んでしまう原因となった部分を、取り除く必要がある。
「……わかってるよ。もう溢れそうなくらい届いているよ。水上さんが、僕のことを好きだってことは。ただ……。あのときは、前提をしっかりしておきたくて、つい……聞いちゃったんだ」
「じゃ、じゃあ……。私のこれまでのことって……杞憂、だったんですか……?」
「う、うん……」
元が勘違いに近いものだったからか、割とあっさりと水上さんは、拍子抜けした顔を浮かべた。……解決は、もう目の前だろうか。
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