第182話 浦佐の嘘泣き

 そんなこんなで井野さんの休憩が終わり、僕が休憩に入る番になった。スタッフルームに繋がる通路で井野さんとすれ違ったとき、どこか心なしか嬉しそうに頬を緩ませていたのが印象的だった。

 喜んでくれたようでなによりです……。


 ほっと一息ついて、スタッフルームに入ると、

「あっ、お疲れ様っすー」

 ペットボトルのリンゴジュースを飲みながらゆっくりしている浦佐が僕を出迎えた。


「……で、なんでまだ浦佐がここにいるんだよ」

「いやー、ハロウィンにやる生配信まで時間があるんで、ちょっと暇つぶしていこうかなって思って」

 僕は暇つぶしの道具なんですね。理解しました。あと、生配信の読みは正解だったんだね。


「……井野さんにプレゼントはもう渡したんでしょ? だったらもう帰っても」

「んー、そう言われてもっすねー。今日は円ちゃんの誕生日であると同時にハロウィンっすから。お菓子をくれない薄情な大人にはいたずらをしていかないといけないっすよー」


 ……こいつ、わざと仕事中の僕にトリックオアトリートって言ってイタズラ確定ルートに持ち込んだな。

「と、いうわけで。働き者の太地センパイに差し入れっす。さ、食べるっすよ」


 これ見よがしにカバンから取り出したのは、どこからどう見ても怪しいパックのたこ焼き。小腹は空いているからありがたいと言えばありがたいのだけど……。普通のたこ焼きならね。


「……絶対タバスコが入っているパターンでしょ、こんなの……」

 僕が食べるのを渋っていると、浦佐はつまらなさそうに唇をとんがらせて、


「ちぇっ、せっかくセンパイのためにわざわざ買って来たのに、それはないっすよ。あーあ、結構高かったのになあ……」


 絶対嘘だろ、とわかるような嘘泣きを始めた。……え? これ嘘泣きだよね? こんなことで泣く奴じゃないでしょ、浦佐は。


「……うう、わざわざ今日ここに来る前に寄り道までして買ってきたのになあ……」

 し、しかもあろうことかうるうると瞳に光るものまで浮かべ始めるし。え? マジなの? そんなことある? で、でもこんなところスタッフの誰かに見られたら面倒なことになるし……。


「わっ、わかった、わかった食べる、食べるからっ」

 なんだろう、この罠があるとわかっているのに踏み込まないといけない負け戦感は。


 仕方ないのでもう明らかに刺激臭が漂うたこ焼きをひとつ、爪楊枝に刺して口に放り込んだ。その瞬間。

「んんんっ、やっぱからっっっっ、ほっ、うっ」


 もはや言葉にならない悲鳴が閉じた口から漏れ出た。説明は不要だと思う。中身は当然激辛のタバスコだ。わかっていても辛い。

「センパイ、水っすよ、どうぞ」


 咳き込む僕に、浦佐は用意よくミネラルウォーターを手渡してきた。僕はそれを受け取って、すぐに口内の消火作業に入ったけど……。

「んんんんまっずっ! これなんだよ、水じゃないでしょ!」


 これまたイタズラの範疇らしく、この世のものとは思えない不味さの液体が口のなかに広がった。


「みかん味のミネラルウォーターを一度火にかけて沸騰させたものっす。いやー、センパイ、ものの見事に騙されてくれたっすねえ。駄目っすよお、あんな程度の嘘泣きに騙されるようじゃ。妹ちゃんで慣れてるかと思ったっすけど、全然そうじゃなかったみたいっすねー。収穫収穫っすー」


 ……僕に対するイタズラ、手が込み入りすぎてませんか……? さすがに僕も本気で泣きたくなるよ?


「今の様子も撮影してたら、『爆笑:バイト先の先輩にハロウィンのイタズラ仕掛けてみた。』とかのタイトルでそこそこ再生回数伸びたりするっすかねえ。まだ自分実写動画には手を出してないっすし、反響も大きいかもしれないっす」


「ぼ、僕を勝手に動画デビューさせないでくれ……」

「……わかってるっすよー。それに、今の様子も撮影はしてないっすし、大丈夫っす。にしても面白かったっすねー、センパイが悶絶する様子。今年一笑えたっす」


「そ、それはよかったな……」

「あっ、じゃあそろそろ自分は帰って配信の準備をしないといけないっすから、帰るっすねー。あと、そのたこ焼き、ちゃんと全部食べきってくださいっすよー。残したらバチが当たるっすからねー。では、お疲れ様っすー」

「えっ、あっ、ちょっ……」


 言うだけ言って浦佐はパタパタと音を立てていなくなっていった。

 僕の休憩、もう半分くらい過ぎている。


「……まだ五つもこの激辛たこ焼きあるのかよ……うっぷ」

 ひとまず先に自販機でまともな水を用意してから、僕は浦佐プレゼンツのたこ焼きを目に涙を浮かべつつなんとか消化していった。

 もうしばらく、たこ焼きの顔は見たくない。


「……や、八色さん? どうされたんですか? そ、そんな顔色悪くして」

 休憩明け、食べ物を粗末にしなかった僕は、代わりに地獄みたいなテンションにさせられることになった。退勤したばかりの中番の先輩にも心配されたし。


 で、今こうしてカウンターで一緒になっている井野さんにも言われているわけだけど。

「……ん? 浦佐にやられた……」


「うっ、浦佐さんにですか……?」

「ほら、トリックオアトリートで……ね?」

「な、なるほど……それは……お疲れ様です」

「あ、そうそう……。今日誕生日だってね、おめでとう……」


 もうこの流れでだったらなんとでも言える気がした。まったく関連性はないけど、とりあえずこの場でおめでとうと言っておくことに。


「あ、ありがとうございます……」

 井野さんはポッと灯りが点いたランプみたいに顔を赤くさせて、少し首をすくめては小さな声でそう返した。


「なんか、浦佐より誕生日が遅いっていうのが意外に思えるけど……まあ」

 ……身長的な意味でも、ませ具合からしても。これは言うと浦佐にも井野さんにも怒られそうだから言わないけど。


「……こうやって、親以外の誰かに誕生日を祝われるのって、初めてなんで……嬉しいです」

「そ、そうなの?」


「が、学校に友達いないですし……バイトも誕生日覚えてもらえるほど続いていませんし、去年はまだ入ったばっかりで覚えてもらえてませんでしたし……」

 しみじみと感慨深そうに話す井野さん。


「……朝番や中番の先輩たちにもおめでとうって言ってもらえましたし、こんなにたくさんの人から祝われることなんて、あるんだなあって……思っていて。……八色さんのおかげです」

「え、いや、僕は別に……」


「浦佐さんからはプレゼントまで貰っちゃいましたし……。今までで一番幸せな誕生日かもしれません」

「……なら、よかったよ。正直、誕生日にシフト入れていいのかなとか思ってたけど」

「い、入れても入れなくても大して変わりありませんでしかたから、今まで」


 それはまた突っ込みにくい自虐を……。

 けど、まあ。ここまで喜んでくれるなら、いい誕生日になったんじゃないかな……。


 ……あとは、ね? このふたりしかいない時間を、どう締めるかだけど。…………。


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