第177話 無駄にするどい小千谷さん
八色 太地:念のため聞いておきたいんだけどさ
八色 太地:年末って空いてる?
勝手に当てにするのはよくないし、スケジュールの確認はしておいたほうがいい。
そ、確認だけ、確認。
水上さんは返信を待っていたようで、すぐに既読の文字が画面に浮かび上がり、ポンッと気持ちいい破裂音を模したSEが聞こえて、
水上 愛唯:バイトもあるので今年は東京にいますけど
水上 愛唯:年末がどうかしました?
立て続けにそんな返事が流れてくる。…………。
八色 太地:いや、聞いただけだよ
八色 太地:なんでもない
……一応空いているのはわかった。それがどうしたってわけではないのだけど。
「……さ、バイトの準備するか……」
モヤモヤとした気持ちを抱いたまま、僕はテーブルの上に置かれている二枚の特急券を見つめていた。
その日の出勤は僕と小千谷さんと水上さん。
例によって真剣な顔つきでスマホの画面とにらめっこしている小千谷さんが缶コーヒーを飲んでいて、僕はボーっとスマホでタイムラインを眺める変わりない夕礼前の時間。水上さんはまだ到着していない。
しかし、小千谷さんはいつもよりちょっと機嫌がよさそうだ。らしくなく鼻歌まで歌ってしまっている。
「……何かいいことでもあったんですか? 小千谷さん」
「んん? ああ、まあそうだけど。サッカーくじが当たってな、配当金三万円。ほくほくだぜ。逆に八色もなんかあったのか? いつになくしけた顔してるけど」
「……そこまで顔に出てましたか」
「お前が就活真っただなかのときくらい顔が死んでいる」
小千谷さんはコーヒーをとんとテーブルに置いて、人差し指を立てて左右に振ってみせる。
「何年の付き合いだと思っている? お前が落ち込んだときや何かいいことがあったとき、俺は大体気づけるぜ」
「……それはそれで怖いものがありますよ小千谷さん」
「そんなこと言うなよ八色―。同じ部屋で雑魚寝した仲じゃねえか」
「数回ですけどね」
「でもなー、八色が最終面接で落ちたってときも、なんか圧迫面接だったーってときも、八色が勝手に告られて勝手に振られたって言って落ち込んだときも俺優しく酒の一杯でも奢ってあげたのになー」
「……最後のエピソードは何ですか最後のは。言っていて悲しくなりますけど僕誰にも告白されたことありませんからね?」
……あのふたりは除いて。
先のふたつは実話だけど。あれですか、嘘を隠すなら本当の森のなかってやつですか。なるほどそうやって幾度の修羅場を乗り越えて来たんですね小千谷さん。先人の知恵は参考になります。……そんな状況に陥りたくはない。
「へー、意外だなあ。八色みたいな、ぱっと見、人当たり柔らかい奴、大学とかにいたら一定数の女子が近づくもんじゃないのか?」
「……悪意ある強調がされた気がするんですけど勘違いですかね」
その本当は怖い人みたいな言いかたやめてくださいよ……。
「いやー、だってこんな柔和な雰囲気醸し出しておきながら性癖おもらしだぜ? 俺が女だったら怖くて誰も信じられなくなるわ」
「……それは僕も自覚あるのであまり言わないでください」
「いやまあ実際、ほんと何かなきゃ浮いた話のひとつやふたつはあるような奴だと思うんだけどなあ。俺、人を見る目はあると思っているから、ああ」
……じゃあ多分あなたは本当に人を見る目があるってことですよ。浮いた話のひとつやふたつ、水面下で動いてますから。
「……まあ、女子大生より女子高生のほうがいいってことも単純にあるよなー」
「……ほんと身も蓋もないこと言いますね小千谷さん」
「──女子大生と女子高生がどうされたんですか? 八色さん」
と、小千谷さんとそんな雑談をしていると、いつの間にか僕の隣の椅子には暖色系の服を着込んだ水上さんがしれっと会話に混ざっていた。
「み、水上ちゃん、いつの間に……」
「……お疲れ様です」
「……い、いつから聞いてた?」
「八色さんの性癖がおもらしだってくらいからですね……」
「…………」
いや、水上さんはもう知っているから実質ノーダメージ。うん、ノーダメージだから……。
「……なんか、ごめんな八色」
済まなさそうな顔で小千谷さんは僕に謝る。謝ったけど、
「……でもなあ? こんないかにもザ・優男ですって顔しておいて、性癖おもらしってどうよ? 水上ちゃん」
もう開き直っただろ。あんたの当たりのサッカーくじ見つけ次第ビリビリに破きますよ。
「……人それぞれなんでいいんじゃないでしょうか? それよりハードルが高い性癖持っている人もいるでしょうし。犯罪にならないものだったら自由でいいと思いますよ?」
初めて僕の性癖がおもらしで感謝した瞬間かもしれない。多分露出とかだったら水上さんですら引いていたってことだろうから。……いや、水上さんなら仮に僕が、露出が性癖でもついていきそうで怖い部分はある。……たらればの話をしても仕方ないけど。
「……水上ちゃんも水上ちゃんで肝据わっているな」
「いえ……。そういえば八色さんって、年末はどうされるんですか?」
そこまで話すと、水上さんは話題を切り替えた。……モロさっきのラインの話の続きをしようとしているよね、これ。
「あー、そうそう。八色と水上ちゃんって年末年始は実家帰るの? そこらへん結構お店的にも重要でさ」
「私は帰らないですね……。成人式もちょっと出にくいですし……」
「あー、成人式ねー。懐かしいわー。ま、あれは中学の陽キャラが騒ぐだけのイベントだから、無理して行くイベントでもないのは同意だわ。本当に仲が良い友達がいないなら尚更」
……水上さんの場合浪人して、そもそも生きているかどうかすらわからないって感じにまでなっていたし、帰りにくいのはあるんだろうな。
「で? 八色は? 大学入って帰省してないだろ? お前。そろそろ帰ったほうがいいんじゃないのか?」
……こういうときだけまともなことを言うから小千谷さんはずるい。もとは色々考えている人だからまあ……。
「えっと……親には帰れって言われていて……。あと妹にも」
誤魔化しきれる自信はないので、事実の半分だけ話しておく。
「だったら帰ったほうがいいんじゃねーの? 今年は井野ちゃん浦佐がいないって思ったほうがいいから、ヘルプも厚く呼ぶって宮ちゃんも言ってたし」
「……で、ですよね……」
「っていうか、あんなに可愛くてお兄ちゃん大好きって言ってくれる妹がいながら実家に帰らないとか、罪でしかないわ。帰れ」
……あー、妹の話が出た途端ちょっと顔が一瞬だけ険しくなりましたね。すぐ戻ったけど。
「それとも、なんか帰りにくい事情でもあるのか?」
この人はほんとに……。無駄に鋭い。
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