第176話 お困りですか? 八色さん

 ……まずい、このままだと僕に彼女が必要、という流れになってしまう。いや、実際そうなんだけどさ。


「い、いや……別にひとりで帰ってもいいし……あんな頭のネジが外れている父親の言うことは聞かなくても……」

「でっでもっやっぱり二十二歳の長男に彼女がいるかいないかは結構ご両親も気になると思いますっ」


 めっちゃ早口。……ああ、そういえば僕長男だったなあ。そっかあ。なんか嫌だなあそういうしがらみって。

「……ま、まあ最悪どうしても必要だったら誰か雇うよ……最近彼女代行サービスとかあるし?」


 絶対使いたくないけど。でもそうでも言わないと井野さんが今この場で彼女に立候補しそうな勢いなのでどうしようもない。

 ただ、まあこの防御も言ってみればへなへなの素材でできた盾みたいなもので、破壊光線を木製の盾で防げますか? と聞かれると答えはノーで当然であるくらい、井野さんの攻撃は止まらない。


「けどけど、や、やっぱりそういうのは知らない人よりも、知っている人のほうがいいと思いますしっ、よ、余計なお金もかからないですしっ」

 ……っていうか立候補してるねこれ。うん。よく見るなー。ニセ彼女から発展しちゃう系統のラブコメって。ライトノベルでもキャラクター文芸でも漫画でもおいしい設定だしね。


「……いや、年末年始って井野さん、センター直前でしょ? そんな時期に言ってみれば旅行って……もうリスクの塊でしょ……」

 現実は現実。多分これが一番効率的に防御できる手段なのでありがたく使わせてもらう。


「あ、あぅ……」

「……それに、僕の家族がインフルとかこっそり持っていて、それを井野さんに移したら申し訳ないじゃ済まないし」

「……ひっ、ひぃん……」


「第一僕が高校生の井野さんを彼女ですって連れて行ったらネジが外れた父親はともかく母親には心配されるだろうし……美穂に至っては多分僕か井野さんを刺し殺すんじゃないかな……」


 あの父親だったら「JKを彼女とかうらやまけしからん」とか言いかねない。割とガチで。母親はあの家族のなかでは割と常識があるほうなのでそういう反応になるはず。美穂はもはや説明不要だ。……美穂が闇落ちしないことだけを祈る展開になる。


「……じゃ、じゃあ、誰にお願いするんですか……?」

 完全にしょんぼりと肩を落とした井野さんは、弱々しい口調で僕に聞く。

「……誰っていうか……」


 誰も連れて行かない、が一番丸いと思うんだけどなあ……。そうすれば確実に美穂の暴走は阻止できるし。問題があるとすれば、代わりに父親が暴れる恐れがあること、だけど。……それは多分美穂の「お父さん大嫌い」で沈静化できるだろうから問題ない、ことにしておこう。あれ? じゃあますますひとりで帰省すればいいんじゃね……?


「……ま、まあそのうち必要になったら考えるよ」

「そ、そのうち……なんですね……」

「う、うん」


「……八色さんって……結構大事なことって、すぐに答え、出しませんよね……」

 ふと、井野さんはそうポツリと漏らした。言ったではなく、本音が漏れた、みたいに。


「え?」

 僕がちょっと驚くと、すぐに井野さんは口を隠すように手を当てて、

「いっ、今私何か言いましたかっ?」

 あわあわと忙しなく顔を動かしながら確認した。


「……いや、特に何も言ってなかったけど……」

 掘ったら爆発する地雷源にしか見えなかったので、僕はスルーすることにした。……自覚はあるからね。なんせもう半年近く水上さんと井野さんを保留にし続けているんだから。そういうことを思われても仕方ない、とは感じているけど。


 あまり、いい癖ではないんだろうな……。


 それからは、その日は僕も井野さんもシフトがあって、また移動するのが面倒ということで、僕の家でちょこっと井野さんは勉強をしていった。あらかじめバイトの制服はカバンに入れてきていたようで、直接バイトに向かい、先にお店についていた水上さんが一瞬引きつった表情を浮かべたのはそれはそれ、ということで。


 何が不安って、表情を引きつらせたあと、すぐにニコリといつも通りの笑みを水上さんが浮かべたこと。

 ……無理しているようにしか思えないんだけど……。うーん……。


 そうやって問題を先送りにしていたら、美穂との電話から一週間くらいが経過した頃。まあ、そろそろ井野さんの誕生日ってタイミングですね。


 実家から簡易書留で一通の封筒が届いた。差出人は、父親の名前。

 ……いきなり何の手紙だろう……しかも簡易書留って、結構重要なものが入っているってことでしょ……?


 そうビクビクしながら中身を開けると、

「…………」

 そこには新宿から僕の実家の最寄り駅までの指定席特急券が、なんとご丁寧に十二月三十日、三十一日のそれぞれ最終電車の分入っていた。それも、ふたり分。


 ……絶対連れてこいっていう圧力を感じるよ……父さん。一緒に手紙も入っていて、


「……いつも年末年始はバイトで忙しいって聞いてたから、三十日と三十一日の特急券を先に押さえました。利用日以前だったら払い戻しできるから、使わなかったほう返してね(笑)。あ、乗車券は学割が効くだろうから自分で買ってね。よろ。あ、彼女さんのために来客用の布団を買い換えました。楽しみだなあー。そんじゃ」


 ……着実に退路を塞いでいくスタイル、僕は嫌いじゃないですよ、父さん。ええ、なんとしてでも目的を達成するんだって強い意志を感じますから。はい。

 ……僕がそれをやられると、しんどいものがあるけど。


 ……帰省の日取りはもう完全に大晦日っていう心づもりでいたから問題はないんだけど……まさか同行(する予定の)彼女の分まで切符を取るとは思っていなかった。


「あれ、もう一枚手紙に続きが……」

 封筒をひっくり返すとさらに紙が落ちてきて……、


「あ、そうそう。もし彼女連れて帰ってこなかったら、またいいお見合い相手を探したのでその人と会ってもらうつもりです」

「…………」


 さ、代行サービスでも探すか……。僕はスマホで「彼女 代行 サービス」と検索窓に放り込んで、無心になりながら色々と調べた。

 別に彼女がそんなに欲しいわけでもないのにこれを検索をする人って、今までにいたんだろうか……。


 何はともあれ、何か解決策を考えないと。何かないか何かないか……。

 と、そのとき。


水上 愛唯:……何かお困りですか? 八色さん


「……つくづく怖いくらいのタイミングで適切なラインを送ってきますね……」

 通知を見て思わず苦笑いを作ってしまう僕。

「……まあ、井野さんよりは水上さんのほうが……安全というか、年齢的にも、受験とかないし……でも……」


 そのラインに既読をつけるまでに数時間悩んで、僕は返信を送った。

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