第175話 鉄と誤解は熱いうちに叩け
それから話通り浦佐は十時前に僕の家を出て行った。ふんふんと鼻歌を歌いながら出て行く様はまさに上機嫌そのもので、まあ訳はわからないけど満足しているならそれでいいやと気にしないことにした。
……さ、とりあえずまず帰省問題の解決と井野さん水上さんに発生した誤解を解く作業をしないといけないのだけど……。
すこぶる頭が痛いよ……。
水上さんは、事実しか認識していないから問題ない。いや、問題はあるけど問題はない。……何言っているんだ。
ただ、井野さんに関しては僕に彼女ができた、という根も葉もない誤解を真に受けてしまっているから性質が悪い。
「……とりあえず、電話をかけるか」
鉄と誤解は熱いうちに叩けって言葉があるくらいだし、色々と面倒なことになる前にどうにかしないと。よくも悪くも真っすぐすぎる井野さんだから、下手すると突っ走り過ぎてとんでもないことをしでかしてくれるかもしれないし。
「…………繋がらねえ」
そう思って、井野さんに電話をかけるけど、一向に応答してくれる気配はない。
今日日曜日だよな? もしかして模試とかで今出られないのかな……? それは十分にありえそう。受験生の土日は講習か模試三昧と決まっている。とくに秋頃は。地獄の二十一連投とかざらにあったよ。プロ野球と違うのは受験勉強に雨天順延はないところか。早起きしなくていい休みの日がどれだけ待ち遠しかったか。
と、横道にそれた話はどうでもよくて。
もし模試なら無駄に電話を掛け続けるのはよくないかもしれない。電話を連続で鳴らすとそれはそれで緊急の連絡と思われて要らぬ心配をかけるかもしれないし。……いや、緊急と言えば緊急だけど、模試の合間にする話でもないのは事実だ。
「お昼過ぎにもう一度掛け直すか……」
その間、次の帰省をどうするか考えておこう……。
そのとき。家のインターホンが部屋に鳴り響いた。その後に続く言葉がなかったので、恐らく宅配便ではないんだろうけど。
「はい、今開けまーす……」
浦佐が忘れ物でもしたのかな……そう思って僕は玄関のドアを開けた。
「やっ、八色さんっ、さささささっきの話って……はぁ……はぁ……」
ドアを開けた先には、駅から家まで走って来たのか、息はぜえぜえに切れて、コンタクトを入れる暇すら惜しんで眼鏡をかけている井野さんが膝に両手をついて立っていた。
……模試とかではなかったんですね。
「……と、とりあえず……入る?」
今にも倒れそうなくらいしんどそうな顔をしていて、一旦息を整えてもらったほうが落ち着いて話ができそうだ。
「ひゃ、ひゃいっ。……ひぃ……ひぃ……ふぅ……」
家にあったペットボトルのお茶を出して、井野さんが落ち着くまで待った。かれこれ十五分くらいして、ようやく荒れに荒れた呼吸が静かになったので、
「……え、えっと、一応聞いておくけど、走って家まで来たの……?」
まあ当然これを質問するよね。
「み、美穂ちゃんからラインを見てから、いてもたってもいられなくなって……勉強してたんですけど、それどころじゃなくて……家から駅までと、駅から家まで走ってきました……」
……井野さんの家から高円寺駅も、武蔵境駅から僕の家もまあまあ遠い範疇に入ると思うんだけど。この距離を真顔で走りきれるるのは僕の知り合いでは元陸上部の水上さんくらいしか知らない。
「……そ、それはお疲れ様でした……。ただ、全力で走ってきてくれたところ悪いんだけど……」
なんか、そこまで必死になってくれたのに誤解ですって言うのもなんか申し訳なくなってきた……。いや、言うよ? トドメはちゃんと刺すよ?
「その美穂のライン、嘘っていうか、勘違いなんだ……」
「ふぇ?」
首筋を触りながら、恐る恐る告げた言葉は、しばらくの間沈黙を呼び込むきっかけになった。
「て、ってことは……八色さんに彼女ができたっていうのは……違うってことですか……?」
「……そ、そういうことになりますね……」
「ぅぅぅぅぅ……」
井野さんは一気に脱力したようにテーブルの上に突っ伏して、声になってない音を漏らし始める。
「……わ、私……美穂ちゃんが言うからてっきり本当のことかと思って……」
「……まあ身内が言ったら信じるよね……ほんとすみません……」
「……あ、安心しました……よかったです……」
それでいて姿勢を直したかと思えば、うるうると瞳に涙まで浮かべるし……。
……ああ、これが水上さんの言う井野さんの僕に対する依存って奴ですね……。相当強そうだ。
「で、でもどうして美穂ちゃんは私にそんなラインを送ったんですか? それとも美穂ちゃんが勘違いしているとか?」
で、次の話はそうなりますよね……。必然的にそうなりますよね……。
嫌だなあ。説明したくないなあ……。そもそも勘違いのもとは浦佐が僕の家に泊まっていたことであるし、それを話すとどうして浦佐が僕の家に泊まっていたんだって話になるし、じゃあ昨日僕と浦佐は何をしていたんだとなって、芋ずる式に井野さんに誕生日プレゼントを買ったことまで知られてしまうかもしれない。
それはまずい。
「……ま、まあ色々わけあって、美穂というか、美穂との電話を聞いていた僕の父親が僕に彼女がいるって勘違いして……」
「……?」
まあ小首を傾げますよね。なんでそこに父親が出てくるんだって話だよね。話をややこしくするんじゃないよドタコン父親め……。
なんとなくイラっと来たので、浦佐の話の隠れ蓑に父親を使わせてもらおう。
「……美穂ってさ、ほら……ブラコンじゃん?」
「そ、そうですね……見ている私たちが恥ずかしくなるくらいには……」
「父親も、それ以上に美穂が大好きで……つまりはまあ、僕にやきもちを焼いているのね」
……今、あからさまにうわぁって顔したようわぁって。井野さんにそんな顔させるなんて相当よ?
「そんなわけで……父親は早く美穂を独占したいから、僕に彼女ができることを願っているわけ……。ほら、人は聞きたいものを聞いて聞きたくないものを聞かないって言うじゃない? それで勘違いが起きて……年末の帰省に彼女を連れてこい、と言い出したわけで……」
「す、すみません、話の流れが全然わからないです」
「うん、わからなくてもいいや。……それでまあ美穂も美穂で機嫌悪くなって、井野さんにあんなデタラメ送ったんじゃないかな……」
これでいいか? これでいいよな? とりあえず誤解は解いて浦佐のことも隠して、ほぼパーフェクトなトラブルシューティングだよな?
……ひとつ、懸念があるけど。
「……ということは、年末までに八色さん、彼女作らないといけないんですか……?」
……おお、神よ。何故彼女はこの真実に気づいてしまった。
できれば、気づかないで欲しかった……。
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