第173話 妹としてのアイデンティティの危機を感じたので

 その後、どうなったかと言うと。お風呂が沸いて僕が先に入り、そのまま疲れで完全に眠気が襲ってきた。先にベッドと寝袋、どっちがどっちを使うかの相談をしようとしたのだけど、「他人の家に泊まるときはゲームで徹夜に決まってるっすよ。どうせ自分は寝ないっすから、センパイベッド使っていいっすよー」という論理から、そういうことならと僕がベッドを使うことに。……色々突っ込みどころがあるのは置いておこう。


 もういちいちああいえばこういうをするのも疲れたし、寝てしまおう。そう思って、ゲームのポップな調子のBGMを子守唄に僕は眠りについたのだけど。

 翌朝、目を覚ますと。


 てっきり徹夜してまだゲームをやっていると思いきや、パソコンの電源もついておらず、かといってテレビの画面も光っているわけではなかった。


 それどころか使っていたコントローラーすら片づけられていて、もしかして始発で帰ったのかな、とすら思ったけど、昨日買っていた井野さんへのプレゼントが入った紙袋は置かれたままなのでそれはない、と判断する。……お風呂にでも入っている……? だとすると台所に行くと事故が起こりそうだから避けたほうがいい……。でも、お風呂場から音、何も聞こえないんだよなあ……。


 浦佐、どこに行ったんだ?


 ベッドに入ったまま視線をぐるりと動かし、状況を把握しようとする。と、回した足に何かがぶつかる感触がした。

「……え? まさか……」


 僕はある疑念を覚えて、かけられている布団をバサリとめくる。僕の足元には、赤ちゃんみたいに両手両足を小さくまとめた状態で眠っている浦佐の姿が。

「…………」


 結局寝てるんじゃねーか、と、それで同じ布団で寝るのはどうなんですかね、とか、色々言いたいことはあるけど……。というか、起こしてくれたら寝袋で寝たのに……。


「……しかし、こうして見ると、ほんとちっこいな……」

 縮こまっているせいで、さながら大きさが枕と同じくらいに映ってしまう。冗談抜きで。

 とりあえず、起きるまで寝かせてあげるか……。


 浦佐を蹴とばさないように注意して、ベッドから出た僕はまず顔を洗おうとした、ただそのとき。

 テーブルに置いてあった僕のスマホが着信を知らせた。ラインとかではなく、電話がかかって来たんだ。


 ……このタイミングで電話、ってことは、水上さんあたりが妥当かな……。

 そんな予想を立てて僕はスマホの画面を見た、けど。


「えっ、みっ、美穂っ?」

 表示されている名前は予想を綺麗に裏切って、僕の妹からの電話が鳴っていたんだ。


 放置すると後々確実にぐずる理由になるので、僕はすぐにそれに応答した。……したんだ。

「もっ、もしもしっ、ってこれテレビ通話っ?」


 ただ、よりにもよってこのタイミングで始まったのは画面も通話するテレビ電話で、今この瞬間背中で寝ている浦佐がいるのに映すわけにはいかない。だから、急いで画面をミュートにしたのだけど。……画面をミュートって何だよ。ミュートできるのは音声だよ。


「あっ、お兄ちゃん、久しぶりー……あれ」

 目ざとい美穂はそんな抵抗むなしく、声の調子を落としてこう続けた。


「……お兄ちゃん、なんでベッドに女の人がいるの? 誤魔化そうとしたって意味ないよ? ねえ、どうして?」

 いやいやいやいや。待て待て待て待て。妹のセンサー敏感過ぎない?


「……いや? 誰もいないけど、美穂の気のせいじゃないかな?」

「じゃあ、画面を切る必要ないよね?」

「今部屋散らかっていてさ。ちょっと見せられる状態じゃないんだよね」

「嘘。お兄ちゃん、いつも部屋綺麗にしているし、さっきチラッと見えたときもそんな散らかってなかったもん」


 あの一瞬でどれだけの情報を視界から手に入れているんだ……。お兄ちゃん、正直怖いよ。

「……お兄ちゃん、正直に言ってくれないと、お母さんにお兄ちゃんが持ってたえっちなビデオのこと、話すから」


「よおおおし美穂、話をしようか。僕はまだ親子の縁を切られたくないからね。うん」

 知り合いに知られるだけでも嫌なのに、あのAVのことを親にまで知られるのは今すぐ死にたくなるからやめて。普通のAVだったらまだよかったかもしれないけど、よりにもよってあれは本当にまずい。二度と実家帰れなくなるよ。


「……それで? 今誰といるの? お兄ちゃん」

「……う、浦佐が寝ております……」

 というわけで、朝から即興で美穂による尋問が始まった。……なんでこんなことに……。


「ふーん。浦佐お姉ちゃんがねえ……。なんで?」

「……し、終電がなくなった、とかで仕方なく……」


 嘘ではない。嘘はついてない。本当でもないけど。

 スマホ越しに見える美穂の顔はむすっとしたままで、これは納得いく説明をするまで電話が終わらないパターンだ、となんとなく察する。


「へー。一応聞いておくけど、付き合っているわけじゃないよね?」

「と、当然であります……マム」

「……なのに同じベッドで寝た、と。美穂悲しいなあ。お兄ちゃんがそんなことするなんて」

「……め、面目もございません……」


 言い訳即ち火に油を注ぐことになるのは、火を見るよりも明らかなので、ここは大人しくサンドバッグに甘んじる。美穂を本気で怒らせると手がつけられなくなるから。


「まあ、このことはまた今度聞くとして」

 ……あ、意外にも早く終わりそう……!

「お兄ちゃん、年末の帰省の日取り、決まった?」


 という、淡い期待は一瞬で消し飛ばされた。にっこりとした満面の笑みを浮かべている美穂の顔が、凄く眩しい。

「……え、えっと……まだ電車取ってない……です……」


 重々しく僕がそう言うと、さっきまでの表情から一転、

「……お兄ちゃん? 年末の電車事情舐めてない? 取れるときに取っておかないと、お兄ちゃん普通電車でこっちに帰ることになるよ? それとも、やっぱり今年は帰省するなんて言ったのは嘘で、美穂に会いに来てくれないんだ。東京で作った彼女といちゃいちゃするつもりなんだ」


 ……もう詰んでるって。詰んでる詰んでる。そう思ったとき、

「美穂おお? 今なんて言った? 太地が東京で彼女作ったってえええ?」


 美穂の部屋のドアを激しく開けつつ、父親がそう叫びながら電話に乱入してきた。

 ……父さん……。ありがとう……まじで助かった……。このままだと僕電話で獄死する羽目になるところだったよ……。


「ちょ、ちょっとお父さんっ、部屋に入るときはノックしてよっ」

「……ご、ごめんって美穂……。でも美穂が誰か男と電話しているんじゃないかって思って不安で不安で……」


 訂正するわ。この父親、娘の電話を盗み聞きしていたのか……。それはそれでアウトだろ。


「それでっ、太地がとうとう彼女作ったって? 今すぐ連れてこい! 今すぐだあああ!」

「ちょっ、父さん、別に彼女できたわけじゃなくてっ。それに今すぐ帰省なんて無理だしっ」

「だったら、年末の帰省のときにその子も一緒に連れて帰るんだ! いやったああ! 太地に彼女ができたああ!」


 ……これだけ聞けば、まあちょっと甘い親くらいに聞こえるだろうけど、意訳をするなら。

 これでもう美穂は兄離れをせざるを得なくなるぞおお! だろうから何も言えない。


「そんじゃっ、年末楽しみに待ってるからなっ、うまい酒用意しておくぞお?」

「いやっ、ちょっと待っ──……電話切れたし……」


 ……え? 何、もしかして……彼女代行サービスでも使わないと、だめな展開?

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