第154話 藻塩と水上さん

「……んん?」

 次に僕が目を覚ましたのは、台所から聞こえる包丁がまな板を叩くコンコンとした乾いた音でだった。


 体をそのままに視線を横にずらすと、床に置かれたレジ袋がふたつ、丁寧に並んで置かれていて、水色のロゴが彩られたペットボトルのキャップやポトリと落ちた風邪薬の箱だったりが目に入る。


 ……うん。まあ水上さんなんでしょうけど、当たり前のように家に入ってますね。僕ドアを開けた覚えないのに。

「あ、起きました? 八色さん」


 すると、ベッドで僕が物音を立てたことで水上さんが僕に気づいたようで、くるりと振り返ってスタスタとこちらに近づいてきた。

「……ちなみに聞いておくけど、どうやってなかに?」

「あ、合鍵作ったんです。そのほうが何かと都合がいいので」


 ……僕のあずかり知らぬ間に家の合鍵が一本増えているんですがこれはいかに。まあいいや。気にしないでおこう。


「……それで、今は何を?」

「おかゆを作っています」

「……とりあえずありがとうって言っておきますね」


 それになんかよく見たらいつもの水上さんとはなんか雰囲気が違う服を着ているし。エプロンつけているから全部は見られないけど。

 普段は青とか水色とかそういう系統の色の服が多い水上さんだけど、今日は白地にカラフルな水玉模様の半袖がエプロンの隙間から覗く。それに下も黄色のスカートだし。


「熱はどれくらいあるんですか? パッと見ただけでも顔真っ赤で心配になるレベルなんですけど……」

 ベッドの横に膝を折りたたんでしゃがみ込む水上さん。ググっと顔を覗きこんでは右手を僕の額に当てる。

「……やっぱり熱い」


 ……近いのでもっと熱くなりそうです。少し距離を取ってもらってもいいですか?

「……さっき測ったときは七度九分あった」

「昨日、まさか傘差さずに帰ったんですか?」

「……お金なくてね。下ろすのも手数料かかるし、まあ走れば大丈夫でしょって思ってそのまま」


「……こんなことならちゃんと傘持っているかどうか聞けばよかったです……」

「それに関しては僕が全面的に悪いので何も言えません……」


 ひとつため息をついてから、水上さんは置いてあったレジ袋からペットボトルを取り出しては、台所からコップを持ってそれに注ぐ。


「……とりあえず飲んでください。汗の量も見るだけで結構な量出てますし、水分取らないと」

「う、うん……」


 正論も正論なので、僕は水上さんからスポーツドリンクの入ったコップを受け取り、それを一気に飲み干す。

「もうそろそろおかゆが出来上がりますので、それまでまたゆっくりして待っていてくださいね」

「……な、何から何までありがとうございます……」


 空になったコップを持って、再び台所に向かう水上さんにそう言い、僕はまた枕にしっかりと頭をくっつける。

 ……でも水上さんが来て普通に助かったっていうのはあるんだよなあ……。このままだったら何も身動きできずにただただベッドの上でうんうん唸りながら汗をかくだけの機械と化していただろうから。


 シャツぐっしょりだしシーツにそれも移っているし、今相当汗臭いんだろうなあとかぼんやり思いながら、ぼんやり僕はおかゆが出来上がるのを待っていた。


「できましたよ。食べられるだけでいいので、とりあえずお腹に入れちゃいましょう」

 十分くらいして、小さなお椀に切ったネギと生姜に梅干しがのったおかゆを持って水上さんがベッドに戻ってきた。ごくごくシンプルなおかゆ、に見える。


 ……水上さんの手料理って申し訳ないけどどこか抜けているから、正直不安と言えば不安なのだけど、この状態でご飯を作ってくれたわけだし、ありがたく頂くことにしよう。

「……い、いただきます……」


 スプーンにふにゃふにゃになったお米をすくい、そっと口に運んでいく。噛まなくても溶けていく柔らかさのそれは、舌の上を転がってそして……。

「……?」


「どうですか? 食べられそうですか?」

 ……風邪で味覚がおかしくなっているっていうのはあるかもしれないけど、なんか……甘い?


 ……おかゆってどちらかと言うとしょっぱい食べ物だよね? でも、このおかゆ……砂糖が入っているような、そんな味が……?

「う、うん……美味しい、よ……?」


 まあ、食べられないものでもないしそもそも味覚がバカになっているだろうから大して変わらないんだろうけど。

「ならよかったです……。私、ちょっと洗いものしてきますね」


 僕の返事に満足そうに頷いた水上さんは、そう言いまた台所に向かう。水道の音がし始めて、しばらくの間何事もなかったのだけど。

「あ」


 僕がおかゆの半分を食べきったあたりでいきなり水が流れる音が止まった。

「やっ、八色さんっ、そっ、それもしかしてお砂糖入ってたりしませんかっ……?」

 僕とは真反対に顔色を青くさせた水上さんが凄い勢いで部屋に飛び込む。


「……あ、やっぱりそうだった? なんか甘いなあとは思ってたんだ……」

「……そ、そうなんですね……。すみません、八色さんの家って藻塩を使っているんですね……。てっきりそっちが砂糖で普通の白色のが塩だって思いこんじゃって……だ、大丈夫ですか? って……も、もう半分も食べたんですか……?」


 ああ、なるほど。そういうことか。確かに、藻塩よりは黒砂糖のほうがイメージには残るから、白色と茶色の調味料が並んで置かれていたら白が塩で茶色が砂糖って思うよね。

 実家からの仕送りで藻塩が届いてそれを使っていたんだけど、まさかこういうときにその弊害が出るとは……。


「そ、そんな無理して食べなくてもいいんですよ? 美味しくないんだったらそう言ってもらっても」

「いや、まあ砂糖が入ったおかゆもたまにはいいんじゃないかな……。それに風邪引いていると味の感じかたが変わるって言うし、別に平気だよ……。普通に美味しいし……」


「……な、なら、いいんですけど……べ、別に残してもいいですからね?」

 今度はやや顔を赤くさせて、そそくさと水上さんはまた洗い物を再開させに行った。


 お腹は空いていたみたいで、もともとの量が少ない、っていうのはあったけど用意された分を全部食べて、今日初めての食事を終えた。

 空っぽになったお椀を水上さんが見つけたとき、らしくなく顔を赤らめさせて食器を持って行ったのがやけに印象に残っている。


 ……それで、だけど。

 食事が終わってでは次に何をしますかと問われると、まあぐしょぐしょになった服を着替えようということになるわけだ。


 ……何もされないよね? 風邪にかこつけて襲われたりしないよね? 僕。

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