第150話 お・い・た・は・め

「そ、そうだ、え、えっちして事故が起きるのが怖いんでしたら……手、手でするんだったら」

「うん待ってほんとに落ち着こうか井野さん」


 発想が水上さんのそれに近づいているから。っていうかそれもしかしなくても水上さんが名案とばかりに追随する可能性が微粒子レベルで存在するので発見しないで欲しかった。


「ひっ、ひぅ……じゃ、じゃあどうしたら八色さんともっと特別なことができるんですか……?」

「いや、そ、それは……えっと……」

「き、キスだって駄目って言われましたし……で、デートみたいなことは何回かできてますけど……」

 お父様か水上さんの同伴、っていう条件はつくけどね。


「で、デートくらいだったら水上さんだって浦佐さんだってやってますし……」

 オーケー。ウェイウェイ。……水上さんとデートした記憶はあるけど浦佐とデートした事実はないぞ? え? この間の徹夜ゲームがそれに入るんですか? お家デート的な?

 まあそこの定義の確認はいいとして、もう浦佐ともデートをしたってことでいいや。


 ……井野さんが暴走するのもなんとなくわかったような気がする。水上さんも然り。いや、だからと言って不法侵入その他エトセトラを許容する気はないですが……。


 なんかああ言えばこう言うみたいな論調になってきている。もう深夜で僕は眠いし上手く頭回っていないし、強引に至るのも時間の問題な気が……。

 名前通りの冷や水を上からかけて欲しいんですけど……水上さん? お電話まだでしょうか?


 心なしか井野さんが僕の下半身に接近しているようなしていないような……。

「て、手が駄目だったら……じゃ、じゃあ口」

「なんで過激になってるのさせるわけないよ一度深呼吸しようか井野さん」


 ……男が先っちょだけって言って全部とか、触るだけとか言って吸うとかそういうパターンな気がしますよ? 何言ってんの僕。やっぱり深夜テンションはだめだ。僕まで言語が桃色っぽくなる。


「う、うう……」

 八方塞がり。このまま始発の時間が来るのが先か、それとも井野さんの圧に負けるのが先か。そう思ったとき。


 井野さんのスマホが着信を知らせた。

「ひゃっ、ひゃぅ! だっ、誰でしょう……こんな時間に……み、水上さん?」


 待ち焦がれていた水上さんからの電話がとうとうかかってきた。井野さんにだけど。……っていうことは確実に今の一部始終を見ていたってことですよね。でないとこんな深夜に電話掛ける人いないですもんね。


 かなりの動揺とともに井野さんは電話に応答する。

「も、もしもし、井野です」

「起きてらしたんですね、井野さん。水上です」


 電話口から微かに水上さんの、いつも通りの穏やかな声が僕にも聞こえる。井野さんはベッドの上に何故か正座した状態で水上さんと会話を始める。


「あ、あの、何の用でしょうか……? め、珍しいですね。水上さんから私に電話を掛けるなんて……」

「いえ。特にこれといったことではないんですけど……」

「そ、そうなんですか……?」


 これ完全に水差すためだけの電話だから用事なんてないでしょ……。井野さん完全に頭上にはてなマークが三個並んでいるよ。

「ただ、そうですね……今度ご一緒にショッピングでもどうですか?」

「し、ショッピングですか……?」

 白々しい。白々しすぎるよ水上さん。


「半年も井野さんと会ってから経つのに、あまりプライベートで関わりないですし……」

「ま、まあそれは……私は構いませんけど……」

「面倒でなければ、今度日程合わせましょうか」

「え、ええ……」


「そうそう。、ですよ? 井野さん。ではこれで。おやすみなさい。夜分遅くに失礼しました。八色さんにもよろしくお伝えください」

「えっ? どっ、どうして八色さんにっ……き、切れてる……」


 無機質な機械音を呆然と聞きながら、井野さんは困り眉を作っては僕に小さく笑いかける。

「や、八色さんによろしく、だそうです……水上さん」

「うん……聞こえてた」


 あと、今ようやく水上さんからラインが来ました。


水上 愛唯:手も口も駄目ですよ?


 って。求めていたはずなのに、いざ来るとやっぱり怖いね。


水上 愛唯:それに井野さんは高校生ですからね?


 とも。いえ、ありがとうございます……おかげで局面が動きそうです。

「……夜更かしもあれだし、もう寝ない? っていうか、僕もう眠くて眠くて……」

「すっ、すみません、そ、そうですよねっ。眠いですよね。私が深夜に忘れものなんかしたのが原因で八色さんにまで付き合わせてしまって……」


「それはいいよ……仕方ないし。じゃあ、井野さんベッド、僕は床で寝袋。これで決まりね? 眠いから異論は受けつけません……」

「えっ、で、でも」


 僕は押し入れからつい最近お世話になったばかりの寝袋を引っ張り出して、そそくさとなかの潜り込む。もうお風呂に入るのも面倒くさくなってしまった。朝入ろう……。


「あっ……や、八色さん……? ね、寝ちゃいましたか……?」

 薄目でもう微睡んでいた僕を、井野さんはつついて様子を窺う。

 しかし、もう完全に意識が死んでいた僕は、それから目覚めることなく、次の日の朝を迎えることになった。


 翌朝。僕が起きたのは九時過ぎ。当然井野さんは既にいなくなっていて、テーブルの上には小さい丸文字で「昨夜はご迷惑をおかけしてすみませんでした」とだけ書き置かれたメモの切れ端が置かれていた。


「……こういうところは律儀なんだよな……井野さんって」

 だからこそタガが外れたときの反動が激しいというか、一直線というか。


 ベッドに慣れない匂いが残っていることにやや気まずさを覚え、ひとまずシーツを洗濯してしまうことにした僕は、その流れのまま部屋の掃除をまとめてすることにした。

 けど、部屋のものをそれなりに動かしたことで、

「やべ……くしゃみでそう……ティッシュティッシュって……あれ、ボックスティッシュ空になってる」


 埃が立ったことで鼻がくすぐられて、むずむずした感覚になる。

「井野さんが何かでティッシュ使ったのかな……まあいいか。替え出さないと」

 台所に買い置きあるはずだし……。って、

「っくしゅ。っくしゅっ!」


 スッキリはしたけど今度は鼻水が……。やっぱりティッシュティッシュ……。

 そんなのんびりした感じで、九月初日の午前は過ぎていった。

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