第149話 天丼です

「……え? え? い、言ってくれたら探したのに、っていうか終電は? もう零時回ってるよね?」

 予期せぬ来客に多少テンパりながらも、なんとか二の句を継いだ僕。


「……も、もう東京行の電車は終わっちゃいますね……」

 その言葉に電流が走ったように衝撃が走る。僕はスマホの乗り換え案内アプリで「武蔵境→高円寺」を検索するも、画面に浮かんだ注意書きには、

「発車時刻を過ぎた電車が指定されています」


 ……まじかよ。これどうするの? 泊めるしかないの? いや、キャンプとはわけが違うし、前回の美穂がいたときはなし崩し的要素があったからそれもノーカンだ。

 今日のケースは、お互いが、お互いの合意を以て泊めるっていうあれなわけで。

 玄関のドアを開けたまま呆然と間抜け面を浮かべる僕と、変わらずもじもじとしている井野さん。


「……た、タクシー代貸そうか?」

 さすがに明日から学校が始まる子を家に泊めるわけにはいかない。制服を回収するために一度家には絶対戻らないといけないし。


「いっ、いえっ……ば、晩ご飯のお金まで出していただいたのにそこまでしてもらうのはさすがに申し訳ないというか……なんというか……」

 僕としては家に泊まることのほうに申し訳なさを感じてもらいたいというか……。まあ井野さんにとってはそういうことではないと思うんだけど。


「しっ、始発に乗って帰るのでっ、そ、それまででいいのでっ……と、泊めてもらえませんか……?」

 ……東京行の始発は午前四時半とかそこらへん。四時間も待てば電車はすぐに動き出す。

 それはそれでいいんだけど……。


「ご、ご両親にはなんて? 心配すると思うんだけど……」

「だ、大丈夫です。八色さんの家に泊まるって言ったら『いいよー』って返ってきたので」


 ……そうでしたね確認した僕が馬鹿でしたね。いつでも婚姻届に判子押すって言っている両親が今更そいつの家に泊まるなんてこと気にするはずがないですよね。

「ぁ……わ、わかった、わかったよもう……。とりあえずあがって」

「は、はいっ、ありがとうございます」

 ……もうあからさまに嬉しそうに笑うんだよなあ。これ絶対──


 ──わざとですよねえ。予想ついたよなんとなく。

 忘れたと言っていた財布とICカードは井野さんがずーっと座っていた僕のベッドの布団のなかから出てきた。

 それこそ、わざわざ布団のなかに置いたようなところから。


「よ、よかったです、見つかって……」

 えへへと小さく微笑みながら、井野さんはベッドの上に腰かける。完全にお風呂入って寝る気満々でいた僕は、こんな状況で何をすればいいのかわからず手持ち無沙汰になってしまう。


「……よ、四時までどうする? ちょっとだけでも寝ていく? ゲームでもする? う、浦佐が置いていったのならあるけど……」

「い、いえ……。今日ずっと勉強してちょっと疲れちゃったので……少しだけ寝ていこうかなって……」


「それだったらベッド使っていいよ。僕は寝袋で寝るから……」

「え、で、でもそれじゃ八色さんが……」

「……いや、でもさすがに女の子をそんな床に寝かせるわけにはいかないし」

 なんだろう、このやり取り、どこかでもしたことがある気がするなあ……。


「でもでもっ、や、家主の八色さんをそんな──ひゃっ」

 どっちがベッドで寝るか論争をしていると、手を振ろうとした際に井野さんが持っていた財布とスマホが飛んでいってしまった。


 コツンと硬い音を立てて、空を飛んだふたつは床に転がる。近くに座っていた僕はそれを拾い上げて、井野さんに返そうとしたんだけど、

「……ん?」


 これもいつかのファミレスで見たことがあるようなくだりなんだよな……。井野さんの財布とスマホからそれぞれひとつずつ、見覚えのあるビニールで包装された例のアレがポロリと落ちた。

「……ひぅっ……」

 その様子を見た井野さんは恥ずかしそうに首をすくめて、おどおどと僕の顔色を窺う。


「……えーっと、これは。……どちらから……?」

 しかもファミレスのときは一個だったのに今は二個に増えているし。

「……き、今日八色さんの家に行く前に……ど、ドラッグストアで……です……」


 っていうことはあなたのカバンのなかには開けたばかりのゴムの箱が入っているんですねわかりましたはい。何個入り買ったかは知らないですがあと数個はあるんですねええ。


 もはや赤を通り越して黒になるんじゃないかと不安になるくらい真っ赤な顔で、身体をよじらせている井野さん。

「……い、井野さん。お、落ち着こう? そんな急いですることじゃないし」

「ふ、不安なんですっ」


 井野さんをなだめようとするも、逆に火を点けてしまった模様だ。スタッフルームで押し倒されたときみたいな覚悟さえ見受けられる。

「え、え……?」


 ベッドに座ったまま井野さんは僕のほうに身を乗り出してやや強い語気で叫ぶ。

「み、水上さんが八色さんのこと好きなのはわかってますし……う、浦佐さんもここのところそんな雰囲気がしているんです。のんびりしていたら……八色さんが……取られちゃうって」


 水上さんはわかるけど、う、浦佐も……? そ、それは僕聞いてないんですが。

「お、落ち着いて、落ち着いて井野さん。そ、そんな勢いでしたら後悔しか残らないって」


 お願い、やっぱり水上さんからの電話かかって? ねえ、今こそ電話をかけて釘を刺すときじゃない? 水上さん? 水上さああああん?


「こっ、後悔なんてしませんっ。は、はじめては……好きな人とがいいに決まってますっ。そ、それに……この間、私の裸見て、八色さん興奮されてましたよね……? ってことは、私のこと、少なからず女としては見てくれているんですよね……?」

「いっ、いや、それはもう男の悲しい習性みたいなものだからっ」


 水上さん。早く、電話をかけて! どうせ今のこの状況だって把握しているんだよね? 今ばっかりは怖くてもなんでもいいから電話かけてくださいお願いします。その着信音で僕は救われるんです!


「い、井野さんだって可愛いからっ。魅力的だからっ」

「言葉は嬉しいです。嬉しいですけど……それだけじゃ、不安です……」


 ど、どうしよう。水上さんほどではないけど、ソフトに求められているんですけど。キスのときは先送りで誤魔化したけど、今日はそうもいかなそうだし……。うーん、うーん……。


「そ、それに井野さんに何かあったら大変だし……」

「じゃ、じゃあっ、や、約束だけでもいいんですっ。私が大学生になったら、とか……」


 ……この提案を断る合理的な理由が思い浮かびません。駄目って言うと「私のこと嫌いなんですか」って話になりそう。

 別に井野さんのこと嫌いじゃないし、いい子だって思っている。でも……でも、やっぱり年齢差が……。


「……よ、よっつ年下ってだけで……叶わないのは嫌です……私」

 うっ。今その言葉は滅茶苦茶刺さる。


 やばい。水上さんに言われた「井野さんは違法って言葉だけで躊躇う人が……」の言葉が痛いくらいに沁みる。

 ぼ、僕はどうすれば……いいんだろうか。

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