第146話 全年齢が対象です

「……っていうか、三年の夏に課題って出るの? 僕はなかった気がするんだけど」

「わ、私もです……」

 玄関先でニコニコしている浦佐を渋い目で眺めながら、僕と井野さんは口々に言う。


「いやー、自分、定期テストで赤点スレスレばっかり取っているので、なんか知らないっすけど補習用の課題が出されているんすよねーあははは」

 笑えねえ。まったくもって笑えねえ……。


 高校三年生といえば、大学受験をする人なら課題なんか出されなくてもそれ相応の勉強を勝手にするからいいし、就職する人はする人で色々あるし、教師側から何かを強制されるような学年ではないのでは……。


「う、浦佐さん、それ笑いごとじゃない気が……」

「……それで、井野さんはどうしてここに?」

 さっきの話を聞く限り、井野さんに課題は出ていないみたいだし、浦佐のこれに付き合う理由はない。


「ひゃっ、ひゃい。え、えっと……う、浦佐さんから、今日八色さんの家に宿題やりに行くって聞いたので、それで……」

 ……理由になっているようななっていないような。もういいや。


「……とりあえず、なか入って」

「お邪魔するっすー」

「お、お邪魔します……」


 靴をそのままにしてとてとてと部屋に駆けていく浦佐と、揃えてからゆっくりそんな浦佐を追いかける井野さん。

「お菓子とか何もないけど……」


 さすがに課題をやるため、ということもあって定位置のベッドの上ではなくテーブルにつくように地べたに座っている浦佐と、反対にベッドに腰かけている井野さん。まあ、あまり広い部屋ではないからね……。


「あ、それでしたら私が少し持ってきたので……」

 僕が断りを入れると、井野さんはカバンから小分けになったチョコレートを出す。

 ……浦佐もゲームの差し入れは持ってくるけどお菓子は持ってこないからな……。


「さすが円ちゃんっすねー。いただきまーす」

 ……浦佐は早速テーブルに広げられたチョコレートをひとつ掴んで口に含む。

 ほんと、遠慮のない奴……。


「それで? 課題は何が残っているの?」

 浦佐がゲームの誘惑に負ける前に、チョコレートを食べる間に僕は聞く。


「えっと、数学と英語と国語っすよ」

「……三科目もあるのかよ」

「ほんとは化学と生物と、地理も出るはずだったんすけど、先生が補習課題まみれの自分を見て泣きそうな目をしつつ『やっぱりいいわ』って言ってくれたんで三科目で済んだっす」

 ……主要五教科全部から出そうになっていたのかよ。こいつ。


「……まあ、わからないところがあったらとりあえず聞いてよ……。数学はもう怪しいところがあるけど、英語と国語だったらまあいけると思うから」

「ふぇ? 何言ってるんすか? わかるところが逆にあると思うっすか?」

「……よくそれで三年まで進級できたな」

「自分でもびっくりっすよー。何度春休みに進級試験受けさせられたか」


 春休みの進級試験って、ガチでラストチャンスのやつじゃないですか……。そこまで絶望的な学力なんですか……。

「よくそれで大学受けるって言えたな……浦佐」

「ほんとっすよねー。あははー」


 なんだろう。見る人に見せたら一部殺意を覚えられそうな境遇の人間な気がしてきた。浦佐って。


「……で、どれだけ課題は残っているの?」

「全部っす」

「は?」

 なんでもないことを言うように。例えるなら、道端で一円玉拾った、くらいのテンションで浦佐は言った。


「今、なんて」

「だから、全部っす」

「……ちなみに、何ページあるの?」

「えーっと、ざっと六十ページくらいはあるっすかねえ」

 もはや、浦佐のこれに関して何か感情を抱くことが無駄なんじゃないかって思えるようになってきた。


「……もういいや。過ぎてしまった夏休みについてあれこれ言うのは生産的じゃない。片っ端から片づけていこう。井野さんは……どうしてる?」

「わ、私も日本史の暗記とか英単語とか暗記物やってます……」

 ベッドの上で単語帳と予備校が出版している一問一答を広げている井野さん。

 ……いやいい。言わない。もう浦佐のアホに何かを思うことはやめたと決めたんだ。


「よ、よし……じゃあもう片っ端から進めていこうか」

「あ、太地センパイ。因数分解ってどうやるんすか?」

「……お、おう……」

 そこからかよ……。

 長い道のりになりそうだと思い、大学に入ってから一切やっていない数学の知識を総動員して、目の前にいるゲーム馬鹿に勉強を教える覚悟を固めた。


 それから何時間が経っただろうか。幾度となく挫けそうになりながらも、教えることを投げだすと面倒なことになるという恐怖とこのままこいつを大学に放り投げていいのかという謎の責任感からか、地道に課題を消化していった。


 気がつけば日はもう暮れていて、どこからともなく連続してグーっとお腹の虫が鳴り始めていた。


「……太地センパイ、自分、お腹空いたっす……」

「奇遇だな。僕もだよ」

「……わ、私もちょっと……」

「ふたりは時間平気なの?」


 時計を見ると、もう夜の七時だ。そろそろ家に帰らないと心配される頃合いじゃないだろうか。


「自分は円ちゃんの家に宿題しに行くから遅くなるって言っているんで平気っすよ」

「……私も大丈夫です」

「このままだとお腹が空いて課題が進まないっすよ。そうだ、この間連れて行ってくれたラーメン屋に行きたいっす、自分」

 浦佐はテーブルの上に突っ伏しながらそう提案する。


 ……浦佐だけだったら気にしないけど、井野さんも一緒に連れて行くのはちょっと抵抗があるというか……。

「……わ、私でしたら全然いいですよ?」

「……い、いいの? そんなに綺麗な店じゃないし、おっさんばっかりだよ」

「いえ……むしろ、男性ばっかりの空間のほうが……色々と捗るので……」

「……そう」


 なら遠慮せずに行かせていただきます。

 浦佐に関してはこの間裸を見てしまった埋め合わせをしないといけないし、それなら都合がいい。


「だったら、そろそろ出ようか。お店混むかもしれないし」

「わーい、またあそこのラーメンが食べられるっすよー」

 ……っていうか、捗るって。え? 見知らぬおっさんまで対象なんですか? 井野さん?

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