第140話 幽霊見たり──

 で、だよ。別に同じテントで寝るのはいいよ? 事前に聞かされていたからある程度の覚悟は決めていたから。

 ……なんで同じ寝袋に井野さんが入っているの。

「ぅぅ……い、今変な物音しませんでした……?」


 文字通り正面向き合って抱き合うような形で、井野さんは僕の胸元に顔を埋めながらガクガクブルブル震えそう言う。そんな彼女の頭をポンポン撫でてあげて、

「ただの風の音だから平気だよ」


 灯りも全部消したテントのなかは、もちろん真っ暗闇だ。外に街灯もないので、視界に光は一切ない。いや、月明りはあるのだけど、それは果たして恐怖に慄いている井野さんに効果があるのだろうか……。


「そ、そんなにホラー駄目だっけ……井野さんって」

 可愛そうになるくらい小さくなって怯えている井野さんの頭を下目に見て、僕は尋ねる。


「ほ、ホラー自体は別にそうでもないんです……。お、お化けだけがどうしても苦手で……」

「……世に出てるホラーのほとんどってお化けじゃない?」

「そっ、それを言ったら元も子もないです……」

 はい、すみません。ホラーは大丈夫だけどお化けは駄目なんですね。わかりました。


 ふと、いきなり強い風が吹いてきて、テントの外壁を揺らす音が鳴り響く。

「ひぃぃんっ! ぅぅ……も、もう嫌です……こ、怖くて……」


 井野さんは僕の胸にさらに力強く顔を押しつけてくる。他に色々感じる部分はあるのだけど、それ以上に、少しだけ湿った感触が僕のシャツに広がり始めている。

 ……な、泣くほど怖いのか……。絶対にお化け屋敷とか入れないタイプの子だね……。


 ただね……。井野さんはお化けが怖いかもしれないけど、僕は今の状況のほうがよほど怖いからね。


 もう井野さんは力いっぱいに僕の体に抱きついているから、当然彼女の柔らかい身体のあれこれを服越しに触れているわけで。今日の昼間にしかもその全容を視覚情報として入手してしまっているから、あ、これはあんな見た目をしていて、あそこはあんな感じでって考えないようにしているのに勝手に情報が脳内に流れ込んでくる。


 ……これが今日の夜ずっと続くかと思うと、いっそ殺してくれと思うくらいの生殺しだよ。

「……な、何か別の話をしようか。それで気を紛らわせよう」

 井野さんも、僕も。でないとおかしくなりそうだ。


「じゃ、じゃあ……。あっ、あのっ……。みっ、水上さんって、八色さんに裸を見せ慣れているんですか……?」

「ぶっ! けほっ、けほっ……ど、どういう意味、かな……?」

 井野さんがすぐ近くにいるというのに、むせてしまった。いや、そりゃそうでしょ……。話題を変えるって、そっちに変えられたら僕はもっと地獄だって……。


「きょ、今日のお風呂のとき、全然隠すつもりもなく、は、裸を八色さんに見せてたので……そ、そうなのかなって……も、もしかして、身体だけの関係とかもう持っているのかなって。そ、そうじゃなかったら、じ、実はもう水上さんと付き合っているのかなって、つい……」

「バイト先の後輩とセフレになるほど僕は図太くないよ。それに、水上さんとも付き合ってないし……」


 まああんなに抵抗なく裸見せてたらそういう疑問を持つのはわかるよ……。というか、水上さんが異常なだけだって……。


「やっ、八色さんは……み、水上さんみたいな女性が好きなんですかっ……?」

 僕のシャツの裾をぎゅっと力強く握り、僕の顔を至近距離で見上げながら井野さんは僕にそう突っ込んだ質問をしてきた。


「……な、何事にも一途な人っていうのはいいと思うけど、それにも限度があるよなあって話、かな……? ははは……」


 僕のことをあそこまで想ってくれるのはまあ嬉しいといえば嬉しいけど、そのプラスをひっくり返すくらいにマイナスな行動をしてくるからあれだよね。


 具体的には僕の童貞を奪いたがったり僕との子供を欲しがったり危険日教えてきたり他の女の子と何かするとすぐそれに……た、対抗してこようとして、きた、り……、いきなりピンポイントに必要なものを宅配で送ってきたり、とか。


 そういう意味では井野さんは限度は守っている感がする。……果たしてこの状況も限度超えている気がしなくもないけど、水上さんがあまりにも僕の感覚をぶっ壊してくるからこれだったらまだいいレベルだ。しかも自分で作った状況ではなく、今回は章さんが演出した状況だし。


「でっ、でも、水上さん、普段はしっかりと落ち着いていますし、バイトの仕事も今じゃ私ができないこともできるようになってますし、で、電話の対応だって全然慌てないし……わ、私のほうが……は、半年先輩のはずなのに、もう私が一番仕事できなくなっていて……」


 相当水上さんを色々な方向で意識しているのか、次第に声がさらに潤んできた井野さんは、顔を俯かせてしまう。


「……そこは気にしないほうがいいよ。ほんとに」

「……え?」

「そもそも週の出勤日数が違うから、差が詰まっちゃうのは仕方ないんだよ。井野さんは週三で、水上さんは週四。一か月あれば、井野さんが先行して積んだ一週間分の経験値なんて詰まっちゃって当然なんだから」


「……は、はい」

「……それに、春先にも僕言ったよね? 水上さんにはきっとできないけど、井野さんにはできることあるって」

「…………」


「言いかた悪いけど、水上さんは仕事ができない人の気持ちはわからない。多分ね。理解しようと思っているかもしれないけど、それでもわからないことだってあるよ。絶対。その点、井野さんは一番僕が胃をすり減らした新人さんだったからこそ、同じような人の気持ちがわかる。……また井野さんみたいな新しい人が来たとき、その人は井野さんのおかげで仕事続けられるかもしれないから。そこは確実に水上さんより優れているところ。……あまり自分を人と比べてできない人間扱いし続けるのはよくないよ。……大丈夫だよ。今の井野さんも頑張っているのは僕は見てるから」


 ……なんでこんな真面目な話になっているの? ついさっきまで裸だとかセフレとかそんな話していたはずなのに。まあいいんだけどさ。気紛れたし。


 僕がそこまで話すと、何か寝袋のなかの気温が一度二度くらい上昇した気がした。……もともと暑いうえに密着していてさらに上がると、さすがにしんどい気が……。


「や、やっぱり……八色さんが私の先輩でよかったです……」

「それは最大級の誉め言葉として受け取っておくよ」

 そろそろお化けのことも忘れて、眠れるんじゃないかな……。っていうか早く寝て欲しい。明日のこともあるし。


「八色さん、わ、私、やっぱり来年の春まで待てないです──……え?」

 井野さんが何かを言おうとして、そして一瞬あたりをキョロキョロと見回した。

「ん? 春までどうかした?」


「……あ、あの……今、何か物影が通りませんでしたか?」

「え? 僕は見えてないけど。それに、ここらへんは他のテントもないし、人が通ることもそうそうないし、歩いたら足音くらいはするんじゃ──」


 と、僕も話したところで、今度は僕もテントの付近を人のような形をした影が動くのを視認した。

「……ごめん、僕も見えた」

「っっっ……ももももしかして、おっ、お化けが……ひぃぃん……!」


 突然出現した怪しげな影に井野さんは完全に怯えてしまい、ミノムシのように丸まって寝袋のなかに籠ってしまった。


「い、いや……さすがに本当にお化けがいるはずなんて……枯れ尾花って言ったりするし」

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