第139話 別に何もいかがわしくなんてないです
「ほら、円。ソーセージ焼けたよ」
「う、うん……」
「今度はマヨネーズと塩、どっちがいい?」
日がようやく沈みかけた夕方。テント周りに設営したコンロやテーブルの上には、本日の夕食であるバーベキューの材料が並んでいた。
コンロの上でいい色に焼きあがったソーセージを割りばしにつかみ、反対の手ではマヨネーズと塩が別々に乗ったお皿を持っている。
「そ、そろそろ私はお──」
「そっか、円はマヨネーズが好きだもんな。あ、八色君もマヨネーズね」
有無を言わさず、章さんはソーセージの先端にたっぷりのマヨネーズをつけて僕らの取り皿に置く。……このやり取り、既に二桁はゆうに超えている。
いや、他の野菜とか牛カルビとかタン塩とかは普通に食べさせてくれるのに、なぜかソーセージだけはマヨネーズでしか食べさせてくれない。
別にマヨネーズが嫌いなわけではない。ソーセージも嫌いなわけではない。でも……十本以上同じ味で食べるとなると、そろそろ飽きる……。
「な、なんでそこまでマヨネーズにこだわるんですか……?」
「え? いやー、食事中にそれはさすがに……」
章さんはマヨネーズの乗ったお皿をテーブルに置くと、ちょっと恥ずかしそうにポリポリと健康的な血色の肌を掻く。
ああ、はい。もういいです言いたいことはわかりました。
僕にも食べさせているあたりさすが章さんですねええ。……むしろ僕が本命なのでは?
「ひぃん! けほっ、けほっ……。ちょ、ちょっとお父さん、何言っているの……」
すると、井野さんも意図に気づいたようで、これまたコンロの上に置いてあるトマトみたいに顔を熱くさせて言い返した。……ひとしきりむせた後で。
「え? 僕は何も言ってないよ? 円こそ、何食事中に考えているのかなあ」
……白々しい。白々しいけど墓穴を掘ったのは井野さんのほうだ。
「そっ、それは……ぅぅ……」
「はいはい。お肉もどんどん焼けてるから持ってきな。八色君は、ご飯はまだ食べる?」
「はっ、はい……だったらいただきます」
「オッケー、だったらそこのガスコンロでパック米また湯煎しちゃってー。いいねえ。やっぱり若い男の子がいると食材の減りが見ていて気分がいいや」
同期の友達のなかでは僕はあまり食べないほうなのだけど、それは面倒だから言わないでおこう……。しばしば「こいつに女の話はするな」って奴がいると思うけど、章さんの場合は「男の話はするな」が絶対に当てはまると思うから。
「あっ、円。ソーセージ焼けた──」
「自分で取るから大丈夫だよっ! お父さんっ」
「もう、そんなに怒らなくてもいいだろう? それに、怒ってもあんまり怖くないぞ?」
「……か、からかわないでよお……」
「はい、マヨネーズ」
そして、結局この流れに行きつく。井野さんは無言で先端にマヨネーズがたっぷりかかったソーセージを、渋々と自分の口のなかへとはふはふと頬張っていた。
熱いから仕方ないと思うんだけど、口に入れたソーセージを出し入れすると……その……ほんとにいかがわしく見えるからやめて欲しい……井野さん……。いや、これは百パーセント僕が汚れているからなんだけど……。
そんな僕をニマニマと見ている章さんを見て、もっと悔しくなる。こう、手のひらの上で踊らされているような気がして……。これがプロのエンターテイナーってやつか……(違うと思います)。
バーベキューなのにソーセージの話題しか基本上がらない異常な時間ではあったけど、まあそれなりに楽しむことはできた夕食だったと思う。うん。
お腹も膨れて、後片付けも済ませると、やはり夏の気温で汗ばんでしまうもの。もう一回お風呂に入ってさっぱりしてから、そろそろ夜もまあまあ深い時間になってきた。
どこからともなく欠伸が聞こえるようになると、章さんは「寝不足みたいだったしね」と苦笑いを浮かべる。
「ほんとはさっきの川にいけばもっと綺麗な星空が見えるんだけど、もう円が限界そうだね。舟漕ぎ始めているし」
「……さすがに明日の帰りも吐しゃ物の処理はしたくないので本気でちゃんと寝てもらいたいです……」
「ははは、そりゃ正論だね。じゃ、僕は予定通り車で寝るから。円が起きたら教えてあげて。さすがに日を跨ぐ時間には車に戻っているけど、それまで色々資料で使う写真とか撮って回っているつもりだから、そのつもりで。それじゃ、あとはよろしくねー」
章さんはそう言って立ち上がっては、自分が使っていた椅子を折りたたんでテントのなかにしまい、フラフラとキャンプ場の散策を始めていった。
「えっ、あっ、は、はい……」
本当に僕と娘さんを同じ寝床で一晩過ごさせれるんですね……。
そうして、テントの前に椅子に座ったままの僕と、うとうとと体を左右に振っている井野さんが残された。
「ま、まあ……こんな感じでのんびり星空を眺めるのも悪くないか……」
川に行けばもっと綺麗だと章さんは言っていたけど、ここでも全然眺めはいい。都心は星の存在を忘れてしまうくらい、時間差で届いている光は街の灯りに消されてしまうけど、ここはそんなことを忘れてしまうくらいの景色だ。それこそ、田んぼが並んでいた僕の実家近辺みたいな雰囲気だ。これに蛍が飛んだりすると完璧なんだけど、さすがに甘くはないか。
夏の風物詩を見つけられるほど、東京は暗くない。明るいのも暗いのも一長一短なところがあるし、それが悪いって意味ではないんだけど。
なんて、らしくもなく物思いにふけていると、ジョーキングを起こして体をビクっと震えさせた井野さんがその拍子で目を覚ましたようだ。
「……あ、あれ……私……。あれ? お、お父さんはどうしたんですか……?」
ずり落ちた眼鏡をしっかりとかけ直して、やや俯きながら僕に聞く。
「え、えっと……車で寝るって言って、どこかに行かれちゃった」
「え……? じゃ、じゃあテントには……」
「僕と井野さんの、ふたり、みたいだね……」
夏の夜に、ひとさじの風が吹きつける。どこかで誰かが花火をやっているみたいで、火薬の淡い香りと子供の歓声が風に乗ってやってきた。井野さんはしばらくの間フリーズしたのち、機械のように体をギギギと動かし、
「……ふ、ふたり、で、ですか……?」
「う、うん……」
そしてもう一度、無言の時間が流れる。
「い、嫌だったら僕は外の椅子で寝るから」
「そ、そそんな、い、嫌ってわけじゃなくて……そ、そんなはずは……な、なくて……」
うう、と可愛らしいうなり声をあげて、何かを考えこむ井野さん。すると、そのタイミングで井野さんのスマホが着信を告げた。
「お、お父さんからっ。──もしもし、お父さんっ、ど、どういうつもりなのっ? えっ、あまり大きな声出すなよって、そういうことじゃなくてっ!」
……電話でもいじられるんですね……。
「……し、しかも、このキャンプ場、出るって……どっ、どうしてそんなこと直前に言うのっ! 私怖い話苦手なの知ってるくせに!」
さらにトドメを刺しに来ましたね……。本当にぬかりない。
「あっ、ちょっと、お父さんっ! 私も車でっ──き、切れちゃった……」
スマホを力なくぶら下げた井野さんは、困り果てたように涙目をうるうると浮かべる。
「や、八色さん……お、お願いします……一緒に寝てください……ひっく……」
一瞬で事態が急変したんですけどお! ほんとにエンターテイナーですねえ!
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