第135話 お風呂で鼻血を垂らすのはやめましょう
森や川を望むことができる露天風呂。縁に置いてある石に背中を預けながら僕はのんびり景色を楽しんでいた。露天風呂が実は一番広く敷地を取っているようで、さっきの屋内の浴場よりも大きなつくりをしていた。お風呂は石で囲まれているけど、通路は木を貼らせてできている。
多分植えてある木は桜の木だろう。今は葉々が生い茂っていて青々しいけど、きっと春になったら奥に控える自然と合わさって絶景なんじゃないだろうか。……日本酒をお猪口に入れて飲んだら美味そう。
……ああ、この瞬間だけ何も考えなくていいかも……。ずーっとここにいたい……。ボーっとしてたいなあ……。
普段が普段過ぎるんだよなあ……。ほんと。湯船に落ち続けているお湯の音さえも聞こえないくらい騒がしいのが日常だから……。
もう少し穏やかでもいいと思うのに……。
「……春になったら、もう一回行こうかな……。ひとりで」
なんてのんびり過ごしていると、長い間お風呂に浸かっているからか、喉が渇いてきた。ちょうど近くに飲み水用の水道があったので、僕は一旦お風呂からあがって水を少し口に含む。その間に、どうやらやっと他の人が入ってきたようで、扉の開閉音がガチャ、と鳴り響いた。
「……ふぅ。だいぶくつろげたし、もう少しだけ入ったら出るか」
あれ……? 今、扉の音したよね……? でも、誰かが通った感じはしなかったし……。やっぱり入るのをやめたのかな……?
「……まあ、いいか」
人が理解できない行動を取るのは当然のことだし。きっと忘れ物か、気分が変わったんだろう。
僕は再度湯船のなかに戻って、さっきと同じ場所に足を伸ばして肩まで浸かり始めた。
うーん、やっぱりいいお湯……。お風呂からあがったら何かジュースでも買うか……。ベタなのは瓶に入った牛乳だけど……、炭酸とか飲んでもいいかもしれないな。自販機のラインナップでも見てじっくり悩もう。
「……よし……ん?」
あと百数えたら出よう、と決意したときだった。どこから、ちゃぽん、というお湯が跳ねる音がした。
まるで、誰か人がお風呂のなかで動いたような、そんな音が。
「……え?」
やっぱり、誰かいるのかな……? でも、さっき水飲んだときには僕が通ってきた通路からは誰も来なかったし……。
僕が通ってきた通路?
……もしかして、扉、もうひとつあったりする?
温かいお湯に肩まで浸かっているはずなのに、冷や汗が額を流れる。
……落ち着け、冷静になれ。男湯に露天風呂に繋がる扉はひとつしかなかった。なら、男性が入ってくる通路はあそこしかない。しかし、扉が開く音は確実に聞こえたし、人が今お風呂にいる音もしている。
ということは……。
「……露天風呂だけ、混浴ってオチがあったりします……?」
そんな嫌な予感を胸の内に抱えて、そういえばさっき水飲み場に露天風呂の案内の看板があったなと思い、そこに移動する。
「えっと……当施設の露天風呂は、時間によって男女入れ替わりとなっております。……開店から午後七時までは混浴、午後七時から十時までは女湯、十時から閉店の午前一時までは男湯……です」
今は……余裕で混浴の時間ですね。ということは……恐らくさっきの音を立てたのは──
「ひゃっ……や、八色さん……ですか……?」
背中側からそんな聞き覚えのある声がすぐ近くで聞こえてきた。僕は、一応幻聴である可能性に期待をして、声のしたほうを振り向いたけど。
「……い、井野さっ……ぶっ」
「あっ、ひゃぅん!」
多分、井野さんは水を飲みに来たんだと思う。それで水飲み場まで来たのだけど、まあ要はお互い裸のまま鉢合わせてしまったわけで。
コンタクトは外しているけど至近距離だから何から何まで見えてしまったわけだ。
……さっき水着姿を見たのだけど、その薄布さえなくなった井野さんの姿だ。はっきりと膨らんだそれも、その先に小さく咲いているピンク色の蕾も、ちょっと視線を下にずらして見えてしまううっすらと生えた茂みさえも、全部。
……フラグ回収お疲れ様です。
タオルは恐らく縁石に置いてきたようで、慌てて井野さんは両手で身体を隠す動きをする。
「どっ、どうして八色さんがここに……?」
「……ここの露天風呂、今は混浴みたいで……ごめん、もう僕出るね?」
精神衛生上とてもよくないので、僕はそのまま通路を歩いて男湯に戻ろうとしたのだけど……。
「いやー、やっぱりここの露天風呂の景色は最高ですなあ」
「そうですねえ、毎日でも通いたくなってしまいますわあ」
今度は間違いなく男湯から老人ふたりが露天風呂に入ってきた。
「ひゃぅ、ど、どうしたら……」
一応ルール的にはここに井野さんがいることはまったくもって問題はないけど、そういう問題ではないだろう。見ず知らずの男に、自分の裸は見られたくないのが当然だ。知っている男にもだけど。
完全にテンパってしまった井野さんは、反射か何かは知らないけど僕の手を引いて急いでお湯のなかに入り、さっきまで僕がくつろいでいた湯船の奥まで移動した。
「えっ、い、井野さん?」
井野さんの突然の行動に僕も驚いてしまい、一瞬我を忘れそうになったけど、
「あら、今日は珍しく先客がいるみたいだね。こんにちは。お兄さん」
入ってきたお爺さんふたりに話しかけられたことで、落ち着きを取り戻した。
「こ、こんにちは」
……ど、どうやら井野さんには気づいていないようだ……。ん? 井野さん?
お爺さんたちもそれ以上僕に話しかけることはせず、仲間内で雑談を始めたので助かったのだけど……。井野さんは何をしている? って……!
「ぅ、ぅぅ……」
井野さんはどうやら僕の背中に抱きついて身を隠す作戦に出た、ようだけど……。
待って待って何がとは言わないけど先端の感触まで背中に感じていて僕の僕が……!
止めたいけど井野さんに声をかけてお爺さんに存在を知られるのは避けたいだろうし。
やむを得ないのでとりあえず井野さんの為すがままにしていると、
「うっ……」
僕に抱きつく井野さんの両腕が、段々下へと降りていった。……これも腕をお湯のなかに隠すためなんだろうけど、下に行きすぎると……。
い、井野さん……そ、そこは……まずいってええ!
「……あ、あれ……こ、これって……ひゃっ……」
僕も顔を真っ赤にして、お爺さんたちには聞こえないくらいの大きさで背中の井野さんに言う。
「……ご、ごめん、せ、生理現象だから。少ししたら落ち着くから……。あ、あと、もう少し手は上のほうが、あ、ありがたいです……」
「……す、すみません……ひゃうん……」
……あれ、なんかお湯の色変わった……? こんな色だっけ……って、鼻血……か。
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