第134話 「っぽい」表情

「……わ、笑わないでくださいね……?」

 とうとう意を決めたようで、井野さんは着こんでいたパーカーのチャックに手をかけた。


 どこまでいっても基本的に自己評価が低い子ゆえのこれなのだろうけど……。もうちょい自分に自信持ってもいいと思うんだけどなあ……。仕事でも、プライベートでも。もうちょっとっていうのは、ほんとにもうちょっとね。僕の周り、ちょうどいい、っていうまあ小難しく言えば中庸という概念がない人が多すぎるから、むやみにそんなこと言えないんだけど。


 ゆっくりとチャックが下ろされて、隠されていた滑らかな曲線の輪郭が露わになった。夏の陽射しに照らされる井野さんの肌は白さのなかに火照った色合いが混ざっていて、じんわりと浮かぶ汗は暑さのせいか緊張のせいなのか。水着自体は想像よりも少し派手かなあくらいの印象で、限りなく白に近い薄い緑色を基調とした結び目にリボンが飾られている可愛らしいデザインのものだった。下にはフリルもついていて、井野さんらしいと言えば井野さんらしい。


 彼女自身が気にしていたお腹も男の僕から見たらそんなに気になるものではなく、真っ白なキャンパスに浮かぶ一点の凹みもやや煽情的だ。

「…………」

「あ、あの……」


 少し派手かなあという感想を抱いたのは主に上のほうで……。結構胸の露出が多かった……。いやね? 比較するようで悪いけどつい最近浦佐の裸を見てしまったわけで……、浦佐は凹凸のまったくない体形だけど、井野さんは何度か感じたようにこっそり大きい。今までこういう形で見たことはなかったけど、その印象は間違っていなかったようで……要は、水着の隙間から彼女の谷間が少し零れているわけだ。


「へ、変ですか……? そ、そうですよね……やっぱり私なんかが──」

 脱いだパーカーを広げて大きな石の上に置く井野さんは、不安そうにして僕に確認する。あまりに長い間僕が口を開かなくなってしまったから、ちょっと心配になったのかもしれない。


「──いっ、いや全然そんなことないよ。似合っているし可愛いよ、可愛い」

 ことあるごとに言っている気はするけど、水上さんが綺麗系なら井野さんは可愛い系。これは間違いないと思う。……浦佐? 今のタイミングで浦佐の話はしないでおこう。なんかこれ以上は不憫だ。


 と、まあそんな井野さんがイメージ通りかつ普段の大人しめな服のチョイスと比較するとちょっと背伸び感のあるこの水着はとてもいい、と親指を立てたくなるようなものだった。……まあ、一緒に遊園地行ったとき(水上さんという乱入者はいたけど)もまあまあ気合入れた格好してきたから、メリハリがついているとも言えるけど。


「そっ、そうですか……? そう言ってもらえると……う、嬉しいです……」

 少しだけ頬の赤みを増させた井野さんは、やや俯きながらも口角は緩めて表情を崩した。


 取り立てて感情を大きく表現することは滅多にない(腐ったときは除く)井野さんだけど、こういう表情をすると、なんか素直に「っぽい」なと思った。

「……っぐしゅ。やべ……むしろ僕のほうが体冷えてきたかも」


 人の心配する暇があるなら自分の心配をしろよと言いたくなる。……僕も当然綺麗に川に落ちたので、シャツもズボンも全部びしょ濡れだ。ただ、脱いだのは足元だけ。そりゃくしゃみのひとつやふたつも出るだろう……。うーん。上は最悪脱げてもさすがに下はなあ……。


「……そ、そろそろテントに戻ります? パーカー、石の上に置いたらなんか少し乾いたみたいですし……これなら歩いても……」

「それがいいかもね……」

「あ、あと、なんでしたらまだお昼ですけどお風呂に入っちゃうのもあるんじゃないかって……」


 もうあり寄りのありと言ったところでしょうか。どのしろ着替えが明日の分しかないから今ある服を僕も井野さんも乾かす必要がある。その間にお風呂に入って時間を稼ぐっていうのは有効な手段かもしれない。

「……うん、そうしよう。それがいいと思うよ」


 もしかしたら乾燥機とかあるかもしれないし。

 そうして、僕は靴を履き直し、井野さんはパーカーを着直して川を後にした。

 まあ……普通に楽しかったと思います。はい。


「あ、おかえり。どうだった? 楽しかった?」

 テントに戻ると、それの前で椅子を立ててのんびり本を読んでいるお父様が僕らに声をかけた。


「はい……おかげ様で」

「円があんなに機嫌よさそうならきっとそうなんだろうね。よかったよかった」

「そっ、そんなことっ……も、もう……」

 そこはさすが親といったところだろうか。


「それで、お昼まだだけどどうしようか? というか、八色君も水浸しだけど川に落ちたのかい?」

「え、ええ……まあ色々……それでお風呂に先に入ろうかなって思って……」

 僕はテントの先に見える木の建物を指さして言う。


「お、いいね。でも僕はお腹空いているから先にご飯食べちゃうよ。行くなら先行っていていいよ」

 クーラーボックスにしまっておいたコンビニのおにぎりを取り出しつつお父様はそう返す。


「だってさ。行く?」

「は、はい……」

「わかりました。じゃあ僕らは先行ってますね」

「わかった。ゆっくりしてきていいからー」

 テントに置いた荷物からお風呂のための道具を色々持ち出し、僕らは今度はお風呂に入ることになった。


 名目上は銭湯、のようで、銭湯にあるものは大抵揃っていた。木目の主張が激しい建物は内装も目に優しい作りになっていて、都会の生活の疲れを落とす癒しを持っているような、そんな気にもさせられる。


 お昼過ぎにキャンプに来てわざわざお風呂に入る人もそうそういないようで、男湯は脱衣所含めて僕しかいなかった。きっと女湯もそんな感じなのだろう。


 さすがに乾燥機はなかったけどドライヤーは設置されていた。これがあれば問題はないだろう。お風呂からあがったらゆっくり濡れた服を乾かさせてもらおう。

 タオル一枚で浴場に足を踏み入れる。さすがにそれほど広さはなく、大きな湯船がひとつと洗い場が十あるくらい。


「まあ……一応キャンプ場だし、これくらいでもあれば十分だよね……」

 それに、浴室の隅にはサウナもあるし、露天風呂に繋がる扉も設置されている。

「全部回ってざっと一時間かかるくらいかな……。よし」

 まずはシャンプーと体を洗ってから、ゆっくりお風呂を味わうことにしよう。


 体も洗い終わり、室内のお風呂もとりあえず満喫した。三十分くらいしても誰も来ないままで、未だに僕の貸し切り状態。……経営大丈夫なのかなあ。

 そんなことはさて置いて、


「じゃあ……露天風呂入るか……」

 僕は扉に手をかけて、屋外に出ようとする。その際、扉に貼られている文字を裸眼でぼんやりと眺めたけど、今は入ってもいい時間らしいし大丈夫だろう。お風呂入る前にコンタクトレンズ外したし……至近距離じゃないと裸眼だと文字は読めないんだよね……。川のとき目に水が入ったかもとドキッとしたけど、それは起きなくて安心した。そう言えば井野さんもコンタクトだったけど……井野さんは顔まで水に入ったから、大丈夫かな……。

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