第133話 夏の1ページ的な
それから井野さんを待つこと数分。結局誰も川に人が来ることはなく、ただただせせらぎの音を耳に澄まして時間を過ごしていた。
……幸なのか不幸なのか。どのしろくしゃみは出ていたから着替えたほうがいいのだろうけど。
「……あ、川魚」
やることがなさすぎて水面を眺めていると、ふと小さな魚がピチピチッと跳ねてその姿を僕に現した。まあ、捕まえるつもりも技量もないけど。
やがて、遠くから小石が踏まれる音が少しずつ聞こえてくるようになった。僕が音のほうを振り向くと、耳から足や手の指の先まで肌が赤くなっている井野さんが、体を隠すように縮こまりながら僕のもとへとやって来ていた。
「……あ、あれ……? お父さんは……?」
「……テントで日向ぼっこしてるって……」
一応パーカーをチャックまでしっかり閉じて肌は隠しているものの、サイズがやや大きいのかそれはそれで水着の下の部分が見えなくて、裸パーカーをしているように映ってしまう。
「それだったら、別に無理してこんなことしなくても……」
井野さんは少し怒りながら、僕の隣にある少し大きな石に腰かけた。
「いやでも実際くしゃみは出ていたし……着替え自体はしたほうがよかったとは思うよ……」
とは言うものの、普段見えないふくらはぎとかはばっちり見えてしまうので、どうしてもそこに目線がチラチラ行ってしまう。……私服とか露出は抑えめなこと多いし、こんなことそうそうないんだよな……きっと。
「あ、あの……そんなに見られると……恥ずかしいです……ぅぅ……」
「ごっ、ごめん、珍しくて、ついっ……」
井野さんが恥ずかしそうに頭から蒸気機関車みたく湯気を出しているので、僕はこれ以上目線をやらないようにしておく。……別の意味で井野さんが鼻血出して倒れそうだ。
結局ふたりになっても特にこれといって話が盛り上がるわけでもなく、川を眺めている時間が続いた。これではなんか気まずいし……何か話題をと思って僕は、
「……そ、その水着、自分で買ったの?」
ととりあえず適当に話を振った。
井野さんは小さくなったまま、川のせせらぎにさえかき消されてしまいそうな大きさの声で答える。
「……は、はい……」
「ひとりで、お店に?」
「……そ、そうです……」
地味に乗り気というか、なんというか……。でも今はパーカーのなかに隠していると。
「ちっ、違うんです決して新しいのが欲しかったとかじゃなくて、お父さんがあんな意味ありげなこと言ったので自衛のためにも用意しておかないと変な格好させられると思ったのでそれで」
「……でも、カバンに入れたのはご両親だよね?」
「ひゃぅ」
オタク特有の早口で必死に理由を説明してくれたのだけど、僕の一言であっけなくそれは止まってしまった。
……理由としては適切ではないんだよな……。思いっきり墓穴掘ったよ、井野さん。
「……えとえと、そのその……うーん、うーん……」
また別の言い訳を考えているのだろうけど、もう頭がオーバーヒートしているみたいでなんか井野さんの近くから熱が漏れている。……暑さとは別の。
「い、いいよいいよ別に。そこまでして考えなくても」
「でっ、でもっ──ひゃっ!」
すると何故か井野さんは急に立ち上がったのだけど、その際に足を滑らせてしまい、その拍子でまた川に落ちそうになってしまった。
「あっ、危ないっ」
頭から川に傾いていたので、咄嗟に僕は井野さんの体を支えようとしたけどもう遅く、バシャアン! という激しい水音とともに一緒に水に濡れてしまった。
「すすすすみませんっ、わっ、私が滑ったから……!」
……スマホはラッキーなことに石の上に置いていたので無事だ。それに、この暑さでちょっと汗をかいていたし、なんかちょうどいいような気がしてきた。
「えい」
僕は川底に尻餅をついたまま、オロオロとしている井野さんに水をかける。
「ひゃんっ! や、八色さん……?」
「どうせそのなか水着だし濡れても平気でしょ? 暑いし涼しいことしてこうよ、ほらっ」
「ち、ちべたいっ。……や、八色さんがそう言うなら……私だって、えいっ」
水を被って少しクールダウンしたことで、井野さんも落ち着きを取り戻したようで、座ったままの僕に思い切り両手で水をかけてきた。
「うっわ、すっげー冷たいし気持ちいいこれ」
「そ、そうですねっ、それっ!」
……まるで小学生のような遊びかたかもしれないけど、僕と井野さんはそうやって川の上で水を掛けあいながら、しばらくの間水遊びを楽しんでいた。
「……なんか、疲れたね……」
「は、はい……こんなにはしゃいだのいつぶりでしょう……」
川からあがって、小石の上にあがって座っている僕と井野さん。僕は靴と靴下だけ脱いで乾かしている。……さすがに井野さんの前でシャツを脱ぐとこれまた鼻血沙汰になりそう。
井野さんもパーカーは着たままだ。だいぶ水を吸って変色しているけど、重くないのだろうか。
「っしゅ」
案の定と言うか、やはり濡れたパーカーは冷えるようで、そんなくしゃみを井野さんが出るようになった。
「……井野さん、さすがに一回パーカー脱いで乾かしたほうがいいんじゃ……」
「……で、でもそれだと……」
余程パーカーを脱ぐのが嫌みたいで、ギュッと水を含んだ上着の裾を握りしめている。
「……見られるのが嫌なら、僕は見ないようにするから。このままだとほんとに体冷やしちゃうよ?」
「いっ、いえ、八色さんに見られるのが嫌なわけじゃなくて……むしろ、八色さんなら別によくて……」
もう色々と漏れているけどこの際スルーしておく。
「……なら、どうして?」
「わっ、私……そんなスタイルよくないし、そ、その、八色さんが持っている……え、えっちなビデオに出ている女の人みたいに痩せているわけでもないし……」
さりげなく僕のメンタル削ってくるのやめてもらっていいですかね? っていうかどこまで見たんですか本当に。
「そ、それに、最近夏休みで運動していないせいで……ちょっとお腹が……」
「……べ、別に僕は気にしないというか……いや、女の子がそういうところ気を使っているのはわかっているけど……」
普段あんなに腐った発言ばかりしているのに、こういうところは普通なのだと思うとなんか……ギャップが……。
「っくしゅ」
「……風邪、引いちゃうよ?」
なんかこれだと僕が脱がせたがっている変態みたいになっている気が……もういいや。
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