第131話 お父様の策略

「うーん、陽射しが眩しいねえ」

 車から出て、額のあたりを手で覆ってお父様はそう言う。実際、この近辺に光を遮る背の高い建物はひとつもないので、空からそのまま陽射しが落ちてくる。帽子持ってきておいて正解だった……。


「……さて」

 僕は何が入っているとは言わないけどビニール袋をまとめて入れたさらに大きいゴミ袋を持ってトイレを探す。……さすがに夏場でゴミ箱に放り込んだらとんでもないことになりそう。


「ちょっと僕、そこのトイレでこれ、捨ててきます」

「ああ、ありがとう。僕らは先に降りてテント張れる場所行ってるから。ほら、円行こう」


 お父様は麦わら帽子を被った井野さんにそう言い、色々荷物を担いで駐車場から移動を始めていた。……とりあえず車を降りたことで、井野さんの波は収まってくれたようだ。あとは少し休めば……よくなるはず。


 まあ汚物処理のことなんてできれば忘れたいし今後も関わることはあって欲しくない。ひたすら無心になりながらキャンプ場のトイレに流しては、処理を終えた。

 これ、先輩というよりもはや兄なのでは……?


 先に行った井野親子のもとに、僕も森を切り開いたところにあるキャンプ場に向かうと、

「ああ、八色君。テントとかは僕が立てておくから、円をどこか気分よくなるような場所に連れて行ってあげてくれないかな。この近くに川があるから、そことかいいと思うけど」

 お父様にそうお願いされる。


 ……川、ねえ。川……ねえ。

 確かにこれまで散々吐き散らかしてきた子を連れて行くには格好のスポットだと思いますけど……。

 お父様。瞳の奥が笑ってますよ。何か企んでいらっしゃいますね。


「……ま、まあそういうことだったら……」

「それに、ひとりで立てるとソロキャンプみたいで気分が出るだろう?」

 純粋なのか不純なのか、僕にはよくわからないです……。


「じゃ、じゃあ行こうか……」

 まだ少し萎れている井野さんに声をかけて、僕は看板の案内に従い付近を流れる川へと向かいだした。


 今回来たキャンプ場も、そこまで秘境のなかにあるわけではなく、ある程度整備された道を伝って道を進んだ。言ったところでキャンプ初心者三人が集まっているし、そこまで大変なところには連れて行かないとは思っていたけど。テントはお父様がご友人から借りたものらしいし、バーベキューの用具はキャンプ場が貸し出してくれるみたいだし、なんだったらログハウスに公衆浴場もあるとか。


 ……もはや野外で寝る旅館か、みたいな突っ込みは無粋だからしないでおく。これくらいがちょうどいいよ、多分。

「……ま、まあほら? 僕もたまーに眠れなくなった次の日とか車に乗ると酔うことあるし。仕方ないよ、きっと」


 ……僕の横を大変低いテンションで歩いておられる井野さんにフォローをいれておく。

「……で、でも……いくら酔ってもそんな二回も三回も吐くことは……」

「そ、それは……」


 普通ないからどうしようもなかった。土の地面を踏みしめる軽い音だけが近くに響く。

「……ほんとにすみません……遊園地のときもですし、せ、先日のベッドを汚したのもですし……今日のも……み、みっともないことばっかりで……」


 帽子を下に傾けたまま、今にも泣き出しそうな声で言う。

「ま、まあ……そういう子が好みって人も一定数はいるだろうし……」


「……や、八色さんが好みじゃないなら、意味ないですよ……」


「ん?」


 ……今サラッと大事なこと呟きました? 断っておくけどちゃんと聞こえましたよ?


 ま、まあ……春先の大雨のときに無理やりキスせがむような子だし……。意外と押しが強いのも井野さんも僕が好きだということも知っているけど。なんだこの台詞。聞く人が聞けば刺されそうな台詞だぞ。……自分で自分に突っ込み入れるようになってしまったし。


「あっ、いやっ、えっと……。そ、そのままの意味、です……からね?」

 井野さんはさっきよりも俯く角度を深くして、照れで赤くなった表情を帽子で隠そうとしている。


「……僕は別に迷惑とは思ってないからフィフティフィフティかな。好きでもないし嫌いでもない。ま、頻度が減るとありがたいけど……」

「き、気をつけます……」

「それより。……少しは顔色良くなったね。よかったよかった」

「……え?」


 僕は傾けられた帽子をひょいと外す。井野さんは「あっ」と言いつつ、僕に取られた麦わら帽子を取り返そうと両手を騒がせる。


「今日ずーっと青白い顔色しかみてなかったから。そんなに顔赤くなるんだったらもう平気なんじゃない? はい、帽子。下向いてばっかりじゃもったいないよ。いい景色なんだし。それに、ほら」

 僕は帽子を井野さんの頭にポスっと置いてあげて、目の前を指さした。


「もう川着いたみたいだよ」

「……ほ、ほんとですね」


 やっぱり東京とは言え自然に溢れた地ということもあり、視線の先を走る川の水面は透明で、遮られることのない光を目一杯白色に輝かせて反射させていた。せせらぎも心地よく鳴っていて、恐らく東京都心では絶対に聞くことができないような光景がそこには広がっていた。


「こんなところ、初めて見ました……!」

「……僕の実家周り、こんな感じだよ。キャンプ場のところに家が並んでいるイメージで」

「へぇ……そうなんですねっ」


 沈んでいた気持ちが一気に跳ねたようで、井野さんは少し駆け足で川の近くに寄っては、しゃがみ込んで両手で透き通った川の水をすくっている。

「凄く冷たいですよ、八色さん」

「ほんとに? 気温高いから助かるね」


 平日昼ということもあって、辺りに人は誰もいない。今のところは僕らの貸し切り、といったところだ。

「うわっ、ほんとに冷たっ」

「……さすがに飲むのはまずいですよね?」


「まあ……暑くて死にそうならともかく、そこまでして飲むべきかと言われると首をかしげるよね。今ペットボトルの水持っているし」

「そ、そうですよね」

 飲んでみたいと思う気持ちはわかるけどね。


 ふと、僕は川辺にたくさん散っている小石をひとつ掴んで、サイドスローで思い切りよく川に向けて放り投げた。

 石は五回くらい水面を跳ねたのち、川の底へと沈んでいった。


「や、八色さん上手なんですね」

「……子供のとき、よくやってた。あと、美穂にせがまれたのもあって……」

「そうなんだ……」


 と、まあ川で軽―く涼んでいると、いきなり、

「ひゃぅん!」


 井野さんがそんな悲鳴を立てて川に転落した。……幸い、膝が隠れるくらいの水深なので溺れる心配はないけど。


 ……僕の後ろには、満面の笑顔で腕を組んでいるお父様が立っていた。やはりか……。

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