第132話 可愛い娘は火事場に放り込め

「けほっ、けほっ……おっ、お父さん、いきなり何なのっ!」

 体全体水浸しになった井野さんが開口一番そう抗議する。…………。


「いやー、僕頑張ってテント設営して来ちゃったよ。せっかくこういうところに来たんだ。遊び倒さないと損だろう?」

「あ、遊ぶって、だからって私を川に落とさなくても……」


 首を横に振って、髪の毛にたまった水を振り払う井野さん。文字通り重たい足取りで川から小石積み重なる川べりに移動する。…………。


 お父様は待ってましたとばかりに後ろ手に隠していたリュックサックを目の前に掲げ、

「そんなことより円。早く着替えないと、下着透けてるよ」


 言ってなかったけど、井野さんの今日の服は俗に言う夏っぽいチョイス。身軽さを重視した薄く柄がついた白色のTシャツに長いボトムス。足元はビーチサンダルだから問題ないけど。


 下はともかくとして、上は水に当たるともろに透ける服だから……、

「ひっ、ひゃぅ!」

 ……黄色ですね。はい。


 慌てて両腕を胸に合わせるように覆うけど、もう手遅れ。

「はいタオル」

 お父様は特に気にする素振りも見せず、リュックから大きなタオルを井野さんに手渡す。


「ぅ、ぅぅ……今日は散々だよ……」

 受け取ったタオルで自分の身体を隠して、恨めしそうにお父様のことを見上げる。お父様はニコニコとした顔を崩さないまま持っていたリュックを渡し、近くにあるトイレの看板を指で示して告げた。


「まあまあ。そのままにすると風邪引いちゃうから、それに着替えるといいよ。通り道にトイレがあったし。ちょうどいいだろ?」

「よ、用意良すぎじゃない……? お父さん……」


 井野さんはゴソゴソと貰ったリュックの中身を見る。すると、みるみるうちに顔をりんごみたいな真っ赤に染め上げて、

「ちょ、ちょっとお父さんっ、こっ、これっ」


 ……いわゆるスクール水着と呼ばれるものを取り出して、再度お父さんに詰め寄る。……新か旧か? そんなの僕はわかりません。

「だって普通に頼んでも円着てくれないし。アニメキャラで水着と言えば一定数いるスク水だよね」

「き、着るわけないよっ! は、恥ずかしいよこんなのっ!」

 ……その反応も至極当然かと思います。


「恥ずかしいなら無理に着なくてもいいけど、それだと服が乾くまでずーっとその格好でいることになるよ? 下着が透けたままで、いつ知らない人が来るかもしれない場所で」

「ぅ……」


「それに、川に落ちたってことは、服も全部水に濡れただろうし、ズボンとか着替えたほうがいいと思うけどなあ僕は」

「……ぅぅ……」

 お父様がそう言うと途端に気になりだしたのか、井野さんは足をモジモジとさせ始める。


 なんだこの究極の二択。

「……まあ、あと。第三の選択肢もあるんだけどね……」

「ふぇ……?」

 そして、井野さんはさらにリュックのなかをゴソゴソと漁る。すると、


「こっ、これ……」

「お母さんに頼んでこっそり入れてもらったんだ。ふふ、親の目を誤魔化せると思わないほうがいいよ? 円がひとりで新しい水着を買いに行ったことは知っているんだから」


 もう茹で上がったタコだよ。言いかた悪いけど。ご両親ほんと容赦ないですね。軽い性格しているのに。

「ああ、あとあと。エロシーンがある自作の漫画はもう少し見えないところに隠してってお母さん言ってたよ」

「ひっ、ひぃぃん……」


 茹で上がったあとは縮こまっている……。踏んだり蹴ったりだ。

 ……これってあれだろ? エロ本が見つかったんじゃなくて、自分が作ったエロ本が見つかったってことでしょ?


 ……死ねるわ。いや、絶対僕だったら家出する案件だ。

「っていうわけで、このままブラ透けのまま風邪を引くか、スク水を着るか、今年のために買った新しい水着に着替えるか。三択だよー」

 段々お父様の言葉回しが雑になっているし。


「い、一度車に戻って明日の分の服に着替えるとか──」

「それでもいいけど明日は何を着るの? それに、その状態でもっと人目につくキャンプ場を経由して駐車場まで戻る?」

 一瞬で論破されたし。


「っくしゅ」

「ほら、早くしないと体冷えちゃうよ?」

「……わ、わかったよ、わかったから……うう……」

 渋々といったように井野さんはリュックを前に抱えたまま、一番近くにあるトイレへとトボトボと歩き出していった。


「ああ円。あと最後に」

「……何?」

「お母さんが言うには、男性器のイラストがリアリティないってさ」

「っっっっ! しっ、仕方ないでしょ! そ、それに余計なこと言わないでようお父さん!」


 それだけ言い捨て、逃げるように僕らの視界から消えていった。

 ……井野さん、そこまで描いていたんですね。


「これで円がまごうことなく男性経験が皆無であることがわかったね。僕も八色君も」

「……なかなかえぐいことしますね」

 小石の上で水面を眺めながら立つ男がふたり。これはこれでなかなかシュール。


「これくらいしないとねえ、円は奥手で基本引っ込み思案だから。火事場に放り込んでこそだよ」

 ……可愛い子には旅をさせよの上位互換でしょうか。可愛い娘は火事場に放り込め。下手すりゃ死にますよそれ……。


「……そこまで僕とくっつけさせたいですか?」

「だってねえ……。多分八色君逃したら円二度と誰かを好きになったりしないと思うよ? 高校の友達は聞いたことないし。バイトも今のところ以外は続かなかったしねえ」

「…………」


「本人が嫌がっていれば止めるけど、そんな感じもしないし。せいぜい親は背中だけ押してあとは本人に任せるよ。あっ、八色君には事前に言っておくけど、僕は今日車で寝るから。テントは君らに預けるよ」

「はい?」

 今、とんでもないことをなんでもないように言ったと思うんですが。


「これも火事場だよ、火事場。ははは」

「か、火事場ですか……へえ……」


 ……これに恐らく水上さんの突撃があるんだろ? 大丈夫? 僕死なない? 今度こそ死ぬ気がするよ? テントに催涙弾とか投げ込まれないよね?


「まあ、言った通り婚姻届にはいつでも判押すから、そのつもりでね」

「えっ? ど、どこか行かれるんですか?」

「どうせ円はスク水じゃなくて自分が買ったのを着るに決まってるし? そんな場に僕がいたらお邪魔だろうから。テントでのんびり日向ぼっこでもしてるよ」


 ……娘思いというか、なんというか……。殺人的なキラーパス通して消えたぞお父様。

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