第124話 尊過ぎて死ねる
「おっ、お父さんっ? な、なんでここに……」
……いつしかのお母様と同様、井野家のご両親はノンアポでお店に来るのがお好きみたいだ。……なんでもいいんだけどさ。
「気分かな?」
気分なら仕方ないですね。ええ。
そう言いお父様はゆっくりと背負っていたリュックサックを下ろして買取カウンターに置く。
「ただ単に雑談しに来ただけだと円に怒られるってお母さんから聞いたんだ。折角だし使わなくなった設定資料のために買った本とか掃除しちゃおうかなあって」
僕がカバンを開けると、なかには色々な本の山が。分厚いイラストの教本とか、花言葉の辞典だったりとか。
「……ちなみに、書き込みとかはされてないですよね……?」
「勿論。僕は本に書き込むのあまり好きじゃない性質でね。高校の教科書は基本真っ新だったよ」
なら安心だ。書き込みがあると勿論買いとることはできない。それを伝えるのは簡単だけど、もし持ってきた本全てに書き込みがあったとわかったときにお客さんに「全部買い取れません」と言うのはなかなか精神的にキツいものがある。一冊や二冊ひょいと持ってきてそれだったらまだいい。しばしばあるのは、新学期、大学受験が終わった新大学一年生が一斉に受験勉強に使った赤本とか参考書を山のように売りに来る時期。なかには段ボールひと箱分とか持ってくる人がいるのだけど、それが全部駄目だったとき。
……めちゃくちゃメンタルすり減ります。だって、そうなると、お客さんはせっかく苦労して持ってきた本をまた家に持ち帰るか、お店で一円にもならず廃棄処分しないといけなくなるから。車で来ているならまだしも、ここは新宿だ。大多数は電車で移動しているお客さんだから本当にね。
……だから、書き込んだ本は持ってこないでください……店員もお客さんもどちらもいい思いしないので……。
話が逸れた。お父様のその一言に安堵しつつ、僕は本の査定を始める。井野さんはどこかそわそわしながら、加工スペースでラベルを貼り続けている。
まあ……お母様に前科がありますからね。不安にもなるでしょう。
お父様も用があるのは僕みたいで、査定する僕の前にずーっと立ちっぱなしだ。
「ところで、まだふたりは付き合ってないのかい?」
「…………」
「おっ、お父さん、ききき、急に何を言いだすのっ」
やはりぶち込んできたか。……待てよ? 井野さんが何か余計なこと言うのって、血筋だったりするのか? 初めて会ったときのお母様しかり、今のお父様しかり。……腐った部分だけでなく、そういうところまで親子だと言うのか……。
「だってねえ。待っても待っても全然続報が来ないし。僕ずーっとカバンに判子入れて準備しているんだけどなあ」
一体僕らがどこで婚姻届の判子を押させるつもりなのだと思っているのだろうか。ファミレス? 電車内? そもそも婚姻届書く予定もないのだけど。
「ほら、今もここに」
ワイシャツの胸ポケットから持ち手の部分だけ押し上げて、黒い円柱の形をした細長いものを僕にアピールする。
「なんだったら今ここで書いても」
「さすがに勤務中に婚姻届書いたら前代未聞だと思いますけど」
暇さえあれば婚姻届を色々な場所に置いて存在を主張する人は本とか漫画で読んだことあるけど、仕事中に書く人は見たことない。
「いいね、今度の新作、そんなキャラの登場人物入れてもいいかもしれない。新しい結婚願望の表現として使えるかも」
……しまった、この人はクリエイターだった。突っ込みさえも仕事に活かすなら逆効果になりかねない。
「……それに、八色君には感謝しているんだよ。長年の僕とお母さんの夢だった、円のコスプレ写真を拝むということが叶って」
「……そ、それはどうもです」
別に僕は感謝される筋合いないと思うんだけどなあ……。
「や、やめっ──いっ、いらっしゃいませー」
すかさず井野さんはそのトラウマにも近い話題を止めようとしたけどタイミング悪く(?)レジにお客さんが来てしまい、それの対応に入ることに。後ろ目で見たけど、かごいっぱいに漫画が積まれているから時間がかかりそうだ。
「高校生になったら一度は撮らせてもらおうってお母さんと話していたんだけど、もう断固拒否って感じでね、もう諦めかけていたんだけど……この間塩沢さんから写真送られたときはもうふたりで泣いて喜んだよね……『尊過ぎて死ねる』って」
まさか自分の娘さんの写真見てそんな感想が出てくるとは……。
ふと視線を後ろにずらすと。
「あ」
……耳まで顔真っ赤だし。目の前にいる男性のお客さんもなんか困惑しているし。ぱっと見エロ本持ってきたわけじゃないのにあんな顔されたら困っちゃうよね。
「あんな尊い写真をプロデュースしてくれた八色君をどうして家族として受け入れられないことがあるだろうか。それに、どうやら円は八色君の言うことなら多少恥ずかしいことでも受け入れるみたいだし」
まあ、決定的な弱み握ってますからね……僕は。
……真面目な顔でかなり熱弁されてますが話題は自分の娘さんのコスプレ写真です。
「というわけで、僕はいつでも判子を肌身離さず持っているから、よろしくね。ああ、あと、もう円から聞いたとは思うけど、今度のキャンプ、楽しみにしていいよ。ものすごく景色がいいところがあるんだ」
「そ、そうなんですね……へえ」
まだ行くと返事をしたわけではないんだけど……これはもうお父様の頭のなかは確定事項として決まっているな。
「僕もまあ次回作の取材も兼ねてだからさ。そんなに気にしないでついて来てもらっていいんだ」
……なるほど、そういう用事もあるんですね。
「テントか車のなかでどのくらいまで男同士で絡んでもバレないのかって調査もしたいし」
……やっぱり僕行くのやめていいですか? 本当に貞操の危険が……。
僕が渋い表情を浮かべたのを見てお父様は、はははと小さく笑って、
「嫌だなあ。僕は既婚者で妻もいる身だよ? さすがに娘の初恋相手をそんなふうに見たりしないって」
「ひぅん……あ、あっ、え、えっと、ご、ごせんよんじゅうえんになります」
一体どれだけの辱めを受ければ彼女は救われるのだろうか。逆にそれを僕は尋ねたい。
「そ、そうですよね……あ、安心しました……ははは……ははは……」
対照的に僕は乾いた笑みを浮かべて最後の一冊をスキャナーに通す。
「お、終わりました……全部で七千円ですがどうされますか?」
「おっ、結構行ったね。それこそ今度のキャンプのレンタカー代の足しにはなりそうだ。それでお願いするよ」
「あ、ありがとうございます……」
僕は精算の準備に入ると、続けてお父様が、
「そうそう、今度行くところ、小さな川があって、軽く水遊びくらいはできるんだ。……あとは、ねえ?」
「ひゃ、ひゃりがとうございましたー」
……これ、仮に井野さんが拒んでもお父様が井野さんの水着を持ってくるフラグ、ということでよろしいでしょうか。……どこまでも不憫だ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます