第120話 エンターテイナー八色さん

 水上さんに鋭い一塁への牽制球を放られた翌日。セール明けの一日目だ。……正直ベースに頭から滑り込んでギリギリになるようなどぎつい牽制飛んできたよ……? 殺す気満々の牽制が。


 まあ常日頃から牽制球どころか威嚇射撃まで食らっているような状況だからもう別になんでもいいんだけどね……。


 セール明けの仕事は得てして棚の復旧作業に費やされることがほとんどで、死んだ棚をどうにかしてセール前に戻すことが第一の目的になる。でないと、せっかく稼いだ売上の貯金も、セール後に失速すると食いつぶしちゃうからね。


 虫歯みたいに空いた棚の穴をせっせと埋めていく。この日のシフトは僕と水上さんと井野さんだ。また通常通りのシフトの厚さになる。


 中番さんもひとりだけなので、補充は僕と中番さんがせっせとせっせと進めている。ただ、セール後の反動みたいなものでお客さんの入りは少なくなるので、それなりに仕事は進む。


「八色っちゃんって今年で何年目だっけ?」

「今年で四年目ですね」

 中番の男の先輩(いかつい小出さんではない)に補充をしながら話しかけられる。目線を合わせなくても会話が成り立ってしまうのもあるあるかもしれない。


「そっかー、四年目かー。俺も年を取るわけだよなー」

「……それ、僕に限らず色んな後輩に言ってないですか?」

「八色っちゃんが辞めたら次はあのちっこいのに言うぜ俺は」


 手早く本を棚に入れていき、無駄のない動きで補充する本を平台の上で仕分けていく。それは僕も先輩も同じだ。

「……浦佐にちっちゃいって言うとむくれるんであまり言わないほうがいいですよ」

「ふっ、知ってるよ。俺も二、三回言って機嫌悪くさせたよ。あの後大変だったなー、機嫌取るの」


 ……不憫な後輩だ。色んな人からちっちゃいって言われる浦佐。せめて僕だけでもちっちゃいとは言わないでおいてあげよう……。


「ソフト加工で一緒に入るときには絶対にちっちゃいって言わないように心がけているよ、今は」

「……むしろそのタイミングでちっちゃいって言える先輩の図太さを尊敬しますよ」

 あの閉鎖空間で一緒に仕事する相手の機嫌悪くさせる人がいるか。ただでさえ狭い場所なのに。


「しかしまあ、八色っちゃんが辞めた後の次の夜番のリーダーは誰がやるんだろうねえ。おぢさんは適当人間だし、ちっこいのもそれに負けず劣らずまあまあ適当だし。井野ちゃんもリーダーって柄ではないよなあ。……そんじゃあ、春から入った水上ちゃん?」


「……まあ、僕もそこらへんが妥当じゃないかとは思ってますけど」

 能力的に見ればね。能力的に見れば。……一部不安なところもあるけど。


「なんだかんだであと半年で退職だし、そろそろ八色っちゃんがやってる仕事の引き継ぎとかも始めたほうがいいぜ? トラブルシューティングとか特に。仕事はやってりゃ時間さえかければうまくなるけど、その場での対応が求められるトラブルはそうもいかないしなあ」


「……小千谷さんとも相談しつつぼちぼち始めますよ。次のセールは僕もそんなにメインに仕事するつもりはありませんし」

「ならいいんだよ」

「結構夜番の心配もしてくれるんですね、先輩」

 どこかの適当男とは大違いだ。


「……いや、だってさ……。夜番が崩壊すると、割を食うのは絶対中番って決まっているんだよ。……朝が崩壊しても割を食うのは中番だけどな。朝は今盤石の体制だけど、夜は世代交代の時期だから何気に中番のメンバーはドッキドキのわけよ。夜番のお母さんの八色っちゃんがいなくなったらまともに機能するのだろうかって」

 ……違った。そういうわけでもなかった。僕の感動を返してくださいよ。


「……まあ不安がないと言えばそれは嘘になるわけですけど」

「なんでちょっと散文っぽく言ったんだ」

「……僕だってたまにはボケたくもなりますよ」


 嘘だけど。そうして手元にあった最後の補充物を棚に放り込んで、

「……それじゃ、僕はもう休憩なんで、あとの棚はよろしく頼みますね」

「えっ、あっ、もうこんな時間かよっ」

「それじゃ、お疲れ様でーす」

「って、ちゃっかりカートひとつ補充終わらせてるし。八色っちゃんやっぱりすげえ……」


 休憩後、中番さんも全員上がり、お店には僕と井野さんと水上さんの三人だけになった。休憩前にカウンターに入ってもらったふたりに今度は補充に出てもらい、僕は孤独にカウンターを守ることにした。さすがにひとりよりふたりのほうが補充は進む。


 無言で本のラベルを発行して、黙々と発行した値札を貼り続ける。

 下を向きながら作業しても、視界の上半分はレジに残してあくせくと手を動かし続けている。じゃないと、お客さん来ても気づかないからね。

「いらっしゃいませー……って」


 それも幸いして、ひとりの男性客がレジに来たのに気づいた僕は、その男性のもとに近づいた。

「ど、どうも。また来ちゃいました……」


 レジには、背中に大きな荷物を背負った八木原君が姿を現していた。

「……これから筑波に帰るの?」

「はい。もうサークルの用事も終わったんで。……ただ、帰る前に、ちょっと……」


 ……水上さんの顔でも見に来たのかな。心残りがありそうな表情を、浮かべる。

 僕は目の前に置かれた漫画一冊をレジに入力して、ふと思う。

「……これの、二巻って欲しかったりします?」


「……え? でも、さっき見たときは棚にはありませんでしたけど……」

「まあまあ。欲しかったりします?」

「え、ええ……。欲しいと言えば欲しいですけど」

「オッケーです。ちょっと待ってください」


 僕は加工台に置いてある呼び鈴を鳴らして、補充に出ているふたりを呼ぶ。……どっちかが来るかは時の運でしかない。けど、

「はい、八色さん……どうかされましたか……あ」


「あ、ごめん水上さん。これの二巻あるか見てきてくれないかな。本必要だったら持っていっていいから」

 二分の一が当たって、水上さんが先に来てくれた。これなら問題ない。


「は、はい……わかりました……」

「あ、あの、八色さん……?」

 彼は、どういうつもりなのか、と僕の顔をまじまじと見つめてくる。


「……ああ、でも自分の目でも見たほうがいいかもしれないから、八木原君もついて行ったほうがいいんじゃないかな」

「「……ぇぇ?」」


 今度は水上さんにも目線を向けられる。……いやだってねえ。あんなに名残惜しそうな顔を八木原君がするんだもの……。

 清算のひとつでもさせてあげたほうが、当人同士のためにもなりそうだけど。


 僕はもう一度だけ呼び鈴を鳴らして、最後のスタッフの井野さんもカウンターに呼ぶ。

 てくてくと戻ってきた井野さんに、

「ごめん、この漫画、さっき買い取ったのなんだけど、販売価格どれくらいがいいと思う?」


 と、カウンター内でも仕事を頼む。これで、ひとまず邪魔する人はいなくなるわけだ。

 ……あとはもう、三分程度で好きにしてください。

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