第119話 この年にもなって

「またまたー、そんなこと言ってー。実はファミレスのドリンクバーでブレンドしたことないんじゃないんすかー?」

 ……どちらかというとするよりもしている奴に突っ込みを入れる立場だからね僕は。


 うりうりーと浦佐は僕の頬に冷えたカップを押しつけてくる。

 ……っていうか、こいつ気づいてない? 気づいてなさそう。


 はぁ……もういいや。僕だって小学生じゃない。いい加減浦佐のダル絡みにも疲れてきた。

「はいはい、もうそれでいいよそれで」


 僕は押しつけられたカップを手に取って同じストローからコーラ×メロンソーダのブレンドを口にする。

 ……なんて言うか、その、まあ、売り物にするほどのものではないよね。やっぱり。平たく言うなら、まずい。


「……よくこんなの注文したな浦佐」

「いやー、つい気になって買っちゃったっすよー。ゲームよりも安いんで、ハードルが低かったっす」


 ……まあ千円も二千円もする代物ではないからね。その考えならさして痛くもないでしょ。一般的な高校生からすれば、百円も結構無駄にはしたくないと思うけど。

 一口も飲めばもう充分なので、僕はカップを浦佐に突き返し、空になったトレーを持って席を立った。


「あれ? もう行っちゃうんすか?」

 それを見た浦佐は、何もなかったようにまたブレンドジュースを飲んで、そう尋ねる。井野さんはまたまた顔を真っ赤にして変な声を上げているし。


「……まあ、ここに来たのもさっきの人と話すためだったから」

「ふーん、そうなんすねー……って、なんすか円ちゃん? いきなり服の袖ちょんちょんって引っ張って……え? それって間接キスなんじゃ……って?」


 井野さんが浦佐の耳元で何やら話してから、みるみるうちに浦佐の表情もらしくなくあわあわとし始めた。

「……ちちちちがうっすよ? べべべべつにそんなつもりでやったわけじゃないっすからねせせせセンパイ」


「……それはわかっているから安心していいよ。あとこの年になって間接キス程度じゃなんとも思わないし」

「でででですよねー、そうっすよねー。高校生にもなってここここの程度のことで動じたら駄目っすよねー」


 口ではそう言いつつめっちゃカップのストローに意識が向いているよ浦佐。

 ……ああ、もういいや。これ以上ここにいると色々面倒なことになりそう。


「それじゃ……シフトよろしくねー。僕はもう行くんで」

「ははは、さいならっすーセンパイー」

「う、浦佐さん……? だ、大丈夫……?」


 うん、あとはもう仲良し同士でどうにかしてくれ。僕は誘われた側だし。返却口でゴミを捨ててトレーを置いてから、お店を後にした。

 ……さ、大分遠回りになったけど、本屋行くか。


 二時間くらい本屋をぐるっと回って満足したので、僕は家に帰ることにした。本屋っていつまでもいられるから時間を忘れてしまうのが怖いところ。意識しないと閉店までいてしまうかもしれない……。


 ファストフード店で井野さん、浦佐に会った以外はそれなりに落ち着いた休日にすることができたと思う。家で晩ご飯も済ませて、お風呂にも入りベッドの上でゴロゴロするだけの充実した休日。美穂の甘えたがりに無駄に神経をすり減らす必要もないし、バイトもない。


 ……ずーっとこんな休日が続いてくれてもいいのに……。というか、今年の三月まではこんな休日が当たり前だったのに……。

「……さ、寝るか」


 明日は普通に出勤だし。なんだかんだで今日も動き回って足はへとへとだし。きっとぐっすり眠れることだろう。


「……もうお休みになられるんですか? 八色さん」

「…………」

「…………」

「……なんでここにいるの? 水上さん」


 布団を被って目を閉じようとしたとき、聞こえるはずのない声が聞こえてきたので僕は起き上がって視界を広げると、やはり部屋には当然のように水上さんが座っていた。


「……今日、浦佐さんと間接キスをしたって噂を小耳に挟みまして」

 いやー、凄く信憑性の高い噂ですねー。一体ソースはどこからなんだろうなあ。僕気になるなあ。有能な記者でもいるのかなー。


「……へ、へぇ……そうなんだ。それで?」

「……八色さんの唇が浦佐さんと繋がったまま今日を終えるのは許せないものがあるので、来ちゃいました」


 来ちゃいましたって。来ちゃいましたって。僕ちゃんと鍵をかけていたはずなのに、普通の顔で部屋に侵入するのやめてもらっていいですか? せめて「お邪魔しまーす」の一言が欲しかったよ僕。


「……あと、その言いかただとあたかも僕と浦佐が一線を超えたみたいなふうに聞こえるんだけど」

「……超えたんですか?」

「超えてないよ安心していいよ」

「……ならいいんですけど。ですので八色さん。これ、どうぞ」


 半分だけ体を起こしている僕に水上さんが差し出したのは、微妙に中身が減った飲みかけのペットボトル。

 ……あー、はい。間接キスしろってことですか。


「こ、これだけのためにここ来たの?」

「……そうですけど?」

 寧ろ怖いよ。暇なの?


「この年にもなったら間接キスくらいじゃ何とも思わないんですよね?」

 ねえ水上さん実はあの場に居合わせてたでしょ。先生怒らないから正直に言って欲しいな。


「そ、それはそうだけど……」

 僕はキャップが開けられたお茶の入ったペットボトルを恐る恐る見つめる。

「……心配しなくても、睡眠薬も媚薬も入ってませんよ?」

「普通その心配をする必要もないんだけどね普通」

「……それとも、私の飲み物は飲めませんか?」

「わかったわかった、飲む、飲むから」


 そうして僕は少し温くなった緑茶を一口喉に通す。……まあ、聞いた通り普通のお茶だ。

 僕がペットボトルを水上さんに返すと、満足そうに頷きながら立ち上がった彼女は、


「……では、用事は終わったので、もう帰りますね?」

 ほんとにそれだけで帰るんかーい。

「う、うん。き、気をつけて」


 ニコリと微笑んだ水上さんは、そうして僕の家から出て行った。……間接キスをさせるためだけに家に来ます? 普通。

「……ほんとわかんないなあ……」


 まあ、いつも通りの水上さんで安心したと言えば安心したけど。

 通常運転過ぎてやっぱり怖いよ。

 安心と恐怖が同居する水上さん、さすがというか……。

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