第117話 真面目×まとも(ボケ不在)
まあ、それからというもの水上さんは多少なりともテンションが低い様子で仕事はしていた。
さっきの同級生に会ってからなんかおかしい気もするけど、まあとりあえず水上さんが何もしてこないならそれでいいや。というか、セールだし、それほど水上さんに構っている余裕もないし、水上さんにもない。
休憩後も忙しい時間を過ごした僕らは、気がつけば営業時間の終わりにまでたどり着いていて、ほっと一息つく間もなく働き続けていたことを理解した。
……出勤したときに高々と積まれていたはずの在庫が詰まった段ボールの山は、今日一日でその背丈を三割くらい小さくさせていて、どれだけの量を売って補充したのかを示す目安になってそれはまあ閉口することに。
……今日の売上数量、何点なんだろうなあ。
翌日。セール最終日。ただ、この日僕は上手いこと休みを取った。いや、この言いかただと語弊があるか。週に二日ある休みをこの日に持ってきたという表現が正しいと思う。
最終日は僕以外の四人で夜番は回してもらいましょう。……来年からはそれが普通になるわけだし。
ここ最近、美穂だったり母親だったりが家に来ていて、なかなか落ち着いた休日を過ごすことができなかったけど、今日はそんな要素もないし、浦佐や水上さんが家に押しかける心配もない。出勤だからね。
つまり、まごうことなき完全フリーな一日ってわけだ。
家でゴロゴロしてもいいし、どこかに出かけてもいい。そういえば最近色々バタバタして本屋に行けてなかったなあ……。文芸書の新刊とか全然追えてないし、今日は久しぶりにゆっくり本屋でも回ろうかな……。うん、それにしよう。
休日あるあるらしく、まあまあ陽が昇った時間に目が覚めたから、もう出かけてもいい頃合いだし。うん。
そんなわけで、ひとりで出かける程度の軽めの服装で家を出た僕は、いつものように電車に乗って新宿へと向かった。
……バイトだろうが買い物だろうが全部新宿で済ませてしまうのが、たまに悲しくもなったりする。でも仕方ない。新宿に大きな書店があるからいけないんだ。
新宿で降りて、バイト先とは反対側の東口改札のほうに出ようとすると、僕はまたまたつい昨日見かけた顔を通りすがりに確認してしまった。
……あれって、昨日の……。
それはどうやら向こうも同じようで、僕の顔を見つけるなり「あ、昨日の店員さん」とちょっぴり苦笑いを浮かべ、僕のもとに向かってきた。
「奇遇ですね、まさか二日続けて会うなんて」
昨日の雰囲気そのまま、柔らかい口調で彼はそう話しかける。
「そうですね、しかも今日は駅でバッタリとなんて……でも、確か筑波に住んでいるんじゃ」
「ああ、今はサークルのイベントで、東京に住んでいる男友達の家に泊まっているんです。あと二日もすれば筑波に戻りますけど」
「なるほど……そうなんですね」
筑波から新宿って微妙に遠いからなあ。つくばエクスプレスがあるって言ったってそれでもそれでも。気軽に行き来できるような距離・運賃ではない。
「でも、これも何かの縁ですし、ちょっとお話でもしていきませんか? これからサークルの集まりがあるんですけど、みんな遅刻しちゃって、一時間くらい待たないといけなくなっちゃって」
スマホの画面を呆れた顔で眺めてから、またまた困った感じの笑みを僕に向け彼は言った。
「それに、あーちゃんと同じお店で働いているってことは、最近のあーちゃんの様子も知っているってことなんですよね? ……ちょっと、色々確認しておきたいこともあるんで」
「ま、まあ……僕もこれといった用事はないんで全然……」
「そうですか? やった、じゃあ、どこか適当に入っちゃいましょうか」
そうして入ったのは駅の近くにあるファストフード店。ポテトと炭酸をそれぞれトレーに抱えテーブル席に向かい合って座る。
「──って、えっ、や、八色さん四年生だったんですか? すみません、馴れ馴れしく暇つぶしに付き合わせてしまって。そんな雰囲気ないのでてっきり同い年か年下かって思っていて……」
そういえばまだちゃんとした自己紹介をしていませんでしたね、ということで、お互い名前と学年をそれぞれ言うと、
「いいよいいよ、むしろそんなふうに言われることなんて全然ないから嬉しいくらいだし」
それってつまり僕が若く見えるってこと? 別に悪い気はしない。小千谷さんからはお母さんみたいって言われるし、お世辞だとしてもなかなかいい。
十五分くらいそれぞれの大学の話をしたりしたところで、さあ本題とばかりに八木原君はトレーに残った最後のポテトを口に含んで尋ねた。
「……と、ところで、八色さんとあーちゃんって、結構仲良かったりするんですか?」
「…………」
なんて答えればいいんだろう。まさか子供を作らされかけましたなんて言えるはずないし、それでなくても八木原君は水上さんの元カレ。あまりそういうことを聞かされていい気分にはならないだろう。
「ま、まあ、普通の先輩後輩、だよ?」
絶対普通ではないんだけど、そう誤魔化しておく。
「そ、そうですか……。いや……その。同じバイト先なら聞いていると思うんですけど、あーちゃんって一浪しているじゃないですか。それに……ある時期を境に一切連絡がつかなくなって、クラスの誰もあーちゃんがどこの大学に行ったのか、そもそも生きているのかどうかすらわかんないって状態になっていたんで……」
……ある時期って、もしかしなくてもある時期なんですかね……。聞きたいけど今は保留しておく。彼にとってもしまっておきたいことかもしれないし。ただ……、
「生きているかどうかもわかんないって、なかなかだと思うけど……」
率直な感想として、そう考えた。いや、僕の高三の同級生にもひとりかふたりそんな奴はいる。でも、水上さんがそんな奴です、と言われると、少し違和感が残る。
「ちょっと、色々あった頃からだったので、心配していて……。なので、昨日偶然にも顔を見ることができて、少し安心したというか、なんというか……。でも、大分雰囲気変わってたなあって……」
「え? 雰囲気変わってた?」
……高校の水上さんはあんな感じではなかったのか?
「はい。なんて言うか、昨日見たあーちゃんは落ち着いた雰囲気を感じましたけど、高校のときのあーちゃんはもっと弾けていたというか……」
……全然想像がつかない。あの水上さんが高校では弾けていた? 水上さんがはしゃいでいるところなんてイメージが湧かない。いや、僕関連では色々怪しい方面にはしゃぐことはあっても、きっと八木原君の言う弾けるとはまた違うベクトルだろうし……。
「……少なからず、クラスのみんなが『あーちゃん』って親しく呼べるくらいのフレンドリーな感じはあったんです。でも、昨日のは、完全に『水上さん』って呼ぶのが正しいような空気で……」
……言いたいことはわかる。仮に僕が弾けた「あーちゃん」を知っていたとしても、今の彼女を見たら「水上さん」って呼ばないといけない気持ちにはなる。
「……やっぱり、僕があのとき……」
両膝に手を置いた八木原君は、ギリギリ聞こえるか聞こえないくらいの大きさで呟き、ストローからコーラを飲む。
「……八色さん、人って、一年満たない期間でも、変わっちゃうものなんですかね……?」
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